太陽は沈む その3
遺跡都市シリウス カヤブ教会 談話室
未だケントを連れて帰ってこないフェンディに、エステルは業を煮やしていた。お世辞にも清純派と言えない仏頂面。イライラしているのは誰の目にも明らかであった。
「落ち着け、エステル。帰ってくるって……だから帽子ぐらい取れ」
「ダメです。頭の上を見てください」
「は?」
制帽を少し浮かせ、小声で彼女は指し示した。
キエルが不思議そうに帽子の中を覗き込むと、ピンクの兎の尻尾がゴソゴソと動いているのが見えた。
「ありゃ、バニー……どうしたんだよ? お前らメス同士だから、いつもギスギスしてるのに、今日に限って仲良しじゃねぇか!」
「うぅ……肩が凝る! バニーちゃん、キエルの服の中に隠れてください!」
『キュ!』
嫌だと、帽子の中でピンクの毛玉はそっぽを向いた。
キエルはこの行動を不審に思った。なぜなら、バニーはエステルと仲が悪い。バニーのお気に入り順序は、フェンディ、キエル、ショコラとなり、この中の誰かに甘えにやってくる。順序が変わるとしても、ここにケントが食い込むぐらいで、基本的に男性以外に懐かない。
バニーは魔法の産物故に、性別があるわけではないが、こう言った特徴が目立つ。そのため普段を良く知る彼らにとって、バニーのこの行動は奇怪に見えたのだ。
向かい側の扉を誰かがノックした。彼らが立ち上がると、司祭が中に入ってきた。
「ああっ、どうぞそのまま! 疲れたでしょう? お茶にしませんか?」
運ばれてきたお菓子と紅茶をじっと見つめて、エステルは席に就くなり、持参した水筒をテーブルに置いた。
「……ごめんさない。私、ダイエット中なんです。折角ですが、また今度の機会にします」
水筒からマイカップに水を注ぐエステルを見て、キエルは僅かに眉を動かした。
「なんと、それ以上痩せてどうするのです! 副長殿は?」
「そうだな……一杯だけ入れて置いてください。菓子はいいです」
それを聞いて、給仕係は一杯だけ紅茶を注いでくれた。
「ところで、エステル殿。大変恐縮でございますが、デネボラで奪取した魔導経典をどちらにお持ちになったのです?」
その質問にエステルはニコりともしなかった。ただ人形のように無機質な表情で、
「内緒です。申し訳ありませんが、それが我らの掟です」
極めて冷淡に答えた。
司祭と給仕係は思わず顔を見合わせた。
「内緒とは……水くさい。我々とて、在りかを心得ておけば守りに徹し易いというのに」
「……ご存知のように、魔導経典は破れた1ページの状態でいるとは限りません。彼らは変幻自在、何にでも姿を変えます。それは他ならぬ、防衛手段がためです」
エステルはマイカップの水を口にした。
「故にその在り処を口にすることは、大いなる魔導の神の意思を愚弄するに値します」
「その……エステル殿? 何もそこまで突き放すことはないでしょう? 私どもはサンズの力として、お役に立ちたいだけですのに」
「ならば、在り処を問わぬが条理でしょう」
「随分、信用していただけていないようですな? 我々とて、あなた方をここに入れることにどれだけ苦労したかと思っているのですか!」
「魔導経典の価値は、あなた方の苦労と天秤にはかけられません!」
ガタンッと、エステルのカップが音を立てた。
緊迫する室内。司祭はエステルを不審に思い、キエルを見たが、彼は止める様子もなく徐にカップの紅茶を眺めていた。
「これだけは言わせて貰います。私は教皇様より、魔導経典の代弁者として唯一許された魔導師。それも我が祖先が魔導経典の心臓により、黄泉から返り咲いたため――」
そして、凛然とした眼で彼らを見据える。
「魔導経典の申し子、創始ノーウィックの末裔〈エステル・ノーウィック〉だからに他なりません。あなたもサンズの司祭なら、伝えられているはずです」
「な、何を……」
「『スターダスト・バニーに魔導経典の在りかを尋ねるな』と。勅命が下っているはずなのに、ご存じないのですか?」
「そ、それは……」
「時に、司祭様。俺からもお聞きしたいことがあるんスけど」
沈黙を保っていたキエルが口を開いた。
「な、何だね?」
「皆様は今朝、我々が戦っていたのをご覧になられたんですかい?」
「いや……亡霊なる機兵と戦艦が交戦していると、城外警備隊から情報を得ただけです」
するとキエルはわざとらしく首をかしげた。
「マジっすか? そりゃ、おかしいわ」
「な、なぜ?」
「俺達は魔法迷彩を入港寸前まで外さなかった。だから、亡霊なる機兵は確認できても、城外警備隊に戦艦だとわかるはずがない」
司祭は酷く狼狽した。
「言葉のあやです! 君達が正体不明の亡霊なる機兵と戦っていたのは事実だろう? だからそう思ったのですよ!」
「正体不明? ますますおかしいです! 司祭様はさっきはっきりと、レガランスと言っていました。どうしてわかったんです? 私達は誰も言ってませんよ?」
今度はエステルが加勢する。それにしても、酷いぶりっ子だ。
「そ、それは君達の仲間が――」
「それはない。あんたらに接触しないために船体清掃してたんだからな」
「うっ――け、警備隊からの情報も得ていた! だからだ!」
ご覧の通り、司祭の額には脂汗がぎっしりだ。数分前の善人の顔は何処へ、ここにあるのは仮面を剥がされた悪人の切迫の表情。
しかし、彼はこの発言が墓穴を掘っていたとは夢にも思わなかった――
「警備隊の情報ですか!? もっともあり得ないことですね! 私達が戦闘していたのは、ナルムーンの領内です。しかも、場外警備隊の行動範囲外です。シリウスがこの情報を得るには、私達が喋る以外に不可能です」
「まあ、つまり……司祭様はナルムーンにも縁があるということだ」
肩肘を突いたまま、キエルは手付かずの紅茶をテープルの花瓶の中に流し込んだ。
たちまち異変は起きた。花瓶の中の生花が一瞬にして萎れてしまったのだ。それを目の当たりにした給仕係と司祭は唸り声を上げる。
「まあ! 随分刺激の強いお茶なんですね~」
「くっ……!」
嫌味たっぷりの毒を、洗い流せる言い分が彼らのどこにあろうか。
もはやこれ以上、偽りの司祭を演じる必要はなかった――
「……ええいッ! 者ども出会え! 出会えェェェ!」
司祭の掛け声に、部屋の外で息を潜めていた教壇信者が、武器を手に一斉に彼らを取り巻いた。この絶対的な有利を勝ち取った司際は、絵に描いたような悪人面で笑った。
「教皇の狗めが……命が惜しくば、魔導経典を寄越せッ!」
「ウ・サ・ギです! 寄越せと言われて、素直に渡す盗賊がいるものですか!」
エステルとキエルはメジャーバトンと銀線細工を構えた。
「キエル、無法者の恐ろしさを思い知らせてやりますよッ!」
「承知だ、お頭!」
「たわけが! 者ども、かかれぇーッ!」
ついに戦闘は幕を切った。
数秒後、カヤブ教会は大混乱に陥るのであった――