愛しき人は記憶の中に その3
《オークションホール》
息を切らすシノの手には、神秘的な炎を宿す魔法剣〈炎帝倶利伽羅〉が翡翠の数珠と共に握られていた。
汗ばむ蒼顔で彼女は、へばりついた前髪を払う。
「御安心なさい……倶利伽羅の炎が焼いているのは……彼を蝕むカビだけ……そう……お願いしましたから……」
パウロに撃たれた傷口からは依然として血が流れている。本当に力を振り絞ったのだろう、崩れ落ちる彼女をエステルは受け止め、抱きかかえた。
「シノさん? シノさんッ!?」
呼びかけても応答しない。このままでは確実にシノは死ぬ。
しかし、彼女を助けるには問題が多すぎる。彼女のおかげで、危うく仲間を殺しかけた、ラスティーラの状態は落ち着き、傀儡魔法から解放されたわけだが――一刻も早くネルマイヤを倒さなくてはならない。
『おシノ……この裏切り者ォォォォ!? 目障りダ! エステルたんも諸共、この世から消してやるヨ!』
閃光を放つ。ネルマイヤの背部に装備された、花型主砲の砲身が、彼女達に照準を向けられた。レモンイエローの閃光が彼らを包むと、発射口からさらに鋭い光が放たれる――
『ブチカマス――協奏奥義魔法《永久の別れの花吹雪》ッ!!』
「反天体防衛砲……さようなら、兎ちゃん!」
カナトの最後の忠告が彼女達に届くことはなかった。
開花したネルマイヤの鉄砲百合――その砲口から発射されたシャワー光線は曲線を描き、エステル達の元へと降り注ぐ。
彼女は皆を守るべく、即座に防御魔法の姿勢を取るが、
「天体防衛――え!?」
――防御壁が張れない!?
まさかの事態に、エステルは硬直する。
その原因はネルマイヤのシャワー光線だった。天体防衛の魔法式を破壊する作用が含まれてるいのか、メジャーバトンはうんともすんとも言わなくなった。
悪の展開だ。
もはや攻撃魔法で相殺にかけるしかないと、エステルはシノを抱えたままバトンを振る――だが、白金の機兵が突如、彼女達の視界を塞いだ。
そして、
『よくも……好き勝手やってくれてェッ!!』
何と倶利伽羅の炎よって傀儡魔法から逃れたばかりのラスティーラが、手負いの装甲をフル稼働させ、エステル達の盾となるべく飛び出したのだ。
「ケント、下がっ――」
焦ったエステルは彼の行動を止めようとするが、シャワー光線は瞬時に収束。膨大なエネルギー砲がラスティーラに直撃したのである。
熱風が駆け抜け、凄まじい光量と熱量が彼らの命を脅かす。ラスティーラがいなければ即死だっただろう――ノーネームの亡霊なる機兵ならば一瞬で塵と消える破壊力に、白金の背中から断末魔に似た叫びが上がる。
「ケントッ! 下がってッ!! そのままじゃ死んでしまいますッ!」
『で、できるかよッ……! 仲間を……捨てろと言ったんだ……あいつらァァァッ!!』
猛烈な熱量に装甲を冒されながらも、ラスティーラは拳に全魔力費やし、放射され続ける光線を炎と雷魔法のナックルで撃ち返した。
ラスティーラの意地の一撃に魔力は均衡状態に陥る。これに業を煮やしたネルマイヤは増々シャワー光線の威力を強めた。
『キエェェェェェッ!! 消え去れェェェェェッ!!』
鉄砲百合は更なるビーム光線を吐き出す。増加した熱量にラスティーラの右手は、炎と雷を暴発寸前まで圧縮し、均衡状態を維持し続けていた。
『うおぉぉぉぉぉッ!!』
反動に白金の足がコンクリの床を抉るり、ラスティーラは次第にトレードマークの一角はその角度さげ、サファイヤの双眸を苦しそうに細めた。ビーム砲の出力増幅に、均衡状態の軸がぶれ出し、彼の白金の装甲がただれるように溶け始めたのだ。
暴発寸前か――エステルは来るべき時に備えるが、不思議なことにラスティーラの背中はその助太刀を許さぬ、厳然たるものであった。
「ケント……お前!」
無言の背中が、言葉にならない感動に盗賊達の胸を震わせる。
案の定、その執念は奇跡を起こした。ネルマイヤの攻撃が弱まりを見せたのだ。大技の使用による、魔力のチャージ不足が訪れたのだ。
『……ッ』
嵐が去るとともに、ラスティーラはがくりと膝を落とした。関節部からスパークが上がり、白金の装甲から黒々とした煙が上がる。電化製品で言うショート状態である。
「ケント!? しっかり! まだ敵は健在ですよ!!」
エステルは咄嗟に、力尽きそうな機兵へそう叱咤した。
だが、その反面、協奏奥義に晒され続けたダメージの大きさも彼女は十分理解していた。生身の状態なら全身に致命的な火傷を被ったに等しい状態なのだ。戦闘を続行できる体力など残っているはずがない。
そんな虫の息のラスティーラを目にし、ネルマイヤは大層ご機嫌な笑い声を上げた。
『キエッヘッヘッ! そんなおんぶにだっこの連中がいなきャ、もっとまともな場所で死ねたのにナ! お涙頂戴には反吐が出るYOッ!』
『――お荷物なんかじゃないッ!』
瀕死の身体から放たれた怒号は、恐ろしいほど衰えを知らないものであった。
肉体を越え、魂の強さを映したサファイヤの双眸が、ネルマイヤとカナトを穿つ。
『みんな……自分の戦場がある……それそれの場所で戦おうとしてる……』
「ケント……」
『マカロンは情報と戦って、ホットケーキは俺達の飯作って……シノさんは亡くなった仲間との約束のためにずっと戦ってきた……!』
ギギッと潤滑さを失った鋼鉄が軋む。限界を超えた機体を引きずって、何が何でもあのふざけた亡霊なる機兵をぶっ飛ばさなくてはならない。
仲間を人と思わぬヤツらの根性を叩き直すために――腹の底で今も煮え立つ怒りが、今のラスティーラを動かしていた。
『エステルだって……魔導指揮として、命を削って俺に魔力を送ってくれてる……みんなそうやって、自分に課せられた役目を一生懸命やってる……!』
熱が籠る。エステルはホットケーキにシノを託し、ラスティーラの真横に立った。
そして、勇ましき眼光を放ち、二人は苛立つネルマイヤに対峙する。
『何がイイタイノカナー? イライラするんだヨォォォ!? 結論は何ダ、結論はァ!』
ネルマイヤの木の触手が、ゆらゆらと嫌な動きをする。
言葉にしなきゃわからないのかと、ラスティーラとエステルは呆れた様子でお互いを見遣ると頷き、こう言い放った――
『「てめぇの物差しで、人の価値をはかるんじゃねぇ!」』
まるでミザールで味わった屈辱を全て吐き出したような、そう言う凄みのある啖呵がホール一帯響き渡った。
「適所適材……各々が得意なことをがんばれば、組織って言うのは何とかなるもんなんです! それを認めないあなた達魔導騎士団に、人の痛みはわからないッ!」
『借りは返す……何倍にしてでもなッ!!』
ラスティーラは黒焦げになった機体を立たせ、拳を構えた。
折れても立ち上がる――その泥臭い無法者精神に、マカロンとホットケーキは感服し、一生ついていこうと心に決めた。
――ああ、間違っていなかった。
ホットケーキは心臓を握るように、左胸にぎゅっと握りしめた拳を置いた。
そして、その熱き魂は沈黙を保ち続けた神の心までも動かす。
――天晴ダ!
突如、聞き覚えのない女の声がラスティーラとエステルの脳内で響いた。顔を見合わせ動揺する傍らで、何とシノの手に残された炎帝倶利伽羅が凄まじい勢いで炎上していた。
声は再び彼らに問う。
――ソノ心意気、賞賛ニ値スル。
『まさか、倶利伽羅が……?』
――モハヤ、ソノ名ハ我ガ名ニ非ズ。名ヲ寄越セ。サスレバ、我ノ炎ヲ貴様ニ与エン。
「ケント……この剣に名前を! 剣帝として、新たな名前を!」
燃え上がる倶利伽羅を見つめ、ラスティーラはとある名を心に決めた。
『ならば――〈エンプレス〉だ』
すると倶利伽羅の笑い声が響く。
――女帝トハ繋ギカ。正直者メ!
『違う。母なる頂点……俺がいずれ超えるべきものだッ!』
――上等ダ。ソノ答エ気ニ入ッタ!
突如、真紅の閃光が彼らを包む。次の瞬間、空が丸見えとなった天井を光の龍が駆け上がり、急降下。龍がラスティーラの身体に乗り移った刹那、かつてない爆風と猛火が渦をなし、ネルマイヤとカナトに襲い掛かった。
『カ、カナトォォォォ!? 何が起こっているのダ!』
「倶利伽羅が……ただの魔法剣が何を――」
爆風に転がらぬよう、地面に根を張るネルマイヤ。その隣で、眼鏡に映りこんだ光景にカナトは言葉を失っていた。
真紅と山吹色の光が優しさを帯びて、ホール全体を照らし出す。その中心に現れたのは満身創痍のラスティーラではなく――さっきまでの戦闘が嘘のような、完全体に修復された白金の機兵の姿であった。
そして、その手に握られた炎々と燃え上がる剣に、カナトは凍り付く。燻銀の折れた骨董品の姿はどこにも見当たらない。あるのは亡霊なる機兵の等身に合わせられた、美しい白金のロングソード。
紅と黄金の現代的な装飾。かつての愛刀エンペラーよりも細身のシルエットは、〈エンプレス〉名に相応しい、繊細さと芯の強さを兼ね揃えた剣であった。
ラスティーラは祈るように新たな愛刀を掲げる、永久の炎を宿したエンプレスの背後から、蘇った剣帝の青き瞳が鋭く威光を放つ。
変化はラスティーラだけでない。魔導指揮であるエステルもその恩恵を受け、闘争心に高揚していた。漲る魔力と浮かぶ新たな魔法の呪文――どれでヤツらを倒してやろうか、心を弾ませて彼女は叫んだ。
「遥かなる我が守護星、太陽よ。残忍なる道化どもに、熱き絆の力を知らしめん!」
エンプレスの刃が熱に朱く光る。魔力が増長する身体を、ラスティーラは思いっきりダッシュの姿勢に持ち込み、側方に剣を構える。
そして、
「協奏奥義魔法――〈炎龍爆速突貫〉ッ!!」
ダァンッ! と爆発音の後、ネルマイヤの視界からラスティーラが消えた。文字通り神速で宙へと飛び出したラスティーラは、瞬く間に――すれ違いざまにネルマイヤの胴体を一刀両断にした。
『うおぉぉぉぉッ!!』
『な、何、ナンダッテ……!?』
一回の瞬きの間で世界が変わった。
初速の勢いでネルマイヤを切り裂いたラスティーラは、勢いのまま壇上に着地するなり、
『ッて、あれ?――んなぁぁぁぁ!?』
これが身の丈に合わない魔法の末路――つるんと足が床を滑り、バランスを失ったラスティーラは鬼の勢いで背後のセットに突っ込んだ。凄まじい粉煙が上がり、当の本人はサファイヤの瞳をグルグル回して伸びてしまった。
肝心のネルマイヤは傷口から激しいスパークを起こし、爆散。カナトの目の前でネルマイヤは天装状態を解除し、閃光の中から哀れな姿のパウロがお目見えした。
生身の人間でなかったことを心から安堵する有様だ。
機械の上半身と下半身はやはりスパッと斬られ、肝心の脳みそはショックの余りか気絶してしまっているようであった。
――撤退だ!
もはや戦えるのは自分だけ、だが、そんな分の悪い勝負に臆病な彼が出るはずがない。まして、ネルマイヤを一撃で倒した彼らを相手ならなおさら――と、逃げの態勢を見せた途端、悲劇は起こる。
「オラァァァァッ!!」
迫る憤怒の足音。見上げた先には拳を振りかざしたエステルの鬼の形相。
「待て待て待て待て待っ――」
「死に晒せェェェェッ!!」
ガンッ!
ミザールの悪夢――それは変態達への報復。セクハラまがいの嫌がらせに、貯め込んだ恨みを一撃に込め、良心を捨てたエステルはカナトの左頬に拳を減り込ませた。
「ぶっ!?」
カナトの脳裏で幼い時の記憶が駆け巡る。走馬灯である。
だが一撃で終わるほど、この赤毛娘は甘くはない。よろめくカナトに猛獣の眼光は容赦ない恐怖を見せつけるのである――
「左ジャブで相手の態勢を崩しッ!」
「ぶほッ!」
「すかさず右ストレートを打つべしッ!」
「んがッ!」
「そんで留めは! ジャストミート! 必殺の――」
「がッ! ぼッ! グェッ!」
「アッパーカットォォォッ!」
――カンカンカンカンッ!
カナトの涙が星空に散る。ゴングが聞こえてきそうな、エステルの清々しいアッパーカットが炸裂し、顔面崩壊のカナトはロマンと共に意識を失った。
いくらなんでもオーバーキルだと、やっと彼と行き違いに意識を取り戻したキエルは、扉の陰から妹分の恐ろしさに震えあがっていた。
ビンタならまだしも、ジャブとスナッフまで駆使して、それなりのフットワーク。もしかしたら体術もそこそこ強いんじゃないかと考えると――奥義魔法2発で使い物にならなくなる自分が情けなくなった。
いつの間にか、壇上のケントも天装状態を解き、ラスティーラから元の姿に戻り、沈没していた。
「エステル、もうやめたげて! 逃げる準備だ!」
「キエル! 良かった、無事でしたか……助けてくれた以来、出てこなかったら何かあったのかと……」
「俺は魔法使っちゃいけない人だからね。とにかく、手分けしてバニーに帰還するぞ!」
キエルは壇上のケントを、エステルはホットケーキとマカロンにシノの搬送を指示し、それぞれ足早にホールを出た。その際、エステルはエンプレスが再び折れた燻銀の日本刀に戻っていることに気づいたが、もはや何の迷いもなくそれを手にした。
「お願いです……どうか今はお守りください」
祈りが自然と口を伝う。
その後、結界の外で待ち構えていた魔導騎士を薙ぎ倒し、彼女達はバニーへと帰還した。
◆ ◆ ◆
数分後、カナトは奇跡の生還を果たしたが、
「……エステルたん、僕の大好きなボクシング漫画読んでるよね? やっぱり、強くて可愛い女の子は最高だなぁ……!」
涎が垂れそうなくらい口元をニヤつかせ、カナトはうっとりした表情で殴られた当時のエステルの表情、声、動きを思い出していた。
「カナト……追撃ダ……追撃……エステルタン……」
消え入りそうな機械音声に、カナトはこの上なく不快感を露わにした。すぐさま壇上に上がると、虫の息のパウロがじっと、真赤なライトの双眼を向けていた。
「カナト……何ヲシテ――」
その時だった。何とカナトは虫の息であるパウロの顔面に蹴りを入れ、その双眼を粉砕したのである。
まるで別人――冴えない眼鏡の彼はどこへ。パウロを見下す彼はまるで、インテリマフィアのような形相で、風前の灯火の上司に牙を向く。
「おい――カナトさんだろ? この野郎ォ! 何のためにバージョンアップしてやったと思ってるんだよ!?」
「ゴ、ゴメンナサイ……カナトサン……!」
「しがないノーネームをハイクラスの機兵に改造してやったんだ! ちったぁ感謝しろってのッ!!」
また一撃、カナトの蹴りがパウロの頭部パーツを破壊する。するとアラームのような音が静寂と化したホールに響くのであった。
「何寝てんだ、立てよ! 元帥に何て報告するつもりだ? もっと働け――って、ダメか。完全に壊れてんじゃん……」
グリグリと、彼はショートし煙を上げる上司の顔を踏みつけていた。何度も何度も蹴りを入れたのが本当に止めとなったのだろう――パウロは完全に沈黙した。
カナトはため息をついて、ポリポリと頭を掻いた。徐にパウロの頭部に触れると、何とそこからメモリーチップのような記憶媒体を取り出した。
この中に、かつてネルマイヤであった人の人格と記憶がそのまま入っているのである。
「これが本当の自演乙。しかし……前よりも強化し過ぎたのが原因か、キャラ設定間違えたな。もう少し社交的にしないとまずい」
記憶媒体と取り出すと、残った機動箇所はお役目ごめんと判断したのか、バラバラに分離し始めた。そしてその心臓とも言える箇所から、クルミのような大きさの種が姿を現したのである。
「ロボを作るのは得意なのに……人選を間違えたとしか思えない。同じオタクとして、同族嫌悪を覚えるよ」
ブツブツと独り言を話していると、ホールの外から慌ただしい足音が聞こえて来た。大方、彼の部下だろう。
「スメラギ副団長! お怪我はありませんか!?」
「ああっ!? また団長がボロボロになってる……」
「またか」で片付けてくれる部下の情報処理能力には感服だ。カナトはパウロのメモリーチップを弄びながら、
「完全にやられた。どうやら炎帝倶利伽羅はラスティーラを偉く気に入ったらしい」
「それは……なんとも」
「何にせよ、倶利伽羅のことは元帥に内緒で頼む。僕は好きで副団長の地位にしがみついているんだ……間違ってもそれ以上にされちゃ、困るからね」
見た目とは相反する冷たい瞳に、緊張が走る。
「団長に関しては予備のボディに移して、人格も調整する。安心して……何かあったら、さすがに僕も表に出るよ」
少々嫌そうにカナトは眼鏡を拭いた。だが、部下達は安堵の顔つきで、
「ありがとうございます。これ以上、心強いことはありません」
「泥棒兎は今頃いい気になっていることでしょう……ミザールを完全に攻略したと思っている。あなたというファントム・ギャングと戦わず仕舞いなのに」
眼鏡から覗く鋭い瞳は、手練れの魔導師ならば過呼吸を起こすことだろう。そう言う殺気に満ちた顔つきを、この青年は出来るのだ。
「別にいいさ……その方が楽しみは増える。どんどん強くなって欲しいものだよ、あのラスティーラとコンダクターには」
ふっと胸元から取り出した写真に、カナトはとろけるような微笑みを向けた。
「奴らはどうせまたミザールを通らざるを得ない。その時に会おう――僕のエステルたん」
いつ撮ったのかわからない、エステルのメイド服の写真を眺め、カナトは「キエェッヘッヘ」と例の奇声を上げて笑ったのである。
それからカナトの命令通り、ミザール魔導騎士団がスターダスト・バニーを追うことはなかった。




