太陽は沈む その2
遺跡都市シリウス 街中
いつの間にか、子供や老人といた住民の姿が消え、物陰から黒い制服に身を包んだ屈強な男達の姿が垣間見える。
ケントもそれに気づくと慌てて立ち上がった。
だが、フェンディは至って冷静に、
「おやおや、今日は聴講生が多いこと!」
わざと聞こえるように言い放った。
すると、黒い制服の男達は姿を露にし、リーダー格のらしき、羽根つき帽子をかぶったヒゲと縦ロールのオッサンが前に出た。鼻息を荒げ、縦ロールのオッサンは目一杯、口元の髭を動かして、
「フェンディ・ノーウィックだな!?」
お決まりのパターンに、フェンディは笑顔で応えた。
「言っておくけど、警察権以外の紛争は禁止だよ?」
「安心しろ、逮捕状が出ている。署まで同行してもらおう!」
「罪状も聞いてないのに? 僕はシリウスに来て、まだ何もやらかしてないよ!」
「何と図太い男だ……! たった今、やらかしたことに気づかんとは!」
首をかしげるフェンディに、髭縦ロールの警官はこれ以上汚いものはないという風に逮捕状をつまみ、読み上げた。
「年齢詐称と器物損壊! 後項は『石像に発情した、おかしなやつがいる』と、近隣住民から通報があったッ! 爽やかな朝を台無しにしおって、なんと汚らわしいヤツだ……!」
嫌味ったらしい髭ロールに、フェンディはついに怒ったのか、厳しい表情で、
「――訂正しろ。正しくは公然わいせつだッ! クリスティーヌを石像なんて、物扱いするんじゃないッ!!」
そう、言った。
ケントはあんぐり口を開けて、
「真顔で何言ってんの!? つか、クリスティーヌって誰!?」
「隣の貴様も共犯か!?」
「――いえ、僕も通報者の一人です」
「ケント……!? やはり、君は恋愛の何たるかがわかっていないッ!」
「ええ……! 人間と人間以外は知りたくもありません」
フェンディの悪意なきボケに、彼は華麗にツッコみと掌を返してやるが、オブザーバーは黙ってコントの終わりを待ってはくれない。
警官隊は次々にサーベルを引き抜き、
「ええい、ごちゃごちゃうるさいやつらめ! とにかく逮捕だ、逮捕だ! その見かけで三十路など抜かしおって!」
「やった、まだイケる」
「喜んでる場合かッ!」
「総員、フェィンディ・ノーウィックを捕らえろッ!」
ついにその時は来た。髭縦ロールの号令に武装警官が一斉に広場へと流れ込み、穏やかな空間は一瞬にして怒号飛び交う合戦場へと変貌する。
「もう! 穏便にいこうよ!」
と言いつつも、襲い掛かる警官にバッコン、バッコン、土のアッパーカットを食らわせているフェンディ。やる気満々なのは結構だが、夢中になり過ぎて、関係のないはずのケントまで巻き込まれていることに気づいていない。
うっかり投げ縄に足を取られ、ケントは引きずられながら、
「ちょっと! 何で俺まで!?」
「……そう言えば何でだ?」
「嘘ぉ!? ちゃんと罪状確認して!!」
手綱を握る、うっかり者の巡査はわざとらしくペロりと舌を出し、コツンと自分の頭を叩いた。これにはさすがケントも額に青筋を浮かべる。
すると、まるでフォローに入るかのように、髭縦ロールが仁王立ちでケントの真正面に立った。
「ケント・ステファン、貴様の方が大罪だ。ナルムーンから国際指名手配の通達があった。生憎、中立都市と言えど脱走兵を匿うほど懐は深くはないッ!」
「んなっ!?」
「弁明の機会も与えん! 神妙にお縄につけぃ!」
ぐうの音も出ないとはこのこと。中立と言う利益を守るために、彼らは待ったなしにケントをナルムーンに差し出すのは明快。これ以上何を言ったところで聞かないのだ。
「こんのッ――」
その瞬間、ケントはキレた。
火事場の馬鹿力を発揮し、足に括りつけられた縄を引っ張り返す。
「うおっ!?」
「うぉりゃァァ!!」
転倒した巡査の腹に、仰向けの体制のまま蹴りを一撃食らわす。呻き声を上げる巡査。その隙に彼は立ち上がり、巡査の腰からサーベルを強奪。ロープを切断し、即座に襲い掛かる警官の剣撃を弾き返した。
「な、何だ、こいつは!?」
圧巻の立ち振る舞いに、唖然とする髭縦ロール。
それも当然だ。三下のヒラ兵士、それも事務系と侮っていた彼が、あろうことか武装警官相手をバッタバッタなぎ倒し、魔導騎士団も顔負けの奮闘振りを見せ付けている。
――一体、ヤツは何者だ!?
「警部! あいつ強いです! 手に負えません!」
「おのれぇ……! 一人ずつ掛かるな! 数人で一斉にかかれッ!!」
シリウス警察にだって意地がある。
そのためにプライドは捨てる――目配せをした5人の警官は息を合わせ、一斉にケントに斬りかかった。
「――!」
「チェストォォォ――」
だが、少年の覇気に大人達は屈服した。
騎士道の欠片もない攻撃に向けられたのは、死んだ魚の目ではなく、勇者の眼光。鋭い殺気が一瞬で彼らの心を串刺しにし、そして、
「うぉぉぉぉぉッ!!」
彼の正面に立った警官は猛々しい雄叫びに足元がすくむ。次の瞬間には手元のサーベルを地面に叩き落され、顔面を何かで殴打された。サーベルの柄頭だった。
鼻血を噴き出して崩れる仲間――仇を取るべく、背後からまた警官が一人、ケントの背中に刃を振り下ろす。しかし、カキンッ! と何か硬い物体に刃は弾かれ、ケントに反転を許してしまう。
次の攻撃への刹那、警官は視認した。
彼のサーベルをガードしたのは、そろばんだった。少年は左手のそろばんをマインゴーシュの如く駆使し、仲間の連続攻撃をガード。
柔軟な動きで、彼はたちまち仲間を踏み台に宙に舞い、別の警官の顔面に飛び蹴りを食らわす。泡を吹いてまた一人撃沈。
「俺、これ嫌いッ! 交換、交換!」
などと、自身のサーベルを捨て去り、そろばんを腰へ。しかし、この少年、かなりノリノリである。失神した警官からロングソードと短剣に武装をチェンジするなり、彼はいきなり警官二人相手に飛び出すのであった。
激しい金属音と火花が散る――こともなく、勝敗は決した。なんと、鍔迫り合いに持ち込めないほど、ケントと警官の力量は雲泥。斬りかかれば軽くケントに流され、鳩尾に一撃と頸椎に一撃。警官二人、同時に急所を柄頭で殴られ、失神。
あと一人――
「くっそォォォォ!? このラスボスめッ!!」
「お年でしょ? 大人しくしてって!」
武装警官部隊、最後の一人は勇猛にも彼に突撃。サーベルを振り落とすが、ロングソードと短剣のクロスに刃が挟まれる。警官は意地でも抜こうとするが、サーベルはうんともすんともしない。
「ふんぬぅぅぅぅ!? おのれ、クソガキ! オッサンの力を思いし――」
「よっこら――せッ!」
パキーンッ!
明らかに何かが折れた音の後、警官の手元が異常に軽くなった。
これは予想外のチート剣士だ。とにかく視線を落とすのが怖い。とりあえず、殴られたくないし、痛いのはヤダ。
思考を巡らせ、オッサン警官が辿り着いたのはとあるひらめき。最終手段に全てを掛け、彼は不適に笑ってみせる。
そして、
――俺の負けだ。少年よ、オッサンを越えて行け。
と、キラキラとした瞳をケントに向けてみるが、若者世代は極めてドライだった。夢に満ちたオッサン世代の顔面に、無表情で左ストレートをぶち噛ます。
歪む顔面。砕ける期待。
この瞬間を機に、彼は若者を馬鹿にすることを止めた。
あっという間に部下は全滅。この事態に髭縦ロールはダラダラと汗を流し、
「バ、バカな……!? ただの勘定係じゃないのか!?」
「――最近の若者はキレると怖いっていうからね」
「そんなことを言ってる場合――え?」
ガッと誰かが肩を掴んだ。見上げるとお尋ね者のフェンディの黒い笑顔が、燦々と輝いているではないか。
彼は恐る恐るフェンディの背後を伺った。
見るも無残な警官達。ボッコボコにされて、ノックアウトの山が出来上がっていた。
「……うむ」
彼は表情を変える余裕もあらず。ただ噴き出る汗を拭いまくり、どうしようか思考をめぐらせた。
「ねぇ、オッサン。帰っていい?」
「……いいと思います」
ケントは剣をその場に投げ捨て、深々と溜息をついた。
しかし、神は彼らに更なる試練を与える。遠くから馬の鳴き声が届き、その数秒後、蹄鉄の音が濁流となって近づいてくるのがわかった。
「何だ?」
「――いかん! 魔導騎士団だ! 早く逃げるのだッ!」
髭縦ロールは血相抱えてケントに訴えると、慌てて自らも失神している仲間に加わり、気絶した振りを始めた。
「ちょっと!? それ反則――」
「ケント逃げるぞッ!」
構っている暇などなかった。
魔導騎士団の戦闘を切る駿馬が、まさに広場に現れんとしていた。咄嗟に機転を利かせたフェンディが噴水を爆破させ、辺りは真っ白な霧に包まれる。
この事態に、先遣隊は馬を止め、
「ええい……! 気づかれたか。手分けして探すぞ!」
単なる目くらましに過ぎなかったが、二人が広場を離脱するには十分だった。
フェンディはすぐさま、ケントを連れて真っ白な霧に満ちた裏路地を突き進んでいた。しばらく進むと霧は薄まり、教会への隠しルートの入口が目前となっていた。
フェンディは安堵した。
「もう大丈夫だよ、ケント。ここから先は一本道だ。とにかくエステルと合流して――」
「……」
フェンディは振り返るが、さてどうしたことだろう。
彼は重大な間違いをしでかしたことに気づいてしまった。だが、このタイミングでそれを認めるのは、タフな精神の彼でもかなりきつい。
何というか、仲間に申し分が立たない――
「……ケント。髭か縦ロール、どっちかにしたほうがいいと思うよ?」
「そりゃ、ダメよ。間違いは認めなきゃ」
「――どうして、死んだ振りしてなかったの!?」
「噴水を爆破させた、貴様が悪い!! 思わず飛び起きたわッ!」
彼は頭に出来たタンコブを指差し、プンプン怒っていた。
フェンディはやらかした。目くらましをしたはいいが、噴水を爆破させた際に吹っ飛んだ破片があろうことか髭縦ロールの警部に直撃し、彼をたたき起こしてしまったのである。その時、ケントと間違えて彼の手を取り、ここまで逃げてきてしまったのだ。
「まずい……! ケント!」
初めてフェンディの顔から余裕が消えた。
◆ ◆ ◆
天丼なんて手法はシナリオ的に枯渇している証拠だ! と、ケントは言葉にならない怒りを腹に秘め、塀に囲まれた狭い路地をとにかく全力疾走していた。
「くっそッ! またかよォォォォ!?」
「見つけたぞ! 逃がすなッ!」
魔導騎士団の黒い馬が、続々と彼に迫ってくる。足で逃げようなんて思っちゃいけない。思ってはいけないが、ここは逃げ場のない一本道。他にどうすることも出来ない。
――やばい、今度こそ終わる!
彼の息が限界に達した時、ついに曲がり角に差し掛かった。
魔導騎士団はここぞとばかりに彼を追い込みに速度を上げる。しかし、先頭馬が突き当たりを抜けた際、あらぬ景色に一同は思わず足を止めることになる。
細く続く一本道、その先にケントの姿はなかった――
「馬鹿な!? どこに消えたのだ!?」
騎馬隊はしばらく辺りを見回すが、どこもかしこも壁。横道も塀を抜けるような扉もどこにも見当たらない。行くとしたら、このまま直進するしかないのだ。
「……仲間の待ち伏せがあったのかもしれません」
「それしかないな。進むぞ!」
騎馬隊はこの先に仲間と合流したケントがいると確信して、馬を走らせた。
だが、実際はその逆であった。
騎馬隊が見えなくなると、土色の塀の一部が透過し、新しい道が出現した。魔法の偽装壁だった。その奥から、息を弾ませて座り込むケントともう一人、見知らぬ黒尽くめの男が立っていた。
何はともあれ、危機は去った。
「た、助かった……! どなたか知らないけどありが――」
命の恩人である黒尽くめの男を見上げる。だが、彼は何を言うわけでもなく、徐に頭巾を外し始めた。
そして、頭巾の下から現れた男の顔に、ケントは絶句した――