呪われた記憶 その4
スターダスト・バニー 母艦〈バニー〉内
エステルは舞台をキャプテンシートに直し、ぐったりと座り込んだ。砲座に着いたキエル達も汗を拭い、一息つくが、依然としてレーダーから目を離すことができない。
「おかしいぜ……ヤツが追ってくる気配がない。何企んでやがるんだ……」
「どちらにせよ、間もなくシリウスに入港できます。そこにいるサンズ派の力を借りれば、何とか対応策も思いつけるはずです」
「そうだね。彼にかけられた呪いの正体も探れるし――」
フェンディは横目で救護係に介抱されているケントを見た。
いつ間にか、またも意識を失っている。だが、それも致し方ない理由があった。
「……帰化の反動ってヤツか。やっぱり、現状だと即戦力として当てにはできないな」
「仕方ないよ。追撃者のレガランスは、ラスティーラの天敵。あの邪竜、ヴァルムドーレを作った、恐ろしい亡霊なる機兵なんだ。今頃、前世と現世の自我の混乱で頭の中がパンクしそうになってるに違いない」
「……」
エステルもそっと、ケントの姿を確認した。
「でも、本来ならこういう不安定な状態にしないよう、サポートするのがコンダクターの務めなんだよ? エステル」
ギクッと彼女は肩を狭める。
「できてない、ってことだよね? 厳しく言うと」
「それは……でもまだ、出会ったばかりで――」
「言い訳にはならないよ。君は一応、軍属の魔導師でもある。スターダスト・バニーの活動は任務の内だし、ラスティーラを味方に引き入れることも大事な使命だ」
「……はい」
フェンディは珍しく、戒めるような口調でそう言った。変人と言ってもやはりエステルの兄は兄、彼女は委縮した様子で滅多にない説教を聞き入れていた。
「失敗は許されないよ、エステル。ナルムーンの勢いを止めるには彼の存在は不可欠だ。死なれても困るし、寝返られても困る。君は何としても、彼と志を共にしなくてはならない。それが亡霊なる機兵と魔導指揮者のあるべき姿だよ」
この言葉に身を引き締めたのはエステルだけでない、キエルを始め、他のメンバーも彼女と同じ気持ちでいた。
「……さすがは、ノーウィック家当主のお言葉だ。何のために、俺達がここまで命を張ってきたのか忘れちゃいけねぇぜ」
「ま、年長者としての意見だけどね」
「フェンディ、もう一つ聞きたいことがあります」
「何? エステル」
エステルはホットケーキに指示し、レガランスの画像をモニターに映した。それはレガランスの白い炎によってエステルの奥義魔法が無効化された際の映像であった。
「フェンディ、レガランスは一体誰ですか? この白い炎……私の進撃する太陽よりも遥かに温度が高いです。私の知る限り、炎魔法の達者な火星型でも太陽型の奥義魔法をこんな簡単に無効化するなんて聞いたことがありません。亡霊なる機兵という理由だけでは説明になりませんよ」
憎らしげな表情で、彼女は自分達を弄ぶ追撃者の情報を求めた。
「僕も一度、戦場で出会っただけだ。すぐに不利とわかって撤退したから、何とも言えないけど……」
「嘘です。さっき反撃に出ようとした私を止めましたね? その時、あなたはいかにも彼をよく知っている風に見えました。隠すほど、何か危険なことでもあるのですか?」
周囲の注意が一斉にフェンディに向くが、その無言の圧力さえも彼の前では無意味なものだった。彼は淡々とした様子で、まくり上げたシャツの袖を直し、
「……憶測でものを話すのはよくないよ、エステル。でも、レガランスの能力については君達よりは知っている。ケント君が目覚めたら、対抗策を話し合おう」
そう言うだけであった。
「…………」
兄が本当に嘘をついているのか、確証はないが、彼の返事に納得することはできなかった。割と質問にしっかり答えてくれる彼であるからこそ、この後味の悪い回答に妙な胸騒ぎを覚えるのだ。
それから間もなくして、母艦バニーはナルムーンとサンズの境界線の街、シリウスに到着した。街に潜伏しているサンズ派の指示に従った彼らは、南側の水門から秘密裏に城壁内へと入り、一時的に緊張状態から解放された。
ケントが目覚めたのは、都合よくもこの時であった。
◆ ◆ ◆
アルデバラン 地下深層 教団本部
レガランスよりスターダスト・バニーがシリウス入りをした情報を聞き、教団の幹部は地下の秘密大聖堂へと集められた。
昼寝最中のフランチェス大元帥も教団の者に叩き起こされ、しぶしぶ重っ苦しい議会の席に着く。面子を見れば、ため息の出る堅物ばかりであった。
「泥棒兎がシリウスに逃げ込んだと情報を得ています。予想通りの展開ですな」
「ヤツらが教皇の回し者であることは明確。これで古典派の連中への切り札は増えた」
「問題はラスティーラの復活だ。あと一歩のところで、忌々しい……!」
「まあまあ、デネボラで盗まれた魔導経典を取り戻せば済むことです。ラスティーラは帰化したばかり、とてもレガランスの相手になるとは思えません」
会話の内容は予想通り。暇を持て余した、くだらない人間達の戯れ言だと、世の条理を知る老人は円卓に頬杖をついていた。
「……あのさ、君達。ユーゼスにも言ったけど、邪竜は君らの手に負えるものではない。復活させたところで、ナルムーンごと大陸が火の海になるのは目に見えておるじゃろうが」
私利私欲に満ちた彼らの談議に、フランチェスはあえて水を差す。案の定、他の司祭達は苦い顔で笑って、ご機嫌取りを始めた。
「おやおや、これは手厳しい。おっしゃる意味もわかりますが、南西の小国は相次いでサンズと手を組み我々を滅ぼそうとしています。サンズが残りの魔導経典の全てを握っている以上、この脅威にナルムーンが勝つためにはヴァルムドーレの力なくして敵いますまい」
「フランチェス大元帥、どうか苦渋の決断を強いられているのだと、ご理解を――」
「ナルムーンじゃない、新派のためじゃろ? 自分達の教団のために、のぉ?」
誰に向かって、そんな白々しい言い訳ができるのだと――鋭い視線でフランチェスは円卓の面々を一望した。どいつもこいつも、真っ黒な腹を真っ白い司祭服で隠した鬼ばかり。
誰も彼も、人としての表情が死んでいる――
「人間を滅ぼすことがそんなに楽しいのか?」
「滅ぼすのではありません。あるべき姿に還すのです」
「フランチェス様、あなたは軍の最高責任者ですが、この地下から出られぬ身。地上のことを気にする必要などありません。どうか、ご理解いただきたく存じます」
その返事は、つまりはこうだ。
我々の未来は我々で決める、と。
「……ふんっ、勝手にすれば? なーんだ、ワシ抜きでも十分な会議で結構なことじゃ」
議論なんて端からするはずもなかった。彼らは決定事項をただ自分に報告しに来ただけだ。
傲慢な権力者達はすでに欲望を成就させる道筋を立て、実行に移したのだろう。あとはもう、邪竜がそれを叶えてくれるだけなのだ。
フランチェスは老人の小さな肩を怒らせて、議場を後にした。
それを確認した教団の幹部達は、相次いで仮面を剥がしたように表情を変え、
「あの老人に注意しろ。万一、逃げだされもしたら計画は台無しだ」
「心得ています、エリツィン司教。あとはシリウスで花火が上がるのを待つだけ」
紫紺のミトラと鎧に身を包んだ、白髪の混じりの司祭は、部下の言葉に不敵な笑みを浮かべた。エリツィンと呼ばれたこの男は、同格の司教が連なる中で、人知れず中心人物としての風格を携えていた。
彼の合図により、円卓のメンバーは席を立ち、次なる行動へと移った。
◆ ◆ ◆
フランチェスはそんな彼らの気配を察知すると、寝室同然の部屋の中で一人呟いた。
「悲しいのぉ……人間の世になっても何も変わらぬ。相変わらず世界は亡者の巣窟だぞい。何のために皆、命を懸けたんじゃろうな?」
彼は脚立に上り、足りない身長を精一杯伸ばして、本棚から一冊の本を手にした。埃にまみれた一冊を綺麗にしようと息を吹きかけるが、舞い上がった塵に咽かえる。
ふさふさの白い髭から埃を払い、彼はフットワーク良く脚立から降りた。そしてすぐ、手にした本を開く。
本は白紙だった。しかし、開けて数秒後、驚いたことに勝手に文字が浮かびあがってきたのだ。
それは自動書記――フランチェスが見たいと思ったものの状況を詳細に描写してくれる、遠隔透視魔法の媒体であった。
「いつまでも、オブザーバーでいると思ったら大間違いよん」
フランチェスはさらに羽ペンを持ち、何やら白紙のスペースに自ら何かを書き始めた。