身の丈に合った人生 その4
シリウス 高等裁判所 秘密の地下講義堂
「ヴァルムドーレの討伐……ですか」
「左様……私の力が及ばなかった。教皇様を初め、古典派の連中にも交渉したが、魔導経典のバインダーの許可は下りなかった……バニーのみで、我らは戦わなくてはならない」
時の激流に、自分が溺れかけているとわかっていながらも、彼女の近くには捕まるような草木も、浅瀬も存在しない。完全に濁流の中を泳ぐ以外の選択肢はなかった。
「邪竜が復活すれば……何万、何十万の人間が死ぬ。サンズだけではない、近辺諸国を巻き込んで大陸は大混乱に陥るだろう」
「では、私がレガランスを討ちます」
マドレーヌ司教は耳を疑った。
「エステル……無茶はいかん! キエルは重傷、肝心の母艦も奪われてしまったまま……まして、もうこちらには亡霊なる機兵はいない。スターダスト・バニーは機能を失ったも同然だ。皇国軍と合流し、体制を立て直す必要がある」
「司教様、私を軽んじないでください。一人でもやります……無論、バニーだけ私にお貸しいただけば」
真剣過ぎる彼女の様子に、思わずマドレーヌは立ち上がった。
「エステル! もう一度言う、無茶は認めんッ! 死にに行くようなことを、誰が許すと思うのか!?」
「――では一体、どうしろと言うのですか!?」
机を思いっ切り叩き、彼女は顔を真っ赤にさせた。歯を食いしばり、込み上げる悔恨と葛藤しながら、エステルは声を押し殺して、
「……魔導師の数も魔導兵器もナルムーンに劣り、まして亡霊なる機兵はいない……そんな状況下でも勝てというなら、私を使うしかないじゃないですか……!」
「……エステル」
「私を通して、魔導経典の力に頼るしかないじゃないですかッ!?」
俯いていた顔を彼女は天井へと向けた。
ステンドグラスから射す後光は温かだった。こんなに温かなのに、何故悲しみはちっとも癒されようとしないのか。
「馬鹿な……スターダスト・バニーはどうするのだ?」
「元々、邪竜討伐のために編成された部隊……単独での目的達成が困難なら解体するまでです」
「情がないな……仲間の気持ちを考えずに独断を下すのは、頭領失格だ」
キッと彼女はマドレーヌを睨みつけ、感情のままに吠える。
「何をおっしゃいます! 司教様はフェンディがいれば……お許しになるクセに!」
「彼は元軍人だ。お前とは潜った修羅場の数が違う」
「皆そう言う! 私達、兄妹の魔力が魔導経典のためにあるのを知ってるくせに……フェンディだけ、皆、フェンディだけ頼る! 私一人じゃ誰も信用してくれないッ! 私なんかおまけですもの!」
「自暴自棄になるのはやめなさい。とにかく……明日の早朝にはシリウスを出て、国境付近で待機している皇国軍に合流するよ。それまで休みなさい……気が張っているんだ」
「……逃げるんですか?」
「そうだ。お前が泣くと耐えられんからな」
慈愛のこもった眼差しを向け、マドレーヌ司教はそう言った。
エステルはふてくされたまま、一人になった。
そんな時、足元に薄っすらとピンク色の毛玉が現れ、その姿をはっきりさせた。長い耳をピンとはって、鼻をクンクンさせながらエステルを見上げると、それは嘲笑したかのように鼻息を吐き出した。
生意気な毛玉をエステルは白い目で見て、
「何ですか、バニーちゃん? 何か文句でもあるんですか?」
『キュ~?』
――小娘が、自惚れもほどほどにすれば?
「……私が弱いとでも言いたいのですか?」
『キュ』
――まあ、そんなところね。
顔つきから大体のセリフを推測する度に、エステルはますます額に青筋を浮かべるが、諦めて大きく溜息をついた。
何もない天井を見ると思い出す――
「……何で、コンダクトできなかったんでしょう」
『ウキュキュ?』
「……人の気持ちがわからないからですかね?」
『キュ!』
「……だって夢だったんですよ。私の永遠の英雄だったんです」
『ムキュ……』
「でもそれって……ただの重荷だったんですかね?」
肌身離さず持ち歩いていたメジャーバトンが、いつもよりも重く感じた。
彼女はそれを抱きしめて、
「バニーちゃん……私勝ちたいんです。こんな想いを味合わせた奴らを叩きのめさないと、怪我までして守ってくれたキエル達に顔向けが出来ません」
頬に一筋涙が伝うと、彼女はそれ以上御免とばかりに制帽を深く被ってソファーに寝そべった。
「信頼って……何ですか?」
さすがのバニーも、心配そうにしばらくの間エステルの様子を眺めていた。