愛しき人は記憶の中に その1
《オークション会場 ホール》
キエルがまだ戻ってこない。おそらく場外でパウロを何とかしてくれているだろうと、エステルは彼を信じ、仲間の解放に走った。
秘蔵の音魔法を食らったカナトは、まだ意識を取り戻していない。今がチャンスだと、彼女はぐったりとしたホットケーキとマカロンの手錠を外し、応急措置を始めていた。
「お、お頭、すみません……俺達のせいでこんなことに……!」
「大丈夫ですよ。大方、フランチェスのせいなんですから、気にしないでください」
面目のなさからエステルの顔を正視できないホットケーキに、彼女は気概に富んだ声音を聞かせた。「大丈夫」の言葉に安堵したのか、ホットケーキとマカロンは自然と緩む涙腺に俯いた。
こんな優しい盗賊がいるかと、彼女は誇らしげに心の中で呟くが、まだ気を緩める段階ではないとすぐに表情を正した。
戦いはまだ終わっていない。この二人も薬を嗅がされ、立っているのがやっとの状態だ。何よりも、舞台袖の爆発以来、音沙汰なしのケントが気がかりだ。
「お願いです、お頭。早くケントを……! あのシノとか言うくノ一はヤバい……あの女、副長クラスの力量です!」
「承知。総大将が戻る前に、片をつけます!」
予想よりも軽傷で済み、コンディションは良好だ。これならばもう一人ぐらい戦っても差し支えはない。
フォーマル用の手袋を投げ捨て、エステルはメジャーバトンを挑発的にクルクルと回す。満を持して彼女は壇上へと向かうと、エステルの足音に重なって、鋭い足音が一つ――ハイヒールだ。ハイヒールを履いている人間がこちらに迫っている。
どうやら勝ったのはあちらのようだ。
その回答に一同の表情が険しくなる。緊張の舞台上に現れたのはやはりシノ。黒いロングドレスと白い顔をを返り血で汚した彼女が、ぐったりとしたケントを引きずってスポットライトの下に姿を現したのだ。
一瞬死んだのかと肝を冷やしたが、ケントの確かな生命反応にエステルはすぐに平静を装った。
「……獲物を生かすなんて、驚きですね。ぼったくり忍者にしては、ツメが甘いんじゃないんでしょうか?」
シノの返り血に騙されがちだが、見た感じ、致命傷を負っている様子はない。
毒々しい棘に、揃った前髪から覗くシノの目が細まる。
「確かに。この様では口が裂けてもインセンティブは望めませんね」
ロングドレスから垣間見えたシノの美しい脚は、咄嗟の危機に発動したケントの銀水晶の反動か、あざだらけになっていた。
「ケントを返してください。さっさとお宝だけ渡してくれれば、私達はここから失せます」
「ケントさんはどうぞ。ですが……残念ながら倶利伽羅は渡せない」
シノは鼻につく言い草で、緩めの三つ編みに触れた。
エステルは眉をひそめて、
「なぜ? 雇われ忍者には不要の代物です。何を以って固執――」
徐にシノは右足のガーターベルトから武器引き抜いた。やる気かと、エステルは臨戦態勢で出方を窺うが――照明の下に掲げられたシノの武器に彼女は絶句した。
シノの勝ち誇った表情が全てを物語る。
翡翠の数珠が巻かれた、右手に握られたのは日本刀。真紅と黄金の装飾、そして燻銀の折れた刃――見間違いようもない、神刀《炎帝倶利伽羅》そのものであった。
「バカなッ!? なぜ、あなたがそれを……!」
あらぬ事態だ。なぜ、あの凶悪な力を制御できるのだ。
パウロでさえも、柄に触れようとしただけで片手を蒸発させた。それなのに、なぜ、ただの忍びがその手にできる――
「確かに傭兵には無用の産物です。落札したところで、モニュメントになるのがオチ。この神刀に触れることを許されるのは、倶利伽羅に選ばれたものだけですから」
困惑する盗賊達に、シノは妖艶な笑みを送る。
「しかし、私はとある血統の下に生まれた……他ならぬ、この神刀を代々守り続けてきた、番人としての家系に」
「なるほど……お金目当てで、パウロに倶利伽羅の在処を教えたのはあなたでしたか」
「全くその通りです。おかげで私は安泰です」
感情が高ぶったのか、シノはケントを壇上に放り捨て、舞台上から突き落とした。危険を承知でホットケーキとマカロンは飛び出し、彼女から安全な距離を保とうとするが、その際、シノからの妨害を受けることはなかった。
もう用済みだと、その目は言っていた。
「……では、あなたの目的は?」
するとシノは口元だけの笑いを浮かべて、
「申し上げた通り、この刀と私の安泰です。この大陸で一番、富と権力を持っているお方に私の宝を落札して頂き、守ってもらうのです」
「守ってもらう? 失笑ですね! 番人のクセに自分で管理しないなんて!」
殺気がエステルを取り巻いた。シノがついに明らかな敵意を向けたのである。
「それができていたら、ミザールまで出稼ぎに来たりしませんよ」
「……ほう」
「お宝とは不思議なものです。どんな匂いを発しているのか、強欲者ばかりを引きつけ、善意を食い荒らす……気が付けば、使命感からこの刀を守ろうとするのは私一人だけ」
悲しみと憎しみでその瞳は真っ黒に濁っていた。
切っ先のない神刀をエステルへ向ける――すると燻銀の刃から火の手が上がり、金星型のシノに、太陽型にも劣らない炎魔法を与えたのである。
「倶利伽羅は私の命そのものです。パウロが所有者となるなら、私もヤツの所有物……そうすれば、魔導騎士団が私達を守ってくれるからッ!」
一騎打ちは幕を上げた。
シノの空の手からクナイが放たれ、エステルの眉間へと走る。
「お頭!?」
ホットケーキ達は青ざめた。だが、エステルはすでに補助魔法電撃感応を発動、微量の電流が反射神経と筋肉運動を最大限に高め、寸前のところでクナイをかわす。その体勢からすかさず、炎の弾丸をシノにぶちかますが――倶利伽羅の斬撃がエステルの攻撃を切り裂いた。
「炎雷複合魔法――《断頭の椿》!」
刀身に炎と雷が絡み合う。鬼気迫る形相でシノは炎と雷の斬撃を繰り出した。その生きた太刀筋は一直線にエステルの首を狙うが、エステルも負けてはいない。これ見よがしに球体に収束していた炎の殲滅魔法をシノの太刀筋にぶつけてやったのだ。
「ホステスが――十年早いですッ!!」
途端、凄まじい爆発が両者の間に起こる。
爆風の中、ホットケーキとマカロンはエステルから渡された、人工天体防衛発生器で身を守っていたが、それを覆う優しい山吹色の光に、二人はケントに視線を落とした。銀水晶が彼らを守らんと人工魔法をさらに強固なものにしたのである。
その時、ケントの目元が動いた。
「おい、ケント! 大丈夫か……!?」
マカロンが問いかけるが、依然として彼の意識は沈黙したままだ。だが、心なしか、銀水晶の反応にきっかけにケントの顔色が良くなっているようにも見えた。
炎が引くと、シノは呆れたようなに冷笑を浮かべて、
「ずいぶん、冷たい人ですね……仲間がいるのに、本気でくるとは思いませんでした」
その言葉に、エステルは冷笑を冷笑で返した。
「そちらも、ずいぶん優しいんですね? 銀水晶があるんです、放っておけばいいのに!」
エステルは黒いドレスの埃を払い、バトンを構えた。
「色んな意味でがっかりです……幻の魔法剣と聞いていたのに、この程度。以前戦ったレガランスの炎の方が、何十倍も厄介でした!」
わざとらしいリアクションで、ちらりとシノを見る。
するとまるでプライドを傷つけられたと言わんばかりの険悪だった。冷徹なくノ一がここまで感情を露わにする意味を、エステルは重く見た。
「これが現実です。亡き人の想いと恨みを抱えたところで、私一人殺せない! そんな負けの見えた人生をあなたは選ぶと言うのですか?」
「今更私に選択権などありません。より強い武力と財力を持つものに私はつく……そうやってこの刀と一族の信念を守り続けることこそ、我が運命!」
「ホステスのクセに奥手なんですね? 文句があるなら自分で何とかしなさいよッ!」
「残念ながら、私は色んな意味で水商売人……金さえあれば仕事は選びません」
ヒールの足音に、壇上に巨大な七芒星魔法陣が出現。シノは先程よりも強力な魔法を繰り出してやろうと覇気を強めるが――ふと、ホットケーキ達に介抱されまままのケントに、視線を止めた。
「まさか……!」
シノの瞳孔が開き、エステルの心臓が大きく脈を打つ。
その時、まさにケントは目覚めた。茫然とする意識の中、禍々しき魔力に導かれてシノを見れば、目覚めたばかりの彼でも一発で状況を理解した。
あの表情はプライドを捨てようとしているのだ――
「あなたに教えてあげます……守る人を失っても、信念を曲げてはならない苦しみを!」
今までにない猛火が彼女の身体を包み込む。器量を越えた炎はシノの感情までも支配し、ただケントの抹殺のみを目的にその体を動かす。
その姿はまるで怨念の化身。エステルは仲間の命を救うべく、ホールの崩壊覚悟で勝負に出た。
「やらせないッ――宙を裂く太陽の咆哮!!」
絶対に止める――その一心でエステルは炎の槍でシノを狙い撃つ。天体防衛すら貫く高等魔法のはずが、恐ろしいことに、倶利伽羅の神炎は前には無力だった。倶利伽羅は同系魔法である炎の槍を飲み込み、シノの糧にかえてしまったのだ。
「そんな……!」
皮肉にもエステルの魔法を吸収したシノは、十分な力を得た。轟々と燃える怨念を倶利伽羅に捧げ、折れた切っ先を補うように集約された炎を刃へと変えたのだ。
「死になさい――ラスティーラァァッ!!」
鬼の眼がケントから動作を奪った。シノの覇気にやられたケントは、完全に対応が遅れ、逃げることが叶わなかったのだ
舞台から飛び出したシノは、人間の力を越えた速さで間合いを取った。エステルの目の前で、倶利伽羅の炎の刃がケントの頭上に振り下ろされようとしていた。
「ケントッ!」
洒落にならない――完全に出遅れた。
本能が仲間の死を予期した刹那、ただ一人の勇気ある行動が、絶望的な流れを変えた。
「やめろ、おシノさんッ!」
「――ッ!?」
運命を切り開いたのはホットケーキの献身――彼は衝動的にケントを庇い、シノの刃の下に飛び出した。
不本意にシノの太刀筋が乱れた。その時のホットケーキの姿に、彼女の灼熱の心臓は凍結したのだ。
空振る切っ先、失せる炎。
その瞬間、彼女は聞いた。
――生きろ……シノ。
遠い記憶が呼び起こす幻聴は生々しかった。
奇しくも、魔導騎士団に家族が殺された時と同じだ。同じ光景が目の前で起こった。ただ違うのは、今度は自分が刃を持つものだということだ――
「……くっ!」
目を泳がせてシノはもう一度、雄々しきリーゼントの青年を望むが、
「もういないんだって!」
「……!」
「もう誰もいないんだよ……だから、見つけなきゃいけないんだよ! 新しい生きがいを……心の支えをッ!!」
不思議なことに、彼の言葉は魔法以上の力を持っていた。じんわりと鋼鉄と化した心が和らぐ――どんなに抗っても、頬を伝う涙を止めることはできなかった。
シノは泣いた。
そして、その切ない涙は倶利伽羅の炎までも消し去った。
ただの骨董品と返ったそれを茫然と見つめ、シノは戦意を喪失したのだ。
彼女の心を動かしたホットケーキの身に、かつて何があったのかは知らない。知らないが、彼もまた辛い過去を乗り越えてここにいる。
「おシノさん……」
ケントも彼女を許すべく立ち上がった。
だが、
『お前には幻滅したよ、おシノ』
――ダンッ!
和解の道が開かれた矢先、それを阻んだのは一発の銃声だった。
彼らの目の前で、シノの胸元に風穴が空いた。銃弾はシノを貫き、無情な血飛沫を彼らに浴びせたのである。




