呪われた記憶 その3
ナルムーン国境付近 スターダスト・バニー母艦〈バニー〉 ブリッジ
「敵襲か!?」
「ショコラさん、索敵を!」
「索敵限界領域に高速飛行体あり! 反応1機……間違いない、亡霊なる機兵です!」
モニターに映るレーダーの拡大画像に、その場にいた全員は瞬時に顔つきを変えて、それぞれの持ち場に着いた。
エステルは顔をしかめて、
「バニーちゃん、これを教えてくださったんですね? 射程距離と攻撃力からして、とんでもない相手のようです……!」
バニーは頷くと、キャプテンシートをエステルに譲り、ケントの肩の上へと移動した。
「アルデバランの追撃か。1機で仕掛けて来るなんて……まさか、ギルタイガーか!?」
「わかりません。バニーの力でも鮮明な画像を映せないようです。ただ、今の母艦は魔法迷彩のおかげで肉眼やレーダーでは追えないはず。亡霊なる機兵も条件は同じです」
「だとしたら、俺達の出方を読むための挑発か」
「そう思います。おそらく、敵は爆煙を起こしてバニーの正確な位置を探ろうとしています。見えなくても、質量があることには違いありませんから」
妹の言葉に兄は頷いた。
「煙の動きから僕らの位置は丸見えだ。風魔法でごまかすしかない。手伝うよ」
「ええ。敵がこちらを見失う可能性も十分に見込めますが、振り切れない場合、反撃に出ます。銀線細工師はバニーへの魔力転送準備を!」
「お頭、画像出せます!」
「出してください!」
正面のメインモニターに小さな機影が映される。方向は真東。大気を揺らす朝日の中から、見たことのない亡霊なる機兵が一体、超高速飛行で接近する。照り付ける太陽にアメジスト・バイオレットの装甲が怪しく光り、ルビー色の瞳がモニター越しの彼らを見据えている。
今までの敵と何かが違う――その直感は、沈黙していたケントの次の発言によって、確かなものとなる。
「ダメだ……レガ……ランス……!」
「――!? レガランスって、あの錬金術師と呼ばれた亡霊なる機兵のことかい!?」
真っ先に反応したのはフェンディだった。彼以外のメンバーもその名を知らないわけでもなかったが、それ以上に、フェンディのリアクションは生々しいものであった。
彼の問いに、白昼夢でも見ているかのようにケントは沈黙した。
だが、これはイエスと言ったに等しい反応。フェンディは顔を真っ青にして、
「エステル、逃げろッ!」
「待ってください! 反撃のチャンスも――」
「僕はあの亡霊なる機兵を知っている。前の戦争で実際に戦った……もし、本人だとしたら、僕らに勝ち目はない!」
とてもわかりやすい状況だ。自由奔放なフェンディが動揺を抑えてまで、場が混乱しないよう言葉を選んでいる。
その兄の言動を、妹は重く見た――
「バニーちゃん! エンジン全開、取り舵30! シリウスまで何としても逃げ切ってやりますよッ!」
「銀線細工師は相棒を船とドッキングさせろ! 全員、魔力を防御へと集中させる!」
戦闘の始まりに、フェンディは急いでケントの鎖を解錠した。
キエル達は自身の銀線細工と特殊コードを用いて母艦と接続させ、防御魔法壁の強度に尽力を注ぐ。それが功を奏したのか、船体の揺れが先ほどよりは弱まった。
しかし、それは単なる気休めでしかない。レガランスの速度はやがてバニーを上回る。
容赦ない爆撃が続き、進路上に敵の魔法陣が出現。発動警戒――
「回避ッ!」
操舵手のマカロンは力いっぱい舵を切るが、レガランスの攻撃は緻密に計算されたものであった。
なんと、回避方向上に魔法陣が転送。裏を読まれたのである。
「しまっ――」
キエル達が全力で白金の船体に魔法防御壁を張るが時遅し。魔法陣から、灼熱のマグマが噴出し、バニーは壮烈な勢いで噴射口に突っ込んだ。
火山岩とマグマの噴射圧が船内を大きく揺さぶり、各部への異常を知らせる警報が鳴り響く。船内温度も急上昇。熱伝導まで計算されているのか、銀線細工師達は熱せられた自分達の相棒に次々と悲鳴を上げる。
ケントの頭の上で、兎のバニーは苦しそうな顔をしている。
すると、自由の身になったケントは徐に右手を掲げる。現れる七芒星と魔法発動の気配、彼が何をしようとしているのか、明白だった――
「まさか、やめるんだ!」
「天装――」
ケントの顔つきは正気ではなかった。
船内の大気が彼を中心に渦巻く。バニーもやめろと言わんばかりに彼の頭で跳ね回るが、彼から溢れ出る覇気と魔力に吹っ飛ばされる。
そして、
「――ラスティィィラァッ!!」
ボフッ。
予想の斜め上を行く結果だった。スカスカの爆弾が爆発したような音だけ残して、彼はその場に倒れた。
――この忙しいときに何をしてんだ!
と、誰もがツッコミたくなる気持ちを堪え、
「どうしたのですか!? 何で天装できないのですか!」
「……ダルい。そして気持ちが悪い、動けない」
「はあ!? 何、休日のお父さんみたいなこと言って――」
「違う、エステル……よく見てごらん」
フェンディは彼に回復魔法を施そうとした。しかし、かけるや否や、黒い炎が彼の体を覆い、何人たりとも彼に触れさせぬよう燃え上がる。
キャプテンシートのエステルの顔が青ざめた。
「これは……呪いですか?」
「君も薄々気づいていたんじゃないのか? 彼はこのせいで本来の魔力が半分も使えてないし、回復にも時間がかかってる。誰がかけたか知らないが、昨日今日にかけられたものじゃない……ケント君、心当たりはないのかい?」
「心当たり……わからない」
ケントは床と一体化しそうな顔でそう答えた。
エステルは前々からこの呪いの存在に気づいていた。しかし、それは運のない彼が何かのまじないに引っかかってしまった程度のものだとしか認識はしておらず、昨夜、今回の事がなければ取ってやろうとしていたのだ。
だが、彼女の考えは甘かった。
普通そうに見えて、彼は根強くも深い闇をどこかに抱えている――
「これが解けない限り、亡霊なる機兵へ天装できるかも疑わしいな。だけど、ちょうどいい。向こうは間違いなく、君を引っ張り出そうとしている。その挑発に乗る必要はない……!」
「レガランス、速度上昇! 20秒後接触です!」
「フェンディ、レガランスは火星型ですか?」
制帽を被り直し、エステルは船と一体化させていたメジャーバトンを引き抜いた。
「そうだ。でも、いくら太陽型の君だって火力で勝負しても無駄だ! 彼には絶対に叶わない……!」
「どうして!?」
「どうしても! それだけの力を彼は持っている。今は隙を作ることが優先だ」
納得できない答えだが、今は合理的な判断こそ大事。エステルは歯痒さを隠して、制帽のツバに触れた。
「……了解です。悔しいけど、母艦に傷をつけられてできることなんてこれくらい――」
キャプテンシートが指揮台へと変形する。指揮台に備え付けられた魔力光のライトがエステルを照らすと、そこだけ神に楽曲を捧げる舞台となった。
モニターに映る、背後に迫るアメジスト・バイオレットの亡霊なる機兵に向かって、彼女は吠えた。
「野郎ども、時間です! 威嚇攻撃の後に全速で離脱しますッ!」
「承知ッ!」
「遥かなる我が守護星、太陽よ! 大いなる星々の加護をその灼熱の炎に映せ――」
舞台の上で彼女は舞う。すると彼女を照らす魔力光は呪文によって発せられたエステルの魔力をみるみる内に吸収し、母艦バニーの動脈とも言える魔導神経に流す。
次の瞬間、兎のバニーが山吹色のオーラに包まれ、額に激しい火の玉を燃やす。
標的は後方の亡霊なる機兵――その闘志にバニー主砲が一斉にターゲットに照準を合わせ、砲身の延長上に巨大な七芒星の魔法陣を出現させる。
「奥義魔法〈進撃する太陽〉ァァッ!!」
戦艦に取り込まれるエステルの強大な魔力。一瞬にして主砲から憤怒の太陽の威力を伴った魔導砲が発射される。しかし、これで終わらない。魔導砲の大きな砲弾は弾道に飛び出すなり、流星の如く弾け、強烈な破壊力を持つ散弾としてレガランスに降り注いだ。
『――!?』
散弾と言えど一発一発が太陽型の上級魔法〈憤怒の太陽〉。当たれば装甲の溶解は避けられない。
レガランスもまた、この宣戦布告に魔法で応戦する。彼は降りかかる憤怒の太陽の弾丸から、たちまちその身を白い炎で身を包む。
その瞬間、白い炎にダイブしたフレアの弾丸は悉く消滅してしまった。
他愛のない攻撃、あまりの呆気なさに彼は呟いた。
『……フレアとは名ばかりよ』
エステルの技量、いや、一人の上級魔導師が出せる炎魔法の最高温度は千度。今の奥義魔法で精々3千度だろう。亡霊なる機兵の装甲を溶かすには十分であるが、彼の魔法打ち破るにはまったくもって熱が足りない。
しかし、向こうも本気ではなかったらしい。
彼が進撃する太陽の防御に費やした僅かな時間で、スターダスト・バニーは風魔法と光魔法を駆使して戦闘区域を離脱。痕跡を抹消し、とんでもない速度でレガランスから逃げていた。もちろん、より強固な魔法迷彩を展開しているため、視覚で船を捕えることなど例え亡霊なる機兵でも不可能であった。
レガランスは速度を落とし、地上に降り立つ。そして耳を澄ますように、何かの気を探っていた。数秒して、
『無駄なこと……お前達が魔導経典を持ち歩いている限り、行方は知れる』
ルビーの眼光が、西へと注がれる。
予想の範疇の出来事故か。彼は猛追を止め、瞬く間に魔法迷彩で自身の体を人間の視界から隠した。
それから草原は驚くほど静かで、風に揺れる草の根の騒めきだけが残るのであった。