呪われた記憶 その1
アルデバラン 森の岩穴
6年前のある日。
少年は森の奥にひっそりと隠れるようにある、この洞窟を訪れていた。
「ザック、聞いてよ! サラリーマンの生涯賃金は3億円とされてるけど、魔導騎士団団長にもなるとその3倍なんだって! やっぱヒラで生涯終えるなんてバカみたいな話だよな」
「はははははッ! ケント、そりゃ、飛躍し過ぎだって!」
何をワクワクしているのかと思えば、突然突きつけられた、根も葉もない新聞記事に青年は笑い転げた。
青い髪の少年は、頬を膨らませて、
「だってぇ。世の中、男は高身長・高収入・高学歴だって母ちゃんが言ってたんだぜ?」
「ケント、違うぞ。男は夢と愛情と懐の深さだ。ったく、これだから、おばはんは――」
「そう言い出す穀潰しよりも、家に金を入れる男になれとも言われた」
「――お前のお父さん、お母さんに何したの!?」
その日は突然の雨に見舞われた。土砂降りの中、さすがに外で剣の修業を続けることは困難と踏んだ青年は洞窟に戻り、天候を見守りながらしばしの休憩に移った。
少年と青年の関係は実に奇妙であった。
少年はこの近辺に住んでいる一般家庭の子だ。
ベタな話だが、数か月前のとある昼下がり、遊びに出かけた少年は森で道に迷った。その際、不運にも熊の魔獣〈ビッグベアタン〉に遭遇し、命からがら逃げ惑っていたところを、この青年が助けたのが奇妙な師弟関係の始まりとなった。
青年はその時、負傷していた。包帯に血が滲むほどの怪我にもかかわらず、青年は普通の熊3頭分の大きさであるベアタンをたった一撃で倒した。
彼の着ていたボロボロの甲冑を少年は今でも覚えていた。
魔導騎士団――その言葉に、少年は青年が脱走兵であることを悟った。
故に彼は両親にも黙って、青年に食料と医薬品を与えていた。もちろん、青年は自分の身の上など語ることはなかった。初めの頃、彼は固く心を閉ざし、獣並みの警戒心を伴って、いつも誰かの影に怯えているようであった。
無論、少年の存在も拒絶していた。
それでも少年は、めげずに彼の元へ通い続けた。そうしなければならないという漠然とした感覚が彼を働かせていたのである。
そんな頑固な幼い良心に、ついに彼も心を折った。青年は度々の助けへの礼として彼に剣を教えてやったのだ。
それが、この少年の人生を変えることになるとも知らずに――
「ねぇ、ザック。どうして魔導騎士団を辞めるの? こんなに強ぇのにもったいねぇよ」
「……まぁな。俺みたいにデキるヤツになると、偉いおっさんどもがバンバン仕事を下して来て大変なんだ。もうそんなのこりごりから、しばらく働かないでバカンスにでも出ようと思ってな!」
「――それってニートかヒモ?」
「どこでそんな言葉習ったの? ま、でもヒモは最高だな……! 俺イケメンだから当てはどうにかなるし!」
キラリと瞳と歯が光る。要らぬパフォーマンスに、少年はうんざりした様子で、
「うわぁ……白髪のクセによく言う」
耳くそをフッと飛ばした。
その可愛くない態度に青年は顔を引きつらせるが、一度の咳払いで大人の対応を決め込む。
「あのな……これはプラチナブロンド、魔力の証しなの! 知ってるか? 潜在的に魔力のあるヤツほど、髪や目なんかが自然色と離れてくるんだぜ?」
「俺……特に特徴ないから、魔法の才能ないや」
それを聞いてしょんぼりとする少年に、青年は「チッ、チッ」と指を振った。
「甘いぜ、ケント。一番厄介なのは魔力がないと見せかけて、実は恐ろしい力を飼い殺しにしている人間なのさ」
「飼い殺し?」
「そう。例えばすごい力を持っていて、それが暴走しないように防衛魔力が知らないうちに働いてる場合のこと。これはある種の人間によくある話だ」
「ある種の人間って何さ?」
むすっとする少年に彼はさらにもったいつけて、こう言った。
「それは、亡霊なる機兵さ!」
期待外れの回答に、少年は大きくため息をついた。
「……何だ、昔話じゃん! しかも人間じゃねぇし」
「それが、昔話じゃないんだな。内緒の話だがな……ナルムーンにはすでに亡霊なる機兵を復活させて前線に投入してる。魔導経典の伝説にある英雄達が、現代に蘇ってるんだせ?」
少年はその話に表情を180度変えた。
「えぇー!? マジで!? スゲー! どうやんの、どうやんの?」
「それは前世が亡霊なる機兵だった人間に、その記憶を思い出させることだ」
気のせいか、青年の顔つきが少し曇った。
「……ケント、俺は思うんだ。過去は教訓として生かした後、忘れるためにある。まして、前世を掘り返すなんて以っての他だと思うんだ」
雨音が、激しさを増した。
湿った空気に薫る土の匂いを吸い込んで、彼は再び口を開く。
「大地へ還る。それが争いばかり歩んできた亡霊なる機兵が、唯一安らげる手段だったと、俺は今でもそう思う」
「ザック?」
「だからケント、お前が大きくなって魔導騎士団になることは反対しない。ただ、その力を自分のためだけに使え……信じられるのは自分だけだ」
そう言った青年の青い瞳を少年は今でも忘れずにいた。
忘れたくても、忘れられなかった。
彼が本当は何を言おうとしていたのか、今でもわからない。そのわだかまりを残したまま、彼は自分の目の前から消えてしまった。
儚く滴る、雨露のように――




