オークションをぶち壊せ! その4
《舞台袖 宝物庫》
お宝を視認した直後、背後に気配。殺意を孕んだ風がケントの頬を撫でた。
「――見つかったかッ!」
それは威嚇の一撃。頬に薄らと刻まれた傷に、刺客の技量を窺える。暗闇の中、ケントの動体視力は刹那にして敵の攻撃を識別していた。
――クナイだ、魔力を持った。
考えるより彼の行動は早かった。突発的に引き抜いた短剣で第二撃に備えるが――攻撃手は彼に間を与えない。すでに放たれた4本のクナイを、ケントは防衛本能と天性の身のこなしで弾き、回避。撃ち落されたクナイの渇いた音に、闇の奥の攻撃手へ目を凝らす。
まるで影が実体化したかのような妖しさだった。魑魅魍魎――言わば面妖な存在感を放つ刺客に自ずと額から汗が滲む。コツ、コツ、と奥の通路から聞こえてくるヒールの音に、ケントはすぐさま自分の相手が、キエルを襲撃したくノ一であると悟る。
「手負いと聞いていましたが……さすが、勇者様と言ったところでしょうか?」
やはりそうだ。
舞台袖に差し込む微かな光に照らされる、横開きのブラックドレスと白いハイヒール。獲物の様子を窺うかの如くゆったりした足取りで、通路と部屋の垣根を超えると――彼女の素顔がはっきりと視認できた。
極東民族的な顔立ちの黒髪三つ編み女。両手の指間に挟まれたクナイを闇にきらめかせ、ケントの前にその姿を現した。
「なるほど……」
かなり美人だと、ケントは大事な部分を飲み込み、フリーの片手にも短剣を握らせる。惜しいことにかなりストライクな年上美人であっても、隙を見せるわけにはいかないのだ。断腸の思いで、ケントは死んだ魚の目をギラつかせる。
そんな険しき勇者の面持ちに、シノは感心したように微笑んだ。
「その武装、狭所接近戦仕様ですね? つまり、私をご指名でいらしたのでしょうか、ケントさん?」
「タイプです――じゃない、僕の名前を知っていらっしゃるとは、光栄です」
「あなたの事は何でも存じております。ご両親の事も、前の職場の事も……数日前、黒いファントム・ギャングに惨敗したことも――ねッ!」
神業的投擲。手首から上しか動かさずにシノはクナイのフルショットを叩き出す。8本のクナイの殺意にケントは完全に出遅れるが、
「――天体防衛ッ!」
カチッとケントの手の中で、ピンポン玉ほどの銀線細工が閃光を上げる。ギリー特性の人工防御魔法発生器である。その青白い半球の光は魔導師が為す天体防衛にも引けを取らない力を発揮し、シノのクナイ攻撃を瞬時に跳ね飛ばす。
だが、すでにシノはケントの視界から消えていた。体の芯が冷える。彼女の姿を闇に捜そうとするが――淀んだ空気の急流が彼女の位置を本能に伝令する。
真横だ。
「!?」
上半身を急転、逆手の短剣を殴るように振る。ガキンッ! と刃が叫ぶ。それを合図に繰り出される猛烈な斬撃――右手左手、そして投擲。ギリギリのところでケントはシノの猛攻を何とか防ぐものの、防戦一方を強いられていた。
「ちッ――はぁぁッ!!」
負けてたまるかと、情熱的なリズムで剣打を送り返す。荒々しくも剣気漲る反撃、ケントの剣速は上がるが、騎士とは違う忍の暗殺剣に肝心の決め手を掴めずにいた。
拳法と一体化したような身のこなし――おそらくシノの格闘術はケントを遥かに超えている。首を掠めるクナイの刃、鳩尾を狙う反対側の拳。手負いのハンデに息を切らすケントを完全に弄んでいる戦法である。
舞の如くシノは回転、ケントの眼球スレスレをクナイの切っ先が疾走。焦って彼は背後に跳ぶが、その一瞬のうちにシノは太腿のガーターベルトから手裏剣と引き抜き、ターンの反動を利用しケントに放つ。
――ふざけんなッ!
鮮やか過ぎる体術に、ケントはやけくそに短剣を振るう。1、2、3枚撃墜――だが、巧妙にタイミングをずらされた4枚目の手裏剣がケントの鎖骨の下に食いついた。
「ぐっ……!」
手元が止まり、視線が傷口へ。それが失態。ふわりと鼻孔に広がる百合の香り、ケントは肝を冷やして視線を戻すがもう遅い。シノの右手が彼の胸倉を掴み上げ、
「はぁぁぁッ!!」
己の背中を支点に、その細腕一本でケントを床に叩き付けた。
「がはっ……!?」
弾むケントの身体、脳天から足の指先まで電撃が突き抜けたようだった。
それでも本能は攻撃を止めない。即座に身を起こし、手放した短剣と取ろうとするが、シノの強烈なヒール蹴りが鳩尾に入り、ケントはダウン。伸ばしたその手は無駄な足掻きとばかりに踏みつけられた――
「がぁぁぁぁッ!?」
激痛に顔が歪む。その雄叫びにシノはうっとりと聞き入っていた。
「天装さえさせなければどうということはないと思っていましたが……なかなかでしたよ、ケントさん? このシノに一太刀浴びせるとは……」
我武者羅攻撃の少ない成果か。切り傷が入った白い手を、彼女はまるで教師が生徒を褒めるかのようにケントに見せた。
「大方、炎帝倶利伽羅を銀線細工にでもするつもりだったのでしょうが……残念ですね。この刀は容易く力を貸してくれる代物ではありませんよ」
「まるで……自分の所有物ような言い草ですね……!」
「当然です。これは私の一族が代々守り続けた神刀ですから」
その言葉にケントが動揺を示した途端、シノは彼の胸部を踏みつけた。急所を圧され、彼は激しい呻き声を上げるが、逃げるようにもシノの殺意が彼を捉えて離さない。
「……驚きましたか? 私はあの刀をパウロにくれてやるつもりです。その代わりとして、私は自分の身を保証してもらいます。だから……あなた方に奪われては、困るのです。私の安泰計画が台無しになってしまうのですから」
「……あ、安泰ねぇ……素敵な言葉ですこと……!」
呼吸するたびに胸部に激痛が走る。それでもケントは減らず口をやめなかった。
シノの片眉がピクリと動く。彼女はクナイを逆手に握り、床に膝を着いてケントの顔を覗き込んだ。
その心を裸にしてしまう、情欲的な暗黒の瞳にケントは恐怖に似た感情を抱いた。
「そうですよ? あなたの大好きな平穏……シノはそれが喉から手が出るほど欲しかった。だからお願いです……ケントさん、死んでくれますか?」
クナイを収めた左手が、そっとケントの頬を撫で、彼女は息がかかる距離まで彼に顔を近づけた。むき出しの太腿と、視線を下げれば視界に収まる大きな胸元――端から見れば相当エロい構図ではあるが、ケントはそれどころではない。
打開策だ。
だが、シノはケントの視線さえも見逃さない。妙な動きをすれば即刻首を掻っ切られるのがオチだ。この状況下で何ができるというのか……。
「……」
あるじゃないか。たった一つ、勝てる見込みのある博打が――
「どうしました? ケントさん……何かイケないことを考えていらっしゃるのですか?」
「……考えてました。シノさんがどうしたら幸せに生きられるかを」
「まあ! それはお優しいこと……!」
「……シノさん、俺達の仲間になりませんか?」
思いもよらぬケントの悪巧みに、シノは一瞬だけ眉根に不快感を露わにした。彼女はすぐに顔をケントから引き離して、
「こんな状況でスカウトとは……呆れますね。時間を稼いで天装するつもりですか? 無駄ですよ……その気配があらば即刻あなたの首を斬るだけです」
彼の脈打つ首元に冷たい刃を突き付ける。しかし、ケントは苦し紛れの笑みを浮かべた。
「あなたは別にパウロに忠誠を誓っているわけじゃない。自分の命と倶利伽羅を守りたくて強者を盾にしてるだけだ……!」
「……黙りなさい」
「俺達はあなたに危害を加えたくない。魔導騎士団は倶利伽羅を得たからと言って、約束を守ってくれる組織じゃない。だったら……俺達に売ってください……!」
「黙りなさいッ!」
かっとなったシノは、感情のままにクナイを振り下ろすが――ケントの表情に自分のミスを直感した。
バチンッ!
山吹色の閃光を帯びた、強力な防御魔法がシノのクナイを弾き飛ばす。手に走る火傷に似た痛みに、シノの運動神経は自然と回避行動に動く。だが、距離を取った途端、水を得た魚の如く走り出したケントに、彼女は舌を打った。
――ヤツの狙いはこれか!
僅かに光るケントの胸元、恐らく服の下に隠されていた銀水晶だろう。魔力操作の出来ない彼がこの力を使うには、極限状態に陥るしかない。つまり、死を意識すれば、本能が勝手に銀水晶の使い方を教えてくれると彼は懸けたのだ。
その時、ケントは競売品のナイフを手にした。
「酷い人……女性に嘘をついたのですね?」
「ごめんなさい! でも半分本気だよッ!」
反撃だとばかりに、ケントはシノにナイフを投げつけた。他愛もない攻撃――シノはそれを払い落とすと、倶利伽羅の方へと走り出した彼の背に照準をつけるが、ふと攻撃を思い留まった。
先ほどとは状況が違う。攻撃を機に銀水晶が強力なカウンター魔法を発動しかねない。
ダメージ回避は絶対だ。任務の遂行こそ第一と考える忍の本能は、かえってシノに大きな隙を作らせる羽目となった。
その一瞬で、ケントはとあるものを拾い上げた。
闇に光る銀色の砲口――シノは自分の過ちに初めて表情を失う。
「ごめんッ!」
ドォンッ! と、銀線細工のバスーカは火を吹いた。弾丸はシノ目がけて突進。コースと立ち位置からして、回避を迫られたシノは、考えるよりも早く奥の通路へと逃げ込んだ。
着弾。直後、爆炎が部屋への入口を塞ぐ。
これが最大のチャンスと悟ったケントは、傷の痛みを忘れて神刀《炎帝倶利伽羅》の前に進み出た。手早く封印布を取り去ると、現れた燻し銀の刃は曲者を追い返さんと轟々しく燃え上がるのであった。
無理に振れれば身体が蒸発するかもしれない。だが、躊躇している余裕など、ケントには残されていなかった――
「頼む……今だけ……今だけ力を貸してくれ――《影火》ッ!!」
発動した銀水晶がケントの身体に眠る魔法を呼び起こす。超高等防御魔法《影火》は銀水晶の導きに、ケントの身体を黒い炎で包んだ。
最強の防御魔法――全ての魔法を無に帰す炎を纏い、ケントは倶利伽羅の真紅の柄に手を伸ばす。
しかし、灼熱を帯びたエレキがその手を拒み、ケントの身体を吹っ飛ばした。
「のわぁッ!?」
猛烈な勢いと音を立て、ケントは競売品の中に突っ込んだ。破壊された品物の破片を帯びながら、彼は指先の激痛に蹲る。恐る恐る目を開いて指先の状態を確認すると、幸いなことに健在であるが、別の問題が生じていた。
影火の効力が継続しているにもかかわらず、その指先は高熱の油でも被ったように水ぶくれになっている。つまり、現時点で倶利伽羅の力を敗れる魔法が存在しないことが証明されてしまったのだ。
「嘘だろ……? ユーゼスの力だってのに……何でだよ……何で!」
影火がなかったら腕どころか、半身を失っていたかもしれない。想像を絶する倶利伽羅の炎に、ケントの脳裏に諦めの文字が浮かぶ。
すると、通路から笑い声が耳に届いた。シノだった。
「残念でしたね……もしそこで倶利伽羅を引き抜いていれば、シノは完敗でした。それどころじゃない、パウロにだって勝てたでしょうに」
予想通り――そんな彼女の嘲笑に、ケントは床に落ちた競売品の中からロングソードを拾い上げると、肩で息をしながらそれを構えた。
落ち着きを取り戻した彼女は三つ編みを直すと、丸腰のまま部屋の中に戻って来た。武器の代わりに手にしていたのは翡翠の数珠。彼女の動きに最大限の警戒を図るケントをよそに、シノは悠々と倶利伽羅の前まで進み出た。
そして、
「ケントさん、私はあなたを甘く見ていました。あなたはご自分が思っていらっしゃる以上に、デキる子ですよ? あなたが大人になったら、ぜひともシノ同伴させていただきたいくらい……」
数珠の巻かれた彼女の白い手は、徐に倶利伽羅の炎の中へと差し出された。
「何をする気ですか!?」
「ご褒美に見せて差し上げるのです。この炎帝倶利伽羅の本当の力を――」
そこからは一瞬だった。
驚愕至極の事態だ。数珠の力なのか、あれほど犠牲者を出した倶利伽羅の結界が発動せず、シノは一気に岩からそれを引き抜いた。
あまりにあっさりと引き抜かれた炎帝倶利伽羅は、切っ先のない不完全な状態を露わにしながらも、その魔力を増長させていた。一瞬でシノの身体を紅き炎で取り囲むが、彼女の表情に色はなく、むしろ体力すら回復しているように見える。
血管に流れ込む如く漲る神の魔力に、シノは完全勝利の微笑みをケントに送った。
「さあ……決着をつけましょう。シノの磁力魔法に神の力が宿るのです」
閃光。七芒星魔法陣がケントの足元に姿を現す。
――逃げる時間はない。
足元から伝わる、肌を焦がすプレッシャー。もはや退路は断たれたと、彼は胸の銀水晶と影火に命を預ける。全神経を研ぎ澄ませ、潜在能力に防御魔法の発動を呼び掛けた。
シノは静かに顔の前に倶利伽羅を構え、刃の上からケントを見据える。
「複合魔法――《彼岸花》ッ!!」
突如、床に撃ち落されたシノのクナイが息吹を上げ、炎を纏う。自ずと立ち上がったそれはシノの命に応じ、一斉にケントへと跳びかかったのである。
「死ねるかァァァ!!」
山吹色の閃光に、ケントの身体は激しき黒い炎に燃やされた。
その直後、爆炎が舞台袖を埋め尽くした。




