ろくでなしと意気地なし その1
シリウス 劇場広場
ザック、いや、ユーゼス・マックイーンは魔導騎士団を従え、完全にケント・ステファンを包囲していた。もはや一片の気力も窺えない彼にそのようなプレッシャーは意味を成さなかったが、万が一のことを考え、彼は最大級の警戒を払って言葉を続けた。
宿命的な再会の気配に、彼は一点の隙すら見せなかった――
「ラスティーラ、何を迷う必要がある? 元の生活に戻るだけの話だ」
「…………」
「後方部隊で燻っていたお前の才能が開花されるのだ。これ以上の栄華もあるまい」
「――相変わらず、君は人を口説くのが下手クソだね」
やはりか、と彼は静かに視線をケントから外した。
大昔、野外円形劇場であったこの広場は、階段状の客席にぐるりと囲まれている。そのちょうど最上段に彼はいた。
隠れる様子もなく、堂々たる面持ちで、フェィンディ・ノーウィックはかつての戦友の前に姿を現した。
その異変にケントは我に返る。
魔導騎士団は彼の登場に動こうとするが、ユーゼスはそれを制止した。
「……フェンディか、来ると思っていた」
「まさか君にまた会えるとは思っていなかったよ、ユーゼス。随分と出世したじゃないか」
古き戦友を臨むフェンディの表情は、一切の温かみが消えていた。
「お互い様だな。手を汚した甲斐があっただろう?」
「僕が君を裏切ったと言うのかい? それは誤解だ……!」
「満足か? 全て貴様の思い通りだ。思い残すことがなければ、俺はこの場で――」
「僕を殺すかい? 奇遇だ……僕も大事な友人から君を消すように言われてるんだ」
ユーゼスの目元が僅かに動く。
ゆっくりと階段を下りながら、フェンディはジャケットを脱ぎ捨てた。
「覚えてないの? 今の君の行動は、死ぬ前の君が予測していた通りだ」
「何が言いたい?」
すると彼は眼鏡をかけ直し、ケントを見下ろした。
「ケント、君に僕を信じろとは言わない。だけど、言わせてくれ」
「……」
「ユーゼスは死んだ。間違いなく、死んだんだ! そこに立っているのは誰でもない、彼の姿をした別のもの――!」
土の手がユーゼスに襲い掛かる。しかし、彼は眉一つ動かさずに、これを黒い炎の壁で無効化した。
影火――この目で捉えた確証に、ケントの苦しみは増すばかり。
フェンディの腰元には先程までなかったはずのロングソードが装備されていた。彼は剣を引き抜き、切っ先をユーゼスに向けた。
「面白い……貴様らは手を出すなよ」
ユーゼスが剣を引き抜くと、フェンディは滅多にない険しい表情で、
「これ以上ユーゼスの姿をするな! ケントの前で証明してあげるよ……君が一滴の血も流れない作り物だってことを! 本来の姿にお戻り――魔導経典よッ!!」
彼の告発にケントは雷に打たれた気分だった。
「何だって……!?」
フェンディに問う間もなく、決闘の火蓋は切って落とされた。
彼は階段を駆け下り、真っ先にユーゼスの懐に潜り込む。しかし、ユーゼスの身のこなしは鮮やかだった。間合いを捉えたはずのフェンディを切り崩し、容易に剣撃を受け止めた。
これを警戒したフェンディはユーゼスの剣を払いのけ、距離を取る。
僅かな手合わせにも拘らず、フェンティの顔は汗に塗れていた。だが、彼は少し嬉しそうに笑って、
「すごいや……完全なるコピーだ。ケントの剣術を見てピンと来たよ……やっぱり君はとっとと魔導騎士団なんか辞めて、剣の先生になるべきだった!」
「戯言を、俺は俺のままだ。何も変わらない」
「そうかいッ!」
ユーゼスの足元が砂に変わる。流砂の気配に彼は即座に場所を移すが、フェンディは旋風を巻き起こし、砂を宙に吸い上げた。
「剣で真っ向勝負したって君には勝てない。ならば、容赦なく魔法を使わせてもらうッ!」
小型の竜巻は回転速度を上げ、砂は全自動の超高速ヤスリよりも遥かに高い切削力を有していた。形のない凶器はリールから糸が引っ張られるかのように、ユーゼスの身体を引き裂かんと飛びだした。
「仕留めろッ――〈切り裂き魔の砂嵐〉!!」
触れた瞬間、五体は削ぎ落ちる――吹き荒れる殺傷力の塊はたちまち生身のであるユーゼスの動きを捉え、彼を取り巻いた。彼を中心に渦巻く砂嵐、高速ヤスリとも言える風の檻は次の瞬間、
「クローズッ!」
躊躇のないフェンディの命令に、急激に渦を収縮させた――だが、ユーゼスも並みの魔導師にあらず。五体バラバラ直前のところで、彼は反動を覚悟し、渦内で大規模な酸素爆発を起こした。その爆風で竜巻は内圧に形状を維持できず、即座に相殺される。
しかし、フェンディはそんなこと承知の上。むしろ彼は自身の奥義魔法が打ち消される瞬間を待っていた。
それは唯一、ユーゼスがフェンディを見失う魔の数秒間。
爆煙を隠れ蓑に、フェンディはついに間合いを奪った――
「!?」
「これで終わりだッ!」
死角から現れたフェンディのロングソードが、ユーゼスの喉を貫かんとした。
だが、切っ先は照準を外す。ユーゼスは恐ろしいほど冷静さを欠かなかった。ロングソードの鞘でフェンディの手元を突き、軌道を大きく逸らしたのだ。
刃は彼のこめかみをかすり、頭巾を切り裂いた。攻撃が大振りになったフェンディは、気付かぬ間に彼に反撃の隙を与えてしまう――
「――がはぁッ!?」
ユーゼスの剣の柄頭が、鳩尾に食い込んだ。一気に動きを失う彼に、ユーゼスは声一つ上げずに、回し蹴りで彼を間合いの外に吹っ飛ばす。
フェンディの手元から剣が転がり、ケントの目の前で止まった。
彼は激しく動揺した。
フェンディがボロボロにされていることではない――剣の切っ先に示された、痛烈な真実に、ついに彼は沈黙を破った。
「フェンディ……おかしくなってる」
「そう……だね……こんなに力量が違った記憶はないんだが――」
「違う。剣だ……剣の切っ先に血がついてる」
ケントの言葉にフェンディは停止した。
――ポタ、ポタ、ポタ。
ゆっくりと視線を上げる。近づく鎧の足音。その左足の傍で真っ紅な雫が足跡を残す。ユーゼスがフェンディの目の前で立ち止まると、彼の顔から破れた頭巾が、石造りの舞台の上にするりと落ちた。
太陽の光は嘘をつかない。だが、この光景は彼の確信を大きく覆す事態となった。
彼はユーゼスの切れたこめかみを見て、
「魔導経典のはずだ……君は……」
「……」
「なのに……なのに何故、人形が血を流せる……!?」
「言ったはずだ、俺は俺だと」
ユーゼスのこめかみから流れる鮮血に、フェンディの戦う意志は砂の如く崩れ落ちた。確信的な仮説の否定――その結論はこうだ。
彼は本物だ。
本物の意志を持ち、本物の力を駆使して彼らの前に立ちはだかる。彼の行動を顧みれば、最悪の真実に辿り着かざるを得ない。
全てが、分からなくなってしまった――
「そうか……君を変えてしまったのは僕なのか……」
その時、ユーゼスは初めて哀愁の意を表して、座り込むフェンディの前に跪き、彼の肩に手をかけた。
そして、
「気は済んだか?」
小さく鈍い衝撃が、フェンディの身体を揺らした。
何が起こったのか――あばら骨の間に何かが食い込む感覚と鼻につく血の匂い。遠退く意識の中で、フェンディは自分の身に何が起きたのか悟った。
胸に、剣が突き刺さっているのだ――
「フェンディッ!?」
その悲劇にケントは絶望した。
悪魔の如くユーゼスは、何の躊躇もなくフェンディの左胸から自らの剣を引き抜き、舞台を鮮血に染め上げる。血飛沫を上げて、フェンディは無言のまま崩れ落ちた。
――ごめんよ、エステル。