夢見る少女は盗賊団 その2
半年前。
サンズ教皇国 首都ベガ リルン大聖堂
この頃すでに、敵であるナルムーン共和国の軍勢がサンズ教皇国の国境付近まで迫っていた。最新魔導兵器と軍属魔導師の数、ナルムーンの圧倒的な軍事力は、古より魔導経典を管理し、守り続けてきたサンズ教皇国にとって、建国以来最大の脅威となっていた。
魔導経典をナルムーンから守るため、サンズの国教である魔導正教古典派はとある秘策に出ることを決めた。
これにより本日、魔導学校を卒業したばかりの一人の少女が、伝統あるリルン大聖堂に呼び出されたのである――
「良いか、エステル。これは教皇様による寛大な措置だ。本来軍属の魔導学校を卒業した魔導師であっても、単独で国外任務に就けるまで数年を要するのだ。どんなにお前が特別視されているのか、よくわかっておるな?」
「存じております。加えて、サンズの人間であるとこを悟られぬよう、任務を全うしろとおっしゃるのでしょう?」
エステルと呼ばれた少女は、燃えるような真紅の髪を太陽に輝かせて微笑んだ。
マドレーヌ司教は厳たる面持ちで頷く。
「お前も知っての通り、経典の1ページ、1ページには膨大な生きた魔法が眠っている。やつらはその力を糧に〈ベルローズの邪竜〉を再び現代に蘇らせようとしているのだ」
「兄が言っていた、ラスティーラ達に滅ぼされたはずの邪竜の化石……」
司教は飾られていたドラゴンの壁画に触れ、表情を曇らせた。
「左様。ナルムーンの考古学会はあれを本物と正式に公表した。真偽は定かではないが……盗賊紛いの行いをしようと、邪竜の復活だけは阻止せねばならん! お前には申し訳ないが……魔導経典奪取のために、盗賊になってくれるか?」
「もちろんです、司教様。これも祖国のため」
若き期待の星は自信に満ち溢れていた。今更覚悟を問うなど、ただの取り越し苦労であったと、彼は安堵したように慈愛の篭った眼差しを向ける。
「その覚悟、さすがは史上最高成績を残した主席魔導師よ。旅立つ前に私に何か言いたいことはあるかね?」
すると彼女は、ニッコリと口角を上げて――
「では一言――司教様、鼻毛出てます」
そう、無垢なる悪意の牙を向けたのだ。
「…………」
この緊張感は何だ。太陽の微笑からその言葉が発せられるまで、一秒の間どころか、一切のためらいも感じられなかった。恐ろしいことに、未だ彼女の口角が下がる気配はない。
ここまでの厳格なやり取りは何のこっちゃと――司教は努めて冷静であろうとするが、
「一本だけなんですよ。今朝から白いのが一本だけ、しかも上向きで!」
これでもかと言うくらい、彼女は鼻毛から話題を逸らさない。
プツンッと、鼻毛と一緒に彼は大事な何かを捨て去った――
「エステル――それだよ、それッ。思ったことをすぐ口に出しちゃう究極の無自覚、ド天然! どぉ~して空気を読むというスキルがお前には皆無なんだね!?」
司教は抗議するかのようにドンドン! っとテーブルを叩くが、肝心の彼女は「何言ってんだ、このクソジジイ」と言わんばかりの顔で首を横に振った。
「司教様、酷い! もし私がその悪しき一本を見過ごしでもしたら、それこそ一生の後悔です。司教様はその温かなご尊顔で、訪れるサンズの民に類稀なる忍耐を強いることも厭わないとおっしゃるの……!? 何と不条理な……!」
「――気付かなかった私が悪かった。頼むからストレートに言いなさい。年寄りだってガラスのハートだよ!?」
「滅相もない。そのお年で鼻の中がボーボーなのですから、まだ細胞はお若い。さぞやその帽子の下には灼熱の太陽にも枯れぬ田畑に恵まれていると存じます」
キラキラと輝くエステルの瞳。その逆光が司教の顔に影を作り、窓から射す日光がわざとらしく彼の頭上を照しだした。
偶然までも――奥歯に物が挟まったようなことを言うのか。と、彼は目頭を押さえずにはいられなかった。
しかし何を勘違いしたのか、この娘は、
「おセンチですね~そんなもの拭けばいいじゃないですか。はい、ティッシュ」
「……どうも」
ポイッと差し出されたチリ紙を奪うように、マドレーヌ司教は鼻をかむと、未知の生物との対話にぐったりと溜息をついた。
「まったく……この据わり切った度胸ゆえ、お前の行動と感情は読みにくい。それがいいのか、悪いのか私にはわからんが、魔導師としてその性格を武器にしない理由はないと思っているよ」
「ありがとうございます」
彼はゴミをポケットに仕舞い、ちり紙をエステルに返した。
「だが、よからぬ火種を呼ぶこともある。私の鼻毛程度で済めば可愛いものだが、その度胸が強大な敵相手に無謀な戦いを挑むのではないかと懸念するばかりだ……そう思うとまだサンズの外に出したくはないんだよ」
「司教様……」
「ご覧、窓の外を」
エステルは司教にそう言われて初めて、窓の外から何やら騒がしいことに気がついた。このベガの街で最も高い建物の中層部にいるにもかかわらず、やたら物騒な怒号が外から飛び込んでくる。
「ウルアァァ! どけ! 公僕どもッ!!」
「テメェら、いつまでうちのお頭を拘束するつもりなんじゃあ!? しばくぞ、ゴルァ!」
窓から顔を出すとピリピリとした空気に二人は飲み込まれた。
何と下では憲兵が壁となり、武装したカラーギャングが大聖堂へ進軍しようとしているのを防いでいたのだ。ピンクの集団は自分達の得物をチラつかせ、現場は一触即発の緊張感に見舞われていた。
「おそらく壊滅した盗賊団の残党だろう。あのゴロツキ達は自分達の不平不満を暴力で語る術しか知らん。それも無理ない、弱者に手を差し向ける暇もなかった我々のせいだ」
「あれは……」
「魔導経典の強奪は奴らの行いと寸分も違わない。もはや我々も綺麗ごとだけでは済まされない状況まで追いやられた。だからこそ、エステル忘れないで欲しい。ナルムーンへの憎しみに囚われて、力で人を征服することなどあっては――」
「おーい、みんな! お頭だよォォ! 元気ですかァァァ!?」
「……ちょっとエステル、何言って――」
何て嘘つきやがるんだ――と、マドレーヌ司教は火に油を注ぐトンデモ娘を窓から引き離そうとするが、
「ラブ団長ォォォォッ!!」
沸き起こったむさ苦しい歓声に、彼は耳を疑った。
「え……?」
楽しそうに手を振るエステル。全ての固定観念を取っ払い、彼はもう一度、身を乗り出して地上を見た。
すると、
「我らが女王、エステル!! 〈スターダスト・バニー〉に栄光あれっ!」
「さぁ、皆さんご一緒に! エーステル♪ エーステル♪――」
暴徒は一瞬にしてアイドルの追っかけと化した。聞こえてくるスーパーエステルコールは悪夢の前兆。予想の遥か斜め上を行く現実に司教はやっと、自分が国外に放つのは新人魔導師ではなく、ただの怪物であると自覚した。
彼は古代彫刻以上に顔の影を濃くして問うた。
「……エステル、まさかと思うが……あれが噂の仲間か?」
するとエステルは得意げに笑った。
「むふふ……魔導経典をぶんどるのに盗賊紛いなんて半端もいいところです! 国のために全員、やる気のある本物の盗賊を採用しました」
「殺る気の間違いだよね!?」
「その名も〈スターダスト・バニー〉、面子も親友のキエル選りすぐりです」
「――そうか、あれはみんなお前のお迎え部隊か。よく見たら、あのピンクの服はヒラヒラのエプロンじゃないか」
「一般人を怖がらせないためのパフォーマンスです。クールよりシュールに行けと」
「逆に気持ち悪いわッ!」
度肝を抜くエステルの演出に、司教は呆れながらも納得した。
「なるほど、お前の右腕はキエル・ロッシ……あの盗賊上がりの最強〈銀線細工師〉か。いいのか、盗賊団と言うよりは、まるで対亡霊なる機兵独立部隊だ。私の懸念通り、強敵がお前達の障害となるのは必至だ」
すると、エステルは表情を引き締め、魔法杖でである白銀のメジャーバトンをクルクルと回転させた。
「司教様、贔屓はいけません。あなたはもう一つ、私に命令しなくてはならないことがあるのに、それをおっしゃってくれません」
「……」
「ナルムーンに勝つためには、我が国にも亡霊なる機兵が必要です。それも魔導経典に名を残したハイクラスの戦士を見つけなくてはならないはずです」
驚くほど鋭い視線を突き付ける少女に、司教は息を呑む。
「エステル、お前はそこまで……」
「当然のことです。私の魔法杖を成す銀水晶には、最後の英雄〈ラスティーラ〉の力が眠っているんですよ? 彼が帰化したという情報は、まだ届いていません……つまり、彼の現世を味方につけることも夢じゃないはずです! 私はそれに賭けます」
やはり――化物だ。
無邪気な顔の下に秘められた燃え盛る闘志に司教は息を呑んだ。能天気でマイペース、真面目に人の話を聞いているのか疑わしい彼女だが、実は誰よりも国の先行きを案じていた。
どうしかことか、気分が高鳴る。懸念が期待へとはっきり変わった――
「年寄りの心配性も考え物だ……すまなかった。お前達なら亡霊なる機兵相手でも十分に戦える。いやむしろ、お前達にしかできぬと信じているぞ!」
その返事に、エステルはパアッと微笑み返した。
「はい!」
「全て奪い返すのだ。魔導経典を最強の亡霊なる機兵とともに!」
その時、大聖堂の下から拡声器でエステルを呼ぶ若い男の声がした。彼女はすぐにそれが誰か気づき、再び窓から顔を出した。
編み込まれた黄金色の長髪、民族的で派手な衣装に、男前だが決して堅気ではない面構え。やはり彼女の予想通り、スターダスト・バニーの副団長として任命した、キエル・ロッシ本人であった。
『あー、あー、エステル! まだかよ? 船の出港準備できてんぞ! このままじゃ邪竜の化石調査に出かけたフェンディと落ち合えねぇ! デブに巻きで頼むって伝えてくれよ!』
「聞こえてるぞッ、キエル・ロッシ! また刑務所に戻りたいのか!」
『やっべ……すんませーん! 勘弁して、大司教様!』
窓から身を乗り出し、カンカンに怒る司教を見るなり、キエルはわざとらしく謝罪のジェスチャーで応答した。
そろそろ頃合だと、エステルは柱時計を見た。
「では司教様、私は参ります」
「うむ。初めの盗むお宝は決まっているのか?」
「ええ――」
彼女はマーチングの指揮棒に似た杖を腰から引き抜き、それをクルクルと回した。
「デネボラで、さっそく魔導経典を奪取します。アルデバランへ搬送中のブツを盗んじまえば、今後の活動がしやすいと言う寸法です」
マドレーヌ司教はたまげた。
「ちょっと……いきなり本命をつくのか!?」
「当然です。名前が知られていないからこそ、魔導騎士団は油断しているはずです。そこを突かない手はないです」
エステルは、とてつもなく悪い顔をした。
「ケチんぼのお国が一ページも貸してくれない以上、自分達が自由に使える力が必要です。それを我らは奪いに行きます……!」
あまりにも破天荒過ぎる方針に、司教は言葉を失った。だが、そんな心配をよそにエステルは笑顔で彼に応える。
「じゃ、司教様。これにて、ごきげんよう!」
エステルは一気に階段を駆け下りた。
彼女にとって、サンズの地から離れるのは初めてのことであった。楽しみにしていることも多いが、任務への義務感は相当なものだ。
それが後々、重荷となるのか、バネとなるのか。
先のことなど誰にもわからない。わからないからこそ、彼女は若さと言う勢いに身を任せ、全力で駆け出すことに決めた。
それから間もなくして、一隻の水陸高速船がサンズ教皇国の国境を越えた。
魔導師エステル・ノーウィックの人生を変える旅がここに始まるのである。