【番外編】 その婚約、争い故に
穏やかな空の様子とは対照的に、とある家のとある応接間では激しい嵐が吹き荒れていました。
その嵐の中心には二人の男が睨みあっていました。
一人は体格が良く頬に傷のある男です。普通で有れば怖い印象を与えそうな傷ですが、それを威厳以外の何にも見せない力強さが彼からは溢れています。たとえ野生の生物が出ようとも、彼が出れば尻尾を巻いて逃げるだろうという程に鋭い目つきもしています。
もう一人は瘦身ですが儚げな美貌を携えた男です。彼はこの国の文官が着る服の中でもかなり上等なもの……具体的に言えば標準色の深緑ではなく藍色の装いをしていました。この服装を許されるのは大臣以上の位の持ち主のみです。
この二人は幼馴染であり、共に歴史ある侯爵家の人間です。
ただ、幼馴染というものが常に仲善きものとは限りません。むしろこの部屋の雰囲気こそ二人の関係を実によくあらわしていると言っても過言ではありません。
互いの実力を認め有ってはいるものの、互いの行動がたがいにとって余りにも納得が出来ない。
そんな関係をもう20年以上続けた結果、二人とも実に遠慮なく互いの意見をぶつけ合うようになっています。
それは時に国益をもたらすこともありますが、ただ今ここで行われている議論については実にくだらないと吐いて捨てられてもおかしくないものでした。
まず、ゆるりと非常に低い声で呟いたのは頬に傷のある男です。
「将来、俺の息子は世の中の美女と言う美女を夢中にさせる男となるだろう」
その言葉に瘦身の男は小さく笑いました。
「ああ。そうだろう。だが残念だな。将来俺の娘はそんな男も惚れさせてしまうくらいの美女になることが決まっている」
お分かりでしょうか。要は『うちの子可愛い』合戦です。
ちなみにブリザードを起こす元凶になった息子と娘というのはまだ共に0歳です。将来の美少年(仮)も将来の美少女(仮)もまだ生まれて半年も経っていません。ですのでその美貌が将来どうなるかは未知数ですが、既に双方の父親の親馬鹿メーターはあり得ない程に振りきれていました。
ちなみにその乳児二人は同じ部屋でお花畑状態の双方の母親の傍に居ました。男親同士と違い女親同士は嫁入り前からの大親友です。人妻となり母となった今もうふふ、きゃっきゃと少女のような様子を見せています。ただし人はみかけに騙されてはいけません。二人ともちゃっかり……いや、とてもしっかりしています。そう、とても。
しかし何にせよ、その親馬鹿争いに母親達は参加していませんでした。そして父親同士の争いはヒートアップしていきます。
「グランバルド卿、今日こそはその戯言を訂正せねばならんようだな。お前の娘は俺の息子に惚れる運命だ!!」
「そういうな、ラングレード卿。そなたの息子はそなたと同じ筋肉馬鹿に育ち、我が娘に一目ぼれするだろう」
宣言する顔に傷のある男と当たり前のように言い返す瘦身の男。
「相変わらず仲良しですこと」
「本当に。美しき友情ですわね」
外野が居れば「そんな訳がないだろう」と言いたいこの現場に、残念ながら突っ込み役は存在しない。二人の赤子も実にぐっすり寝ているのでそんな言葉は届かない。そもそも届いたとしても理解出来る訳が無い。
だが、母親二人はこのまま二人のヒートアップを止めておく気もなかった。
「旦那様、あまり大きな声を出すとクルセイドもソフィアも目覚めてしまいます」
「そうですわ。子供たちは余り大きな声を出すお父様では、子供たちがなつきませんよ」
そう、子供を盾に遠まわしに「黙れ」と言った二人の淑女は、実に綺麗な笑顔をしていました。ただし見る人が見れば勝ち誇った笑顔に見えたかもしれません。
その笑顔に良い年をした男二人は少し気まずそうな顔をし、互いの顔から眼を背けました。
その様子に母親二人は苦笑します。
「けれど、そうですね。そこまで仰るのでしたら、この二人は婚約した方がいいかもしれませんね」
「そうですね。私もちょうどそう思っていたところです」
「「どういうことだ?!」」
先程までは全く意見が合わないと言った具合だった父親二人の重なった声に、母親二人は共に苦笑しました。
「だって、どちらかが必ずどちらかに惚れるのであれば、将来はきっと結婚するわ」
「そうね、どちらが惚れるかは分からないけれど、きっと惚れた方は熱烈なアプローチをすると思うから、きっと相思相愛になるわ。意中の人を振り向かせる大人にこの子たちならきっとなる。だから問題無いわ」
楽しそうな母親二人に対し、父親二人は絶句した。
何故この男の子供と可愛いウチの子供を婚約させなければいけないのだ。そんな表情である。
だが母親二人は止まらない。
「グランバルド様の熱烈なアプローチのお話、いつも楽しく聞かせていただいておりますわ。まるで物語の騎士様のようで、王子様のようで、とても素敵ですわ」
「あら、ラングレード様のお話もとても素敵じゃないですか。色とりどりの押し花とお手紙…素敵ですわ。季節の花は詩的で、ご聡明さがにじみ出ていますわ」
「「…………」」
まさか互いの過去を暴露されあっているとは思っていなかった男二人はただ立ちすくんだ。
「ほ、惚れるのはお前の息子だから私のほうは問題ないな。ただ、娘が振り向かなければ当然婚約破棄もありうることだが」
「俺の息子にお前の娘が惚れるんだろう。せいぜい、息子の心を掴むよう精進するんだな」
そう言って互いに譲り合わない二人に、母親二人はまたもや苦笑した。
「ねえ、レイラ。貴女は貴女の息子と、私の娘。どちらが先に惚れると思う?」
「そうねえ…私はアイリと同じ事を考えていると思うわ」
そういうと、二人の母親は顔を見合わせ、声をそろえて言いました。
「「絶対、互いに惚れてしまうパターンよね」」
だって、私たちの可愛い子だもの。そう父親二人とは違い、親馬鹿だと自覚する母親二人はそうなれば楽しいのにと希望的観測で言ってみた。
そんな親馬鹿達の想いが、本当に実現する日が来ることは、この時はまだ知らなかった。
そして「あの男は好かんが娘は確かに優秀だ」と悩む傷の男と、「あの男はただの筋肉馬鹿だが、あの息子は合理的にものを考えれる」と悩む瘦身の男が共に「親があの男でさえなければな……」と、深いため息をつくことになるのもまだ知らなかった。