ろくでなしと意気地なし その5
シリウス 劇場広場
『……レゾット・アイン!』
『はっ!』
『気が変わった、撤退だ。迂闊にも遊び過ぎてしまった……弱体化したラスティーラをいたぶったところで何もない』
『よろしいので?』
『十分だ。ヤツはすでに再起不能だ……それよりもエリツィンに先に戻られて、魔導経典を勝手にされては困る。こちらもアルデバランに帰還する』
『了解』
レガランスは先に飛翔した。マジックバーニアの恐るべき加速力に、レガランスの機影は一瞬にして豆粒となった。
完全勝利も時間の問題。アインは兎の生き残りを他の2機に託し、自らもレガランスに続こうとするが――猛烈な金属音の後、レゾット・ドライが彼らの目の前で崩れ落ちた。
『何だ!?』
咄嗟に振り向きドライを見る。すると、彼は腹部を魔導砲で打ち抜かれていたのだ。
鉄塊に成り果てた仲間の延長上にはキエルがいた。彼は銀線細工師にとって禁忌とも言える奥義魔法を発動し、代償として身体機能はもはや立つことすらままらないところにまで低下していた。
「……やっぱ……魔法は……ね……」
ドサッと砂埃を立てて、彼はその場に倒れる。
元々魔力量の少ない銀線細工師にとって、一度の上級魔法を使うことは命の危険を意味する。現に魔力切れで、戦場で死に絶えた銀線細工師も少なくはない。
だが残念なことに、レゾット一体減らした功績が、生きることはなかった――
『力尽きたか……呆気ない』
『ノーウィックの小娘は連行する。ツヴァイ、その男の始末を頼む』
『心得た』
全員の沈黙を確認すると、レゾット2体はそれぞれの後始末に動いた。
だが、彼らはある事態の異変に気づく。
視界の端に火の粉が舞い落ちた。誰もが沈黙しているはずの広場に焔の気配――振り向くと、満身創痍のはずのラスティーラが立ち上がっているではないか。
まるで亡霊のような風体、だが邪気に似た恐ろしい覇気を伴って――
『馬鹿なッ!? レガランス様の青き炎を食らって立ち上がれるはずがないッ!』
『やはり、ヤツは永遠なる障害――ここで伝説に終止符を打つ!』
鉄の心臓が急激に熱を失いながらも、彼らは戦場へと飛び出した。マジックバーニアを噴射し、最高速度を持って空中より同時攻撃に出る。
互いの剣に白蛇の執念を燃やし、彼らは2匹の炎の白蛇を宙に放つ――だが、つい先程とは事情が異なった。
何とあれほど苦戦していた白蛇の執念を、ラスティーラはレガランスの得意技、影火の黒き炎によって相殺してしまったのだ。
この異常に彼らの俊足も止まる。
『影火だと!? 何故ヤツがレガランス様の技を――』
その時、妙な影と突風が彼らの間を吹き抜けた。
『ぐあぁぁぁぁぁ!?』
聞こえたのは、断末魔だった。
咄嗟にアインはそちらを向くが、待っていたのは真っ二つに切り裂かれたツヴァイの胴体。行き場を失った魔力が、スパークを上げ機体を爆砕した。
その煙の中からサファイヤブルーの光が、戦くアインの心に爪を立てる。
『な、なぜだ!? 何故貴様はそこまで……!』
カチャ、カチャ、カチャ――近づくラスティーラの足音に、彼は自分が後退りしていることにも気付いていない。
爆煙の中から怪しく光るエンペラーの刃が垣間見えると、生温かい風が重々しい煙を拭い去り、闘争本能に支配されたラスティーラの全貌が現れた。
この騒ぎに、遠目の観客席で気を失っていたエステルは目を覚ました。只ならぬ気配に状態を起すと、あろうことかラスティーラが悪鬼の猛進を見せ、アインの首根っこを捉えたのである。
「……何?」
『うがぁぁぁぁ!?』
空間に充満するアインの叫び声に、エステルの全神経は叩き起こされた。
どこにそんな力が残っているのか、アインの首を砕く勢いで締め付け、何度も何度も壊れかけた拳でその顔を殴打した。
『うあぁぁぁぁぁぁ!!』
腹いせからの覚醒なのかはわからない。
わからないが、この行動の中にケントはいない――そうエステルは直感した。
ラスティーラはぐったりとしたアインの頭を石舞台にたたき付けた後、脳天を掴んだままレゾット・アインの足を地面から離して、
『やめ……ろ……お前はユーゼス様の――』
『死ね! 憤怒の太陽ァァァ!!』
パッと七芒星魔方陣が円形劇場一杯に広がり、その範囲だけ本物の太陽フレアに劣らない灼熱地獄と化した。
エステルは咄嗟に観客席から離れたが、これが街中で使われていたら被害がどれだけ甚大か、想像もつかなかった。
アルデバランの見境なしとは比較にならない、完全なる暴走だった。
憤怒の太陽の光が弱まると、その後には何もなかった。
掴んでいたアインの機体は微塵の面影もなく、瓦礫と化したツヴァイの亡骸もどこにも見当たらない。でこぼこしていた広場の路面は、一面が溶岩を通り越し蒸発して深くまっさらな穴が空くのみ。
全てを無に帰したラスティーラはしばらく放心状態のように宙を漂い、その場から立ち去った。生身の人間が倒れても大丈夫な場所――そう言うところを選んだのか、彼はエステルから少し離れたところに降り立つと崩れるように天装状態を解いた。
悲しい山吹色の光の雪が辺りに降ると、全てを出し切ったケントがぐったりとその場に倒れていた。
だがエステルには彼に駆け寄る力も、すぐ傍のキエルを起しに行く気力もなかった。
もう全てが、嘆かわしくて仕方なかった。
虚空を見上げると、人知れず彼女は涙を流した。
すると、彼女の背後から今まで様子をうかがっていたのであろう、複数の人間の足音が聞こえた。
――もう、いいや。
そんな諦観に屈した心で、彼女は時に流された。
大人の男性にしては些か軽い足音が一つ、彼女の傍で止まり、その人物は深々と溜息をつくのであった。
「まったく……好き勝手やってくれたな。貴様らも、ナルムーンも」
「……」
「我らが市民に避難指示を出していなかったら、どうなっていたと思う? そう言うことも念頭においてドンパチはやって欲しいものだな!」
現れたのはケントとフェンディを捕らえようとした、髭ロールの警部だった。エステルは直接の面識はなかったが、彼のエンブレムを見るなりこの男が警官であると悟った。
だが、彼はエステル達を捕まえる様子もなく、
「街もボロボロで、至るところでナルムーン派が騒ぎ出した。これでもう……シリウスは魔導騎士団の手に落ちる。後は時間の問題だ……けしからん! 真にけしからんッ!」
「……ごめんなさい」
「…………」
もうそれしか言えないエステルに、髭ロールは少しばかりの哀愁の表情を浮かべた。
遠目で部下の警官がOKサインを出した。彼らは丁度、ケントが倒れているところに着き、様子を伺っていた。
それを見た髭ロールは、
「行くぞ」
エステルにそう言った。
彼女は驚いた顔をして、
「……どこへ?」
「決まっている……ナルムーンがいない場所へだ。ここにいる面子は死ぬほど魔法騎士団が嫌いな連中でな!」
彼は羽根つき帽子を深く被った。髭ロールがゆっくりと歩き出すと、少し離れたところでケントとキエルを担いだ警官達が彼の後に続く。
息を潜めるように、エステルも警官達に急かされて流れに身を委ねた。
そして、彼女達は誰の目にも触れることなく、裁判所の地下深くに辿り着いたのである。