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ブレイブ・ギャンガー ―星屑の盗賊団と機械の巨兵―  作者: 藤白あさひ
第3章 お宝はミザールにあり!
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旅立ちはプライスレス その2

ミザール 市街 アリウス運河


 人気のない橋の上に、彼女はいた。

 黄昏れながら地平線を見ていると、骨の髄まで寂しさに凍えそうになる。そんな女々しい感情など忘れたはずが――昨夜の一件以来、殺伐としていたシノの心は、沈み行く太陽の光を鮮やかに映すあの地平線の様に雲一つなかった。

 まったくもって不思議な話である。

 魔導騎士団を裏切った以上、身の危険を回避するため、彼女は病院を抜け出した。また逃避行の始まりだと、うんざりしながら街を放浪していたのだが、自然と彼女の足はこの運河に赴いた。

 困ったことに心は救われても、身体はボロボロだった。

 ズキズキと痛む銃痕に表情を殺し、シノはゆっくりと流れる大河をじっと見つめていた。この状態で別の都市へ逃げるのも困難、他都市へ渡ったところで、手配書が出回っていれば、他の魔導騎士団が自分を捕え、公開処刑の果てに晒し首にするのは目に見えている。

 ならば一層のこと、この清々しい気持ちを愛おしみ、河へと飛び込むか――シノは石垣から乗り出すが、その程度で自分が死ぬはずないということに気づくと、渇いた笑いを立てた。


「バカなことを……」


 夏には些か暑過ぎる黒のジーンズのポケットに手を突っ込むと、彼女は大事に大事に守り続けた翡翠の数珠を取り出し、手に巻き付けた。


「……」


 すでに、神刀《炎帝倶利伽羅》は最も相応しい人間に渡った。もう自分が背負うものなど何もないのだ。

 この妙に晴れやかな気分はそのせいらしい。神刀を守る信念が重荷であったと認めた途端、シノは本当に自分の望んでいたことを自覚した。


 ――生きたかったのだ、ただ単純に。


 ならばどこかに消えてしまおう。そう、彼女が街へと背を向けると、細路地の奥から近づいてくる気配に、シノは足を止めた。

 すると、


「見つけましたよ、シノさん……ここにいたんですね?」


 聞き覚えのある少年の声に、シノは振り向いた。

 二人の来訪者は麻のマントのフードを取ると、そこにはやはり、青い髪に対照的過ぎる紅い額当てを巻いた優しき勇者様と、ぶっきらぼうなリーゼントの元貴族様がいらした。

 余りにも堂々とした二人に、彼女はため息をついた。


「おバカですね、二人とも……敵の動きが静かとは言え、お尋ね者なんですよ? そんな軽装で堂々と街中に出るとは呆れてものも言えません」

「シノさんこそ、何の変装もせずに出歩いでるじゃないですか。病院に行ったらいないって、大騒ぎになってましたよ? な?」


 ケントが相槌を求めると、ホットケーキは困ったように「お、おう」と、彼女から視線を逸らした。

 そんな彼らをシノは無表情で眺めた。


「それで? 何の用ですか……倶利伽羅は差し上げますよ? それで終わりのはずです」


 早く帰れと言わんばかりの素っ気なさだった。だが、それでもケントは諭すように、


「まだです。俺の告白の返事を聞いてません。そのままばっくれられるのは……些か傷つきます」


 至って本気のトーンでそう言った。隣のホットケーキは思わず耳を大にし、ケントの顔をぎょっとした表情で見つめた。


「……感心しませんね、水商売の女を口説こうとするのは」

「俺は言いました、半分本気だって……俺達は仲間が必要です。今回の戦いで、魔導騎士団を倒すためには、もっと力が必要なんだって……理解しました」


 ああ、そう言う話ね――ただのスカウトにホットケーキは胸を撫で下ろした。

 一方で、シノはケントの口説き文句に表情を変えず、三つ編みをいじった。


「もちろんお給料もエステルから見積もりを貰ってます。売れっ子のホステスには適わないかもしれないけど、OLさんは余裕で越えてる金額です。それにうちは男所帯で、女子はエステルだけだから、シノさんがいてくれるだけで全然違うんですけど……」


 まるで経理部ではなく人事部だ。少しばかりケントの様子が面白かったのか、シノはついに呆れたように笑った。


「悪くない条件ですね……でも残念ながら、シノは忍です。暗殺稼業を営んできた人間は孤独がお似合いです。ですので団体行動はご免被ります」

「……一人って、これからどうするつもりなんですか?」


 恐る恐る問うケントが見たのは、切なさを押し殺した微笑みだった。


「さあ? シノはもう十分働きました。どこか静かなところで……あなた方の朗報を待つことにしますよ」


 長居はごめんとばかりに、彼女はそれ以上ケント達の顔を正視することなく、石橋の手すりから手を離し、彼らの真横を通り過ぎようとした。


 しかし、

 

「――逃げんじゃねぇよ」


 河の音が、聞こえる。

 すれ違い様、沈黙していたホットケーキは怒りを露わにした声音で呟いた。そのたった一言が時間を止めたようにシノは足を止め、辺りは静寂に帰した。

 ケントが横目でホットケーキの表情を確認すると、イラつき――と言うよりは、哀愁に満ちた表情で彼女を見つめていた。

 そしてシノも、心なしか動揺しているように黒い瞳が揺れていた。


「さっさきら聞いてれば……言い訳ばっかりだ。あんたは生きがいだったこの剣を俺らに押し付けてのうのうと生きて行くつもりか? それは迷惑な話だぜ……!」

「押し付けたのではありません。剣がケントさんを選んだ……私の役目はもう終わりです」

「まだだろ? あんたがプライドも何もかも売って守ろうとした剣を……こいつが間違って使ったりしねぇか、あんたは見守る義務がある!」


 熱い言葉に、ホットケーキの人生が聞こえてくる。彼は高まる感情に声を震わせて、


「借金抱えたまま親父が自殺して、一文無しになって……それでも、生きようと必死だった。だけど、お袋も妹も腹ペコのまま死んだ……何も無くなった時、俺も死のうかと思ったけど……負けたまま死ぬなんて悔しいじゃねぇか! もっと辛れぇじゃねぇか!」


 ついに感情を制御できなくなったのか、ホットケーキは泣いていた。

 隣で聞いていたケントも思わず泣きそうであった。

 彼でなかったら、シノのこんな感情むき出しの、涙をためて鼻頭を真っ赤にした貌なんて引き出すことはできなかっただろう。辛い過去を乗り越えた人間の言葉は、こんなにも強いのかとケントは無意識に胸を掴んだ。

 平凡な家庭に育てられた自分には到底わからない、寂しくて、辛い日々を彼らは生き抜いて来たのだと、ケントはこの剣を受け継ぐ責任を痛感した――


「妹もお袋ももういない……だけど料理はやめなかった。こいつらにうまいもの食わせて、世界を変える手伝いができればって……俺の次の生きがいにするって決めたんだ……!」

「ホットケーキ……」

「あんただって……まだ死ねないから、俺達を助けたんだろ!?」


 彼の訴えに、シノはついにしゃくりあげたような声を上げた。


「だったら、こいつと倶利伽羅が……あんたの家族を奪った不条理に、勝利する瞬間を見届けろ! それが、あんたのこれからの生きがいだ……!」


 男泣きの勢いは強まり、ついにホットケーキは彼女から顔を背け、目元を手で覆って空を仰いだ。最後の悪足掻きに、声を押し殺したまま。

 シノも同じく、溢れ出す涙を落ち着かせるように、ゆっくりとトワイライトに輝きだした星空を見つめた。その星々の瞬きは何を彼女に説いたのだろうか、子供のように泣きじゃくったシノの顔は優しさに包まれていた。


「ケントさん」


 星々を見上げたまま、彼女はそう言った。


「……はい」

「もっと……強くなるって約束してくれますか?」


 悲しくも優しいまなざしを、ケントは決意の眼で受け止める。


「シノさん……」

「強くなって……私達を苦しめた世界を、不条理と戦ってくれるって約束してくれますか……?」

 

 腰元のエンプレスと握りしめ、ケントは頷いた。


「約束します。俺も……大事な人からその想いを受け継いだから……!」


 もはや自分一人の戦いではない。

 スターダストバニーの仲間やミザールの職人達、そして亡き師――様々な人々の想いが自分を支えてくれている。それにどう応えるのか、どう報いるのか、結論は誰にも分らない。

 だが一つだけ言える――負けは許されないのだと。


「そう……絶対に――」


 魔導騎士団を倒す。


 かくして、栄えある勝利の日。

 盗賊団スターダスト・バニーは、シノを迎え入れた。



             ◆ ◆ ◆

同時刻。


《ドゥーベ海 ナルムーン連合艦隊 旗艦》


 見張りの兵を覗けば、甲板には彼女一人しかいなかった。夜釣りに没頭する、寂しげな彼女の背中に、少年は悲痛な思いで問いかける。


「姉者……大丈夫ですか?」

「うん」

「……寒くはないですか?」

「うん」

「あとは僕が全部引き受けますから……アルドラに着くまでお部屋にずっといてください」

「うん」


 何を言っても、彼女はそう返し、夜風が少年と同じミルクティー色の髪を靡かせるだけだった。少年は彼女の羽織物だけ傍に置き、それ以上何も言うことなく、艦内へと戻っていた。


「……」


 竿も戻すが、仕掛けの先には何も釣れない。

 不毛だ。深く深くに糸を垂らしてもあるのは闇だけ。

 海の底にはなにもない。いくら、がんばって潜っても――。


 その後、彼女を乗せた戦艦は敵に遭遇することなく、アルドラへと進んだ。


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