表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

本編

大爆発。そして舞う風塵。

そのほぼ中心地に立つ細身の女魔術師はその爆風を全身で受け止めていた。見えない壁で爆風も風塵も一定方向に押し流される。やがて空気は落ち着いた。すると彼女はその爆発に驚き尻餅をついた人間にゆるりと手を差し伸べ、優しい、けれど少しだけ困ったような笑顔で尋ねた。


「大丈夫?」


しかしその倒れていた人間はく呆然とした後わなわなと振るえその手を取らない。寧ろその手を振り払い、怒鳴った。


「『大丈夫?』じゃねーだろこのクソアマ、何つー爆発起こすんだッ!!」


そう、爆発から彼を守ったのも魔術師であるが、経った今叫んだ彼を危険にさらしたのもまた魔術師だったのだ。




+++




“若虎”と呼ばれる騎士の名はクルセイド。

“大魔女”と呼ばれる魔術師の名はソフィア。


各々侯爵家の血筋であり、二人は同じ年齢だ。王家に剣を捧げる事を誓ったクルセイドとその魔力を捧げる事を誓ったソフィアは共に国軍の一員である。クルセイドは騎士の、ソフィアは魔術師の若手の中でも特に期待をかけられている。それと同時に見目麗しい二人が並ぶ姿は物語の一場面のようだとも言われている。

そんな二人は幼い頃より「将来あの二人は女神に祝福され結ばれるのだろう」と噂され続けていた。もとより二人は生れた時から両家が決めた婚約者であったし、一緒に居る姿も散見されており、見る人が見れば噂通りだと思ってしまうのだが……実際の所、たとえば軍の訓練施設で目撃される二人の姿は噂とはかけ離れたものである。

 そう、18歳になった二人の間に流れるのはトキメキと呼ばれるものとは縁遠いものであると……まるで年齢や役職とは不似合いな子ども同士のやりとりだと、騎士団本部近辺で目撃した者なら誰でも判断するだろう。元々手を握るという行為すら渋々出た夜会で踊る羽目になった時だけであり、それ以外の場では誰も目撃したことが無い。逆に罵りあっている回数なら数えきれない程あるということは…幸か不幸か、世間一般には全く知られていなかった。


「あのアマ、マジでぶっ飛ばしてぇ……」

「はいはい駄目だよクルス。ソフィアは女の子だからね?」


 幼馴染であり同じく騎士団の同じ隊に所属するジークに宥められるも、クルセイドは酷く荒れていた。原因は言うまでもなく先刻の爆発である。爆発はクルセイドの騎士服の一部を焦がすという無礼を働いてくれている。本来であれば城内でそのような汚れた装いをしていることはとても許容されない。戦時ならばさておき、王城と外聞を気にする場なのである。だがその反面、現在のクルセイドの残念な姿は許容されていた。それは例え普段厳しい上官であっても見咎めたりはしない程に“当たり前のこと”として受け入れられていた。その理由は言うまでもなくただ一つである。――何故なら皆が大魔女の被害を一人で受けるクルセイドに感謝と同情こそするも、その身代わりになりたいとは思わないからなのだ。いわば生贄状態であるといっても差し支えが無い。

もちろんそれはクルセイドとしては腹立たしくて仕方がないのだが。


 そんなこんなで腹の虫はおさまらないが、今は爆発から数刻が経過し既に夜も更けている。本日はクルセイドやジークが所属する部隊の当直日。もう少しすれば皆が警邏に出だす、今はそんな時間。


待機宿舎で雑務の書類に苛立ちをぶつけつつもきっちり業務をこなすクルセイドの姿にジークは『何だかんだでホントに真面目だね』と心の中で感心しながらも、ひとまず落ち着いてもらわなければインクが飛び散り大変な事になってしまうと推測し、宥める作業に再び入った。書類に汚れがついてしまうと困ってしまう。

普段は冷静沈着……とまではいかないものの、飛び級扱いで入団した程に優秀で的確な判断が出来るクルセイドを掌で転がしているように見えるソフィアという令嬢はジークもよく知っている人物である。だからこそ思う。自分がクルセイドの立場でなくて本当に良かった、と。貴族言葉しか使わなかったクルセイドに怒り任せに市井の言葉を使わせるほど、ソフィアの影響力は余りに大きい。


「まぁ、普段はともかく怒鳴るクルスを前にして怯まない女性なんて貴重でしょ。ソフィアもよくやるよ」

「アホか、どうやったらあいつが“女性”のカテゴリに収まるんだ。目の前で大爆発起こすのはもう女じゃねぇだろ。それに俺だって普段から怒鳴ったりしねぇよ」

「…根に持つねぇ」


 ジークは呆れながらも、その意見を否定する術を持たなかったので困ったとばかりに肩をすくめた。残念なことにジークにはクルセイドを納得させる形でソフィアを擁護する事が難しい。皮肉なことにソフィアが居れば彼女の起こす騒動で死ぬ事は無いのは解っているが、肝が冷えることには変わりがないのであまりお近づきになりたいとは思えない。正直心臓がいくつあっても足りなくなると思う。そんなことで寿命を縮めたくは無い。だからクルセイドにあまり我慢を求める言葉を投げかけるのも躊躇われたのだ。

 しかしジークは簡単にクルセイドに同調するわけにもいかなかった。クルセイドも充分に理解していることではあるが、ソフィアが起こす騒動は毎度何らかの意図が含まれており、単に自由に振舞っているという訳ではないからだ。


「……彼女が力を養えば養う程に周囲の国にはプレッシャーになるからね。貴重な魔術師の、それも飛びぬけた力がソフィアにはある。正直、今の隣国は野心が強すぎる」

「女一人に頼る国ってどうだよ?」

「クルスが言いたいことはわかるし、俺も騎士団員としても思う所はあるけど……大魔女様の再来と言われるソフィアだ。抑止力として国も手放せない。少なくとも現国王が国内を掌握するまでの時間稼ぎにはもってこいだろうしね」

「大魔女、ねぇ」

「少なくとも彼女の変わりが務まる人物は、この世に居ない」


 かつて1000年を生きたと言われる歴代最強の魔女の再来。それをクルセイドも否定はしない。何も無い空間から一瞬で爆発を起こされて煽りを受けているクルセイドが否定出来る訳もない。だが、それをすんなり納得するのも癪に障った。


「あれは大魔王の復活だ」

「婚約者に向かってよく言うよ。それに大魔王は大魔女に封印されているから、大魔女の方が強いよ」


 ジークに苦笑されながら、けれどクルセイドは言葉を止めなかった。


「アイツも昔はもっと大人しかったんだぜ。内気で、怖がりで。カエル一匹で大泣きしたことだってある」

「知ってる。…っていうか、今もあんまり変わらないでしょ」

「どこがだよ」

「どこがって…僕が見ると、普通にだけど」


 当たり前のようにジークに言われ、その言葉にクルセイドは少々納得いかない様子を見せる。何か面白くない、そんな.表情である。

 婚約者を魔王というクルセイドも、自分より婚約者を理解する者がいるのが面白くないのだろうかとジークは考えた。ただクルセイドに尋ねた所で、例えその通りだとしても認める訳が無いので早々に考察はやめてしまった。


「まぁ、そんなことよりコレ。仕事よろしく」

「あ?」

「魔術師団第一部隊長の決裁ね。机に置いておいたら明日の朝一で返してくれるって話になってるらしいから置いてきて」


 ジークが伝聞で伝えた理由は、これはジークの起案ではなくジークとクルセイドの上司からジークに渡された使いであるからだ。クルセイドもそれは見ていた。だから「何で俺が」というクルセイドの抗議もよく理解できる。

 だがつい先刻面白そうな話を聞いてしまっているので、その場にジークとしては行く訳にはいかないのである。他の誰でもない、クルセイドに言ってもらわねば面白くならない。そう判断しているジークは「良いから良いから」とずいずいと決裁を押しつける。ただ押しつけられるクルセイドとて大人しくきくタイプではなく、とてつもなくイヤそうな顔をして「だから何で俺が」と抵抗を続ける。しかしそれで諦めるジークではない。


「ほら、だって僕か弱いからさ」

「うそつけ、か弱い騎士なんて居てたまるか」

「そうだね。でもこれはクルスが行って。良いことあるから、ね?」

「ある訳ねぇだろ、嘘つくな」

「ほんとだよ。僕、本当のことを言わない事はあるけど、嘘ついたことは無いからね」


 その最後のジークの言葉にクルセイドは少し考える様子を見せた後、盛大に溜め息をついてジークから決裁をひったくった。その様子はジークの言葉を信じているようには見えず、どちらかと言えば「これ以上言っても時間の無駄」という判断からだったようにジークには見えた。


 だるそうな足取りで部屋を出て行く友を見、ジークは静かに微笑んだ。さて、彼が帰ってきた時どういう話をしてくれるかが今から楽しみである、と。


「まぁ…どうせクルスはいつも通り、本人を目の前にしたら文句なんて言えないんだろうけどね」


 警邏に出るまでにもう一休み、クルセイドの土産話を楽しみに欠伸参りにジークはそう呟いた。



++



それから時は少しばかり進み、クルセイドは魔術師団本部への回廊を歩いていた。


魔術師団の陣営は騎士団本部とは少しばかり離れた所に本部を構えている。それは多くの魔術師が持つ性格故だった。魔術師は基本的に静かな所を好む。加えて『煩い』と判断すれば問答無用で攻撃することもある。流石に無言での攻撃は余程気が立っている時のみではあるものの、その『余程』の際に、訓練をしている騎士が攻撃対象になっては困ると初代騎士団長が案じた故だという。その結果可能な限り離して建設されたとい逸話は長い時が経った現在でも有名な話である。

 ちなみにその初代騎士団長が『騎士にとって最も危険な人物』であると認識した魔術師は先代の大魔女であるという話も有名である。ただし研究者によっては「どちらかといえば大魔女には攻撃されるから本部を離したという訳ではなく、大魔女が“善意”で少々無茶な“訓練の手伝い”をしていた事に騎士団長は頭を悩ませていたようだ」との説もあるので、一概にはっきりはしているとは言えないのだが。


 そんな魔術師団本部は騎士団よりも殺風景である。騎士団も決して豪華絢爛という訳ではないが、厳かという印象を与える装飾はある。しかし魔術師団は本当に何も無い。魔術師団の人間はそんなものに興味を持たない……訳ではなく、そんなものを置いていたら実験道具にされてしまうからである。そしてそれは魔術師の間では特に悪い事とされていないので、装飾品が置かれなくなったという訳だ。『取られたくないなら置くな』という一般人の考えでは到底及ばない常識がここの常識である。


そんな魔術師団の第一執務室にクルセイドはノックをしてから入室する。


「げ」


そしてとても短い声を上げた。

それは短いながらも、酷く解りやすい感情が込められた声であった。

それに呼応する声は落ち着いていながらも、高かった。


「『げっ』とは何よ?失礼しちゃうわね」


 がらんとした執務室に居たのは二代目大魔女とされるソフィアであった。

 紅茶を片手に椅子に深く腰掛け、分厚い本をぱらぱらと捲っている。それは休憩がてら悪戯にめくっているように見えるが、実際に読んでいることをクルセイドは知っている。本当はじっくり読みたいけれど時間が無いからと以前こぼしていた事があったからだ。昼間にあんなことがあったのでどんなに暇を持て余しているのかと思っていたが、どうやら案外忙しそうである。

 そして、昼間はあれだけド派手な……下手をすれば反逆罪や反乱とも思われかねないことを堂々と行っていたにも関わらず、今は単に投げやりで口が少々良くない『普通よりちょっと粗野なご令嬢』そのものである。つい先ほどまでは「ぶっ飛ばしたい」とクルセイドが思った相手だが、この様子では、流石に怒鳴りつけることは出来なかった。残念なことに、相手が一応“女性”に見えてしまった故だ。騎士団員には無自覚のフェミニストが多い。そしてクルセイドもその一人だ。そもそも騎士としての振る舞いとして本来女子供に暴力的な言葉を投げかけることは品位を損なう行為と見なされている……それが例え相手に非があろうとも。もちろん男なら気にせずといった意味合いではなく、要約すると『我慢できないなら美しく反撃しなさい』ということである。ただしそんな空気の中でもソフィア限定で相当荒い言葉を使うクルセイドが何も注意を受けない理由はやはりソフィアが『規格外』と認識されているからだろう。クルセイドも本来はそれほど短気な訳ではない。むしろ感情コントロールに関しては長けているはずなのだ。それにも関わらずソフィアに対し思った言葉を包み隠さずぶつけられるのは『生命の危機を感じるから』という以外に、『何だかんだ言っても幼馴染の間柄である遠慮の少なさ』が関係しているかもしれないと本人は推測している。そもそもクルセイドとて余程の事が無い限り…それこそ生命の危機を感じ取らない限り、ソフィアが相手でも怒りをぶつけようなんて思わないのだから。


 少し本題からはそれてしまったが、クルセイドはこのまま固まるという訳にはいかなかった。


「……お前も当直か」

「そうよ。っていうか、当直じゃなくても帰れないからどっちでも良いけど」


クルセイドが呟いた差し障りのない言葉に呼応したソフィアの傍には書類の山が出来ていた。魔術にからっきしであるクルセイドには意味のわからない、魔術式の展開に関する論文であったり、古代文献の翻訳中のものであったり、魔術師の配置に関する書類であったり、魔術師の個々の能力表であったり。当直室でクルセイドが片づけていた書類とより余程役割が重いものが積み重なっていた。

魔術師の当直は騎士の当直とは違い、基本は『何かあった時のために待機すること』であり、つまりそれは城内のどこにいるか所在を判明させておけば何をしていても構わない。極端な話寝ていても遊んでいても何ら問題はない。だが、よくよく思い起こせばソフィアが当直の際に仕事に埋もれていなかったことは無かったな、と、クルセイドは思った。


「こら、人の成績表見ちゃダメでしょうが」

「痛ってー…」


 細かな中身まで見ていたわけではないが、積み重なった書類を思わずマジマジ見ていたクルセイドは咎められたと同時、額に小さな痛みを覚えた。どうやら手にしていた本を机に置いたソフィアが、クルセイドの額めがけてデコピンの要領で風を飛ばしてきたらしい。実際に生じた痛みはそれほど大きくないはずだが、不意打ちを食らったことから反射的にその言葉が口から出てしまっていた。


「それで?騎士様がわざわざこんな時間に何の用?」

「部隊長の机に決裁置いてこい、ってジークが…」

「机に?ちょっと貸して?」


 デコピンをした形のままだった指をソフィアはひらき、そしてその手を差し出す。

 何でお前に渡さなければいけないんだとクルセイドは言いたかったが、軍での立場は実力・階級共にソフィアの方が上だ。拒む正式な理由がなければ上官の指示に従うのがこの世界。クルセイドは渋々ソフィアに決裁を差し出した。ソフィアはそれをゆるりと眺め、合点が言ったように頷いた。


「ああ、この件ね。いいよ、私がサインするから持って帰ってよ」

「お前副長だろうが」

「いいのよ。どうせあと10日で私も隊長よりお偉いさんになるし、隊長も面倒が減るならそれでい言って言ってるし」


 そう言いながらソフィアはペンを走らせる。大味な性格とは対照的に、綺麗に整った字で名を綴っていた。そして書き上がったそれをクルセイドに返しながら、ソフィアは口を開いた。


「私に将軍の内示があったのよ。新たに創設されるそうよ、魔術師団の将軍様が」


 その言葉がどれほどの意味を持つのか、クルセイドが理解できない訳がなかった。


「マジかよ」

「うん。すごいでしょう。何階級特進かな?」


 言葉の割にソフィアの声色は酷く落ち着いていた。それは窓から外を眺めているような、まるで自分の事ではないかの様子である。少なくとも喜んでいる人間の雰囲気ではない。そしてクルセイドも、そんなソフィアに「うらやましい」という思いよりも別の感情が生じてしまった。


「…妬み、買うなよ」


 そして言葉に迷ったクルセイドが最終的に選んだのはその言葉であった。

 全くうらやましくない訳ではないが、18歳の将軍就任、しかも女性という条件で内部に敵をつくる可能性はかなり高い。根回しをしているなら安心と言う可能性もあるが、ソフィアに根回しが出来るようにはクルセイドには見えなかった。だから、迷った挙句にこの言葉をかけたのだ。

 だが、そのクルセイドの言葉にソフィアは目を丸くしていた。


「心配してくれるの?」

「………一応な」

「昼間はクソアマ扱いしてくれたくせに。さすが婚約者様ね?」


 少しおどけながら尋ねるソフィアを見、クルセイドは「やっぱり言うんじゃなかった」と思ってしまった。しかしそれは口には出さず、意外だとでも言いたげな表情のソフィアから顔を背けた。そしてそれ以上は何も言わず沈黙だ。心配したのは本心であるのだから否定することは出来ない。しかし素直にハイそうですと言うのも癪に障る。

そんな様子が全面に出ていたのだろう、ソフィアが小さく笑った。


「でも大丈夫よ。…もう妬みも恨みも、充分に買ってるから」


 そしておどけた様に呟かれた言葉は、軽い調子の割に重たかった。そして、笑ってはいるものの、その笑みは何処となく力がない。昼間の勝気な表情からは想像出来ない表情である。


(…ホント、こういう顔しなけりゃ俺も対応しやすいのに)


 決して今のソフィアは丁寧なやり取りをしている訳ではない。しかし昼間の「魔王」のような様子ではなく、年相応に困った様子を面白可笑しく誤魔化そうとする一人の少女だ。


 今のソフィアが昼間より大人しいのは、決して感情の浮き沈みという訳ではないのだろうとクルセイドは推測する。どちらかと言えば今の彼女の表情は暗いものだが、明るい昼間よりも今の方が肩の力は抜けていて自然である。尤もそう思うのは気のせいかもしれないし。昼間はいつも自由奔放に振舞う、「いい加減にしてくれ」と言いたくなる…寧ろ殴り飛ばしたくなる彼女はいつも人気の少ない場所であればこのようになる。

 もう少し前までは、クルセイドもこのソフィアの調子の変化が不思議であった。言葉の調子は変わらないのに、話す声色と雰囲気が変わってしまう。初めは疲れているのかとも思った。けれど、何度かこのように会っているうちに彼女自身そのようなつもりが無いことが分かった。少なくとも、ソフィア自身はいつも通り振舞っているつもりなのである。


 だからこそ、どう接すればいいのかクルセイドは困るのだ。なまじ小さい頃から見知った間柄であるせいで放っておく・関わらないという選択肢をとることは憚られる。それ以前に一応婚約者様だ、関わらないという選択肢はどう考えても持てはしない。


 疲れているなら労わりの言葉ひとつでも掛けるべきか。一応との装飾がつこうとも、婚約者の立場から何か告げるべきだろうか。それとも本人が隠しているつもりであるなら、知らないふりを貫き通すのか。爆発に巻き込まれてウンザリしているはずであるのに、こうもソフィアに悩ませられるクルセイドは自分に少々嫌気がさした。


 だが彼はその苛立ちを今目の前に居る、疲れた様子の彼女にぶつけるような性格ではなかった。


「……将軍を新たに迎えると言うのは西の戦に備えて、か」


 下手に話題を変えるではなく、あくまで仕事の一環という調子でクルセイドは言葉を発した。どこもかしこも国境沿いは不穏であるが、その中でも西の国が一番解りやすく動いている。それは一般国民にすら解りやすいと思える挑発を繰り返している故だ。

 クルセイドの言葉にソフィアは肩をすくめて「恐らくだけどね」と肯定した。


「今日も西の自称文官ってのが見え透いた嘘を持参して謁見……というか挑発に来てたから、ちょっと軍事演習見せかけて爆発起こしてやっちゃった。文官さん驚いてたよ。巻き込んでごめんね?」

「全然悪いと思ってないだろうが」

「うん。今回に関してはオフレコだけど陛下の発案だし、誰も怪我させなかったでしょ?」


そう堂々と言いきるソフィアに、クルセイドは大げさとも言える溜め息をついた。流石に陛下に「シメる」とは言えるはずがない。だがソフィアにはクルセイドの溜め息を気にする様子は一切なかった。寧ろ先程より少し楽しそうな、元気な様子にすら見えた。反省の色は皆無である。


「まぁ、一応驚かせたのは謝るわ。でもちゃんと収穫はあったのよ?あの文官モドキ、国に帰った後予想以上に大げさに報告してくれたの。『手出しが出来ない国だ、新兵器を作ってる。まだ我が国の兵力では勝てない』…ってね」

「お前、また“覗いた”のか?」

「ちゃんと記録も残してるわよ。見る?」


そうしてソフィアがクルセイドに見せたのは水晶玉。彼女は左手でそれを軽く掲げている。水晶の中は煙が充満しているように見えるが、彼女が命じればその煙は晴れ、見たいものが見られる(ただし見れる範囲は魔力の消費量に比例するし、他の人に見せるとなると倍以以上の魔力を更に消費するらしい)という便利な代物である。そして魔力の底が知れないソフィアが持つには最高の道具である。ちなみに作者はソフィア自身であり、この世に二つとない魔道具だ。間諜要らずの恐ろしい魔女様である。


彼女は手のうちで水晶玉を転がしながら、ぽつりと寂しそうに喉を震わせた。


「平気どころか、単なる魔術師の遊びレベルだって知ったらどうなるのかな」


 遊びと言うなら、何故そんな表情をするのか。クルセイドは尋ねたかった。仕事だから仕方がないと割り切っている雰囲気を感じ取れなくもないが、それにしてもその真意が読み取れない。


「……なぁ、お前、何でそんな強くなったんだ」

「どうしたの、急に」

「お前の家系に魔術師は居ない。それなのに、何故侯爵家令嬢が魔術師を目指したんだ」


 ずっと疑問ではあった。花よ蝶よと育てられていたはずの姫君が、どうしてこの場に立つことを望んだのか。家からの反対もあっただろう。それに今は戦が起こってないとはいえ何時起こっても不思議では無い。そもそも戦にまで至っていない理由がほぼソフィアの…大魔女の存在故にと言っても良い。いつ戦が起こるか分からなかったこの世界に、何故彼女が身を置こうと思ったのか全く分からなかった。


 クルセイドの問いに、珍しくソフィアは驚いた様子を見せた。しかしそれはすぐに消える。

 そして立てた右手人差し指をくるっと回し、楽しそうに言った。


「クルセイドは強い女の子嫌いじゃないでしょう?」

「何の話だ」

「だって、騎士を目指し始めた頃、とっても強いから戦女神のスティーリアが理想って言ってたじゃない」


 話の道筋が分からないクルセイドは眉間にしわを寄せた。


 戦女神スティーリア。それはこの国で最も有名な物語、神話伝説に登場する女神である。自分の信じた道を切り開く女神とされ、スティーリアの紋章をあしらった守り札を持っている騎士も多い。創造神でこそないものの国の規模で彼女を奉る祭りも存在することを考えれば、今国一番の女神といってもよいかもしれない。だが、そのようなことをソフィアと話した記憶はクルセイドには無かった。


「何の話だ。いつの話だ」

「6歳くらい?」

「覚えてねぇよ」

「あら、でも好みってのはあまり変わらないでしょう?要は強さ。…強い大魔女様では不満かしら?」


 そう、はぐらかすように言う言うと、彼女は人差し指の先に光を集めた。

 そしてそれは急にはじける。綺麗な粒子が辺りに散らばって、すぐに消えた。


「なんかその言い方だとお前が俺に惚れてるみたいだな」

「あら、そう?でもそうだと困る?」

「いや……もうなんかどうでもいいかもしれない」

「そう?じゃあそんなことよりお茶してかえる?淹れてあげれるわよ」

「……残念だがもう戻る。警邏に出なければならない」


 度々ソフィアに茶を淹れてもらった事のあるクルセイドは、如何にソフィアが茶を上手く淹れれるかは知っている。それこそ普段は苛立たせられる事ばかりだと解っていても飲みたくなるくらいに美味しい事を知っている。だが今はそこまで時間も残っていない。

 任務の時間が近づいていることが少し悔やまれはするものの、それが騎士の務めだ。平和と治安の維持。そのためであれば己を犠牲にする者こそ、騎士である。流石に茶一杯でそのような事を言うつもりはないが、少々残念であることには変わりない。だから「また頼む」とだけ伝えた。


「そう。気をつけてね。一応今朝王城内全域に不審者の侵入を許さないよう、魔法陣を張り巡らせたわ。けど王都内はまだ全域じゃない」

「…あまり無理はするな。複雑な術式は全部お前の負担になって跳ね返ってくるぞ」

「心配してくれるの?でも、大丈夫。私、強いから」


 そうぐっとこぶしを握りしめ、ソフィアは言う。それを見、クルセイドは踵を返した。そして扉に手をかけたとき、ソフィアが珍しくクルセイドを呼びとめた。


「ねぇ、クルセイド」

「何だ」

「婚約、解消しましょう」


 唐突な発言を行ったその声色は静かで、穏やかで、けれど強い芯を秘めていた。


「…ンだよ急に」


 振り向きはしていないが、逆にその声に戸惑ったのはクルセイドだ。今まで彼女の口から、いや、侯爵家からそのような話題が出たこともない。だが、彼女が冗談でそういう性質ではない事は良くわかっている。無茶苦茶をするし、無理難題を吹っ掛けることもしばしばある彼女だが、決して思いもしていない冗談にならない事をいう人間ではないのだ。


「急じゃないわ。ずっと考えていたもの」


 見えはしないが、穏やかな表情が声に滲んでいた。


「お前の考えてること、わかんねぇよ」

「私が考えてるのは、いつも一つだけよ。それに、婚約を続けたって貴方に嫁げない、それはクルセイドも解っているでしょう?」


 真面目な様子の彼女は、クルセイドに確認するように続けた。


「私がこのまま仕事を続ければ、侯爵夫人なんて立場は務まらない。家も領地も守れない。かといって、軍が私を手放せる訳がないわ。最大の敵になり得る可能性があるからね」

「それは…いくらでも、」

「あのね、私も侯爵家の娘よ?自分が、どれ程異端であるかは、理解できてる」

「ソフィア」

「それに、貴方も『大魔女』を娶るのは乗り気ではないでしょ?ちょうど良いじゃない」


 最後は少し笑いながら、ソフィアは言う。クルセイドは振り向かないまま、何も持たない左手を強く握りしめた。


「…お前は、どうなんだ」


 声が震えそうになっていた。けれどそれは騎士として「本当に大事な場面で心を乱すな」と言われ続けた事が功を奏して何とか留めることが出来た。クルセイドには緊張が走る。けれど、背中で和らいだ空気を感じた。

 クルセイドもソフィアも、決して異を唱えたことのない約束。本当に結婚するのがいつであるか等口にしたことは無いし、実際仲が良いとも言い難い。けれどそれでも疑うことが無かった約束でもある。

 それにソフィアの言う言葉こそ今更なのである。本当に理由がそれだけであるのなら、いまさら解りきったことを述べる必要などないのだから。けれどソフィアはそのクルセイドの問いに直接答えようとはしなかった。


「私は好きよ。この仕事。…それに貴方を守る仕事、私が辞められると思う?」

「それはどういう」

「話は終わり。お帰り下さいませ」

「ソフィア!!」


 突如扉が開き、自分の意思とは無関係に外に追いやられる。クルセイドが部屋を出た瞬間扉は閉まり、そしてそれを開こうとしてももう扉は開かなかった。ガチャガチャと扉を開けようとするが、全く取っ手は動く様子を見せていない。木で出来ているはずの扉を無理に押そうとしたが、それもまるで鋼で出来たかのように動かない。


「ッ、ソフィア!」


 もう少し話すことがあるだろ!そう思いながらクルセイドは扉をたたいた。時間は無い。警邏に行かなければならない。だから一刻も早く此処を開けてもらわないと…そうは思うが、固く閉ざされた扉の向こうを覗き見ることは叶わない。

 悔しく思いながらも、諦めざるを得なくなり、その扉を背にしようとした瞬間、それまで自分を見ていた人物がいたことに気がついた。クルセイドは焦った。今の行動が褒められたものでないことは、十分に理解できるからだ。クルセイドを見ていたのはソフィアの上官、魔術師団第一部隊長だった。


「何かあったのか?」

「あ…。大変申し訳ございません。決裁を受けに来たのですが…副長の機嫌を少々損ねました」

「ああ、ソフィアか。君も苦労しているね」


差し障りのない事を伝えると、隊長は苦笑していた。そして「いつものことだから気にするな」とクルセイドに告げる。


「君は確か、ソフィアの婚約者……クルセイド君、だったね?」


 基本的に魔術師団は騎士団の個々の名前を覚えていない事が多いのだが、この隊長が何故自身の名前を覚えているのか、クルセイドは不思議であった。だが、


「ソフィアをよろしく頼むよ」


まるで親のような口振りで言う隊長にクルセイドは何も尋ねる事ができなかった。ただ、「…失礼します」とだけ言って立ち去った。騎士団員がクルセイドに言うその言葉は主に“防波堤”としてだが、隊長の言葉はまったく異なる色をしていた。そしてそれは今に限っては防波堤よりも酷く皮肉な言葉に思えた。


クルセイドが騎士団に戻ると、既に警邏に向かう準備をしていたジークに「案外遅かったね」と声をかけられた。その様子からはソフィアが当直であるのを知っていたことが窺える。


「あれ?良いことなかった?」


 クルセイドの反応が薄いからだろう、クルセイドの外套を放り投げながらジークは小首をかしげる。大の男が似合う動作ではないはずだが、実際より線が細く見えるジークが行うと何故かしっくりくる…が、その動作が今のクルセイドを更に苛立たせるのは言うまでもない事で。だからと言って、その子細を話す気には到底なれなくて


「ああ、全然な」


そう、短く返した。




++




王城勤めの騎士の当直には、いくつかのパターンが設定されている。基本的に当直は小隊毎の組み合わせになるのだが、その小隊の中でも役割は上役の裁量で違ってくる。そして本日のクルセイドの役割はジークと組んでの市街地警邏だった。

基本的に王都内の治安は良い。それは主に「悪事は全て大魔女様が見ている」という迷信が浸透しているから、ということもある。それはソフィアに言わせれば「わざわざ魔力消費してプライバシー覗き放題?やめてよ趣味そんなに趣味悪くないわ」という事らしい。もっとも、わざわざ見張らなくても既に起こってしまった事に関して、少なくとも王都内であれば彼女を慕う使い魔が多く存在するし、調べようと思えば比較的簡単にわかるとのことらしいのだが。


「…ほんと、大魔女様は完璧すぎるだろ」

「どうしたの?」

「いや、少し世の中理不尽だなと思ってな」


 執務室でのやり取り…主に追い出された状況を思い出しながらクルセイドは小さくつぶやいた。話をしたいと思っても彼女が拒めば、物理的に応戦できない状況に陥ってしまう。何においても彼女の思う通りにしかならないのだろうと思うと、思わず言葉がこぼれてしまった。普通なら何らかの行動を以って多少は対等に渡り合えるはずであるが、余りに実力の違う相手を前に完全に手をふさがれた状態だ。

 確かに、婚約は本意とは言い切れない。家同士が決めたものであるし、男女の区別がつくようになってから甘い空気なんて漂ったこともない。けれど、彼女が何を考えているのか解らないままに破棄する事はクルセイドにとって納得しがたいものであった。


 そんなクルセイドの様子を見ていたジークは、ぽつりとクルセイドに尋ねた。


「ねぇ、クルス。君はどうして騎士になろうと思ったの?」

「…何だよ、藪から棒に」

「僕の場合、きっかけは一番都合が良かったからだよ。勉学の道より身体を動かしたいし装いがカッコイイっていう不純な動機。まぁ、今は王家に仇なす者は全て切り捨てる覚悟はあるけどね」

「……そうだな」


 ジークの突然の、そして正直な告白にクルセイドは相槌を打ち、そして言っていいものかと少し考えた。

 クルセイドはその理由をジークにも言ったことは無かった。だからジークが不思議に思うことも不思議ではない。クルセイドの家も騎士の者がいないわけではないが、父親を除けばほぼ文官の家系である。しかも父親は滅多に家に帰って来なかったので…父親の名誉のために言うと彼は外に愛人を作っていたわけではなく、非常に治安の不安定な時期に要職に居た…憧れたという訳でもない。事実クルセイドは「父上のようになりたい」などと一度も言ったことが無い。


クルセイドが騎士を目指すきっかけは5歳のときに起こった、忘れもしない一つの事件。


事件はソフィアと一緒に自宅の庭園に居た時に起きてしまった。


当時のソフィアはよくクルセイドの自宅を母親と共に訪れていた。母親同士が元々仲の良い幼馴染だったらしく、クルセイドとソフィアはいつも一緒に遊んでいた。

当時の彼女はおっとりしていて、常ににこにこと笑っていた。話をするよりは聞くほうが好きだったようで、いつもクルセイドが話す事に対して目を丸くして聞きいっていた。外で遊ぶよりも本を読むほうが好きだったようだが、クルセイドが外に行きたいといえば必ずその主張を受け入れてくれた。だからクルセイドも与えられる菓子をソフィアにお礼のつもりで譲ったりしていた。たとえ、それがどんなに好きな菓子であっても。

今では素直に口に出すことができないが、5歳にして惚れてしまっていたのだ。


だが、そんなある日。いつも通り庭で話をしていたクルセイドとソフィアの二人が白昼堂々と誘拐された。


公にされていない事件であるので、今のクルセイドがその詳細を知る手だてはない。今となっては何も教えられず、揉み消したらしいあの事件の真相には恐らく政治が絡んだ事件だったのではないかと思う。同時期に侍女が一人突然姿を消したことから、彼女が何らかの手引きをしていたのだろうとも想像がつく。


 事件の当日の事は強烈な印象を受けたもの以外はもうあまり覚えていない。ただ、二人は互いの肩に顔を預けるような状態で袋に詰められ、両手両足を縛られ、酷い恐怖があったことは明確に覚えている。騒いだら殺す、そう言われたのが脅しには聞こえなかった。

 身動きすらとれない中、クルセイドはひたすら震えていた。どうしたらいいのか、ここはどこなのか、一体だれの仕業なのか。頭の中でぐるぐると回り、振るえがより一層激しいものになった。


それを考えると、むしろ同じ状況でも気丈だったのは当時まだ大人しかったソフィアの方でと思う。震えながらも「大丈夫、大丈夫だよ」と、小さくクルセイドに言い続けていた。ひょっとすると彼女はそれを言うことで自分自身を勇気づけていたのかもしれない。だがそんな必死な彼女を見て、自分も守りたいと思ったのに、やはり怖さから何もできなかった。守られている自分が悔しかった。それでも怖かった。


 だから、助けに来た騎士に安堵し涙をこぼしたソフィアを見て、本当に後悔した。そして思ってしまった。ああ、自分も騎士になって、今度こそ彼女を守れたら、と。


(俺も大概不純な動機だな)


 王家に誓いを立てつつも、根っこに立ち戻ると恥ずかしい理由が埋まっている。これは絶対口に出来ないとクルセイドは想いつつ、そこから先を思い出すと気が重たくなった。


 5歳で騎士になる決意をし、同じく騎士である父の指導を受け、10歳で国軍予備隊と呼ばれる学び舎に入学した。在学中の二年間の修練中は一度も帰宅したことがない。ソフィアとのやり取りも、手紙でさえ行わなかった。ただひたすら強くなることに懸命だった。

やがて首席で予備隊を卒業すると、13歳で国軍青年隊という騎士見習いの所属に配属された。予備隊と違い、青年隊は名前だけの見習いとはいえ軍の一員である。


これで胸を張って家族に報告できる、そしてソフィアにも報告できる…そんな事を考えていた矢先である。

若手の騎士団員と魔術師団員による入隊歓迎会で、既に正規の魔術師として二年目を迎えていたソフィアと再会したのは。


 記憶の中の彼女とは違い、下町の言葉を操り10歳程違う同僚と同等に話すソフィアは「若将軍」との渾名で呼ばれていた。騎士団と違い魔術師団は魔力が必須となるので騎士団より人数が圧倒的に少ない反面、女性の所属者も居るには居る。だが魔力もちの女性でも戦に出る可能性があるその職にわざわざ就こうとするなどかなりの変わり者だ。一体なぜ…そうクルセイドが思っている間にも行われたデモンストレーションの決闘で、彼の戸惑いなど気にする様子を見せないソフィアは、既に後に大魔女と呼ばれる片鱗を見せていた。全勝無敗。大人顔負けの決闘を演じたその顔は自身に満ち溢れていた。


 そんな姿をクルセイドはただ茫然と眺めていた。


 クルセイドはソフィアが魔術師を志していた事を知らなかった。

 魔術師になるために不可欠な魔力は必然的に魔術師の血統が必要になってくる。ソフィアの両親は魔術師ではないため、クルセイドはその可能性について考えたことなど一度もなかった。いや、仮にどちらかが魔術師でも、彼女が魔術師を目指すなんて考えもしなかった。だが、目の前の彼女はクルセイドが『守りたい』と思っていた彼女ではない。正確に言えば、『守る』だなんて到底クルセイドが口に出来ない程の力をつけ、若手魔術師の中では抜きんでて若く、強い存在としてそこにいたのだ。


(……あれには正直プライド全部たたき折られたな)


 目を見開いた出来ごとはそれだけではない。

なぜならその再開以降、城内でソフィア会えばロクなことが無かったのだ。


 婚約者との話を聞かせろと先輩騎士にいじられ、怪しい魔術実験に巻き込まれ、多少言い返したと思ったら夜会のダンスで足を踏まれる。勿論それはつま先ではなく踵で、だ。しかもその顔に悪いなんて認識はまttかうないようで。クルセイドとしては「俺が一体何をした」と言いたくなる出来ごとの連続だ。なぜ周囲(※ただし騎士団員を除く)に仲睦まじく見えるのかクルセイドには理解できない。

しかしそのくせ一目がつかない場所になれば肩の力を抜き美味しい茶を淹れもてなしてくる。それは想像していたよりずっと美味しいものだった。彼女が何を考えているのか、クルセイドにはさっぱり読めなくなっていた。


 三年の月日がどうして彼女を此処まで変えたのかと暫く考えたが、徐々に苛立ちが勝りいつしかクルセイドも市井の言葉で言い返すようになってしまっていた。騎士団にそのような言葉を使う者はあまりいないが、魔術師団は出身を問わないため比較的市井の言葉が多いらしい。ソフィアの言葉に男言葉が混じるのはやはり同僚に男性が多いからだろう。そう思うとやはり少々苛立ちは生れてしまう。


 守りたかった彼女はもういないし、例え居たとしても彼女より弱い自分には守れない。そのコンプレックスも生れてしまった。周りから褒められ、首席として過ごし、このまま何もかも順調だと信じていた中で、この出来事は予定外であった。


(…ああ、そっか。俺、俺が弱いから妬んでるのか)


だからそう、やけになってしまっていたのかもしれない。

自身を改めて冷静に判断しながら、クルセイドは不意に浮かんだ考えに静かに納得してしまった。順調だった予定が狂った原因が彼女が強すぎるという事である…そんな風には考えようとしたことが無かった。それは唐突だが、思い浮かんだ事にやけに納得してしまった。同時に「だからソフィアの事が嫌いにはなれないのか」と。苛立つことはあっても、乱暴な言葉をぶつけてしまうことがあっても、本質的に嫌いにはなれない。嫌いに慣れていたのならもっと早くにクルセイド自身が婚約破棄を言い渡していただろうし、そもそも所属が違うのであれば徹底的に避けることだってできたはずだ。


(…けどこれは気づきたくなかったかもしれない)


ただ単に読めない彼女の意図を測りかねているので距離感が解らないが、遠ざかるという選択肢は持っていなかったのだ。

 

(…けどまぁ…そんな事はおいとくにしても、あいつはマジで何考えてんだ!!)


 自分の気持ちを整理する傍らで次に生れた苛立ちはソフィアの一方的な婚約破棄に対する思い。確かに婚約者を婚約者らしく接していない自覚はあったが、互いに不平不満を述べたことは無いし、突然出された話に苛立ちを隠せと言う方が難しい。


(…いや、待て。俺が望んでいないから、あいつもそう振舞った…?いや、そんな訳が無いか)


ふと浮かんだ一つの可能性をクルセイドは首を振ってかき消した。


(いずれにしろ俺はあいつがわからない。それだけが確かなことだ)


かき消した幻想はただの自惚れだ。自分が行動を読めない彼女の、その望みだけは理解出来ると言う都合の良い可能性なんて低いものであるとしかいえないのだから。


「…クルス、クルスってば」

「あ?ああ、悪い。どうした」

「どうしたって自分の世界に籠らないでよ。一応は警邏中だよ」


 当たり前のようにジークに言われたクルセイドは「…解っている」と、少々小声になりつつ言った。

 やはりジークに話すには少し恥ずかしい動機だなと思ったクルセイドは先程のジークの問いには答えないことにした。しかし、代わりにジークが『良い事』が起こると想定していた出来事の顛末を端的に話した。


「ソフィアから婚約破棄の申し入れを受けた」


 その言葉に正面を向いていたジークは少しだけ視線をクルセイドに移した。しかし彼はさほど驚いた様子を見せなかった。


「ふうん。で、受け入れたの?」

「何でそうなる」

「まぁ、そうだよね」


やはり驚いた様子を見せないジークは、むしろクルセイドが驚く言葉をあっさりと吐いた。


「ソフィアはなんて?陛下と結婚するとでもいってた?」

「は?」

「あれ、聞いてない?もちろん全員ではないけど、重鎮が今陛下の嫁にソフィアを推してるって話。まぁ、身分が良くて頭の回転が速くて国政に精通してるお嬢様っていったら一番に上がるだろうね」

「そんなのアイツからは一切聞いてない」

「ソフィアからじゃなくても聞いたことない?結構有名な話だよ」


 肩を竦めながら言うジークに、けれどやはりクルセイドとしては知らないとものは知らない。


「まぁどうせクルスのことだから全然見てないだろうとは思ってた」

「…棘のある言い方だな」

「僕は男より女の人に優しいからね」


 今度はジークが肩を竦める番である。しかしここで放置することも友として気が引ける。いかんせん友人はこの方面に関して疎いとよく知っているのだから。


「婚約破棄っていわれて、一番に思い浮かんだのって何?理由?」

「…そうだとしたら何だよ」

「一番思い浮かんだのが体面でないとするなら、それは君が彼女に惚れてるってことじゃないかな?侯爵家同士の婚約破棄で一番気にするのは評判のはずだからね」


 その言葉を聞いて固まるのはクルセイドである。…普通に考えれば一番に思い至るだろうことを、初めて聞く事のように驚いた顔をする彼が如何に疎いかを物語っている。逆にジークからいえば逆に何故思い至らないのかが不思議だが。

 

「馬鹿正直に伝えてみればいいと思うよ。尤も、クルス自身に自覚がまだないかもしれないけど」

「………」

「正式に婚約破棄をしてしまえばもう後には戻れない。解るだろ?別に愛の告白でなくとも、少し待ってほしいってのでも何でもいいからさ」


 かっこ悪い事するなら今のうち、そう言外に込めていうジークをクルセイドは嫌なモノを見る目で見た。


「言えるかよ…っていうか何を言うんだよ」

「ああ、まだ自覚ないんだもんね、うん。なら『惚れた女を守りたい!って想いで騎士団はいった』って言えば良いんじゃないの?」

「なっ」

「うわ、図星?…予想はしてたけど、クルスって恥ずかしいくらい正直だよね。顔真っ赤」

「うるさい…!!」


 してやったりと笑うジークに、夜の路地に似合わない声でクルセイドは言い返した。その声は彼自身思っていたよりも大きかったらしく、慌てて顔を背け額に手をつき下を向いた。


「…色々考えて、ようやく気付いたり思い出したりしたとこなんだよ……」

「ふうん?一足遅くない?」

「お前ホント好き放題言うな」

「でもまぁ、陛下は関係ないか。ソフィアと陛下は仲良いけど、あれは同類っていうか類は友を呼ぶって感じだしね」

「…お前、そろそろ俺に本気で喧嘩売ってるのか」


 ジークを睨んだが、いまさらそんなものでジークが怯むわけもなかった。


「まぁ、後悔はしないようにね。骨は拾ってあげるから」


 夜間数回ある警邏も、一度が終われば少し時間をとることができる。そう、ジークが言おうとしていることは既にクルセイドも感じていたようだった。

 骨なんて拾われてたまるものか。そう、クルセイドが思ったのは言うまでもない。




+++




 幸いにも何事もなく警邏を終え、報告書を書くジークをよそにクルセイドは再びソフィアの居る執務室へ向かった。

到着先では先程固く閉ざされていた扉が今は開くまでもなく壊されていた。クルセイドが去った後何かが有ったのだろうが、そんなことを気にする余裕はクルセイドには既になかった。


 クルセイドは走ることこそなかったが、競歩の速度でその部屋の中に飛び入った。

しかしそこは既にもぬけの殻。全開の窓にではカーテンが緩やかになびいている。ソフィアはいなかった。


だが、先程までは必ず此処に人がいたと言い切る自信はある。文章を中途半端に書き散らした文章は、急いでこの場を離れたことを示しているのだろう。


本や荷物が積み重なった室内を大股でクルセイドは進んだ。

そして窓から外をざっと外を見渡す。そして、すぐに見つけた。窓に背を向けて悠々と歩くソフィアは、恐らく飛び降りたようだった。その証拠に、僅かに振り返って余裕を散らした笑みでクルセイドに軽く手を振っている。…解ってて、逃げて、その態度か。腹立たしいにも程がある。


「…後が無い中早々逃げられてたまるかっての!!」


クルセイドは勢いよく窓枠に足をかけ、飛び降りた。


ちなみに、ここは三階である。

しかも天井は民家よりは高い。普通に飛び降りても平気!という場所ではない。


けれどクルセイドは迷わずそこから飛び出した。ふわりと身体が宙に浮く。だがそれも最初だけのこと、すぐに重力によって落下が加速し…目を見開いたソフィアを見た。


そして、そこでクルセイドは流石にマズイことをしてしまったかもしれないという思いが脳裏をよぎった。

ソフィアが固まったとなれば、大丈夫だと思っていた保証が消える。そう感じた瞬間だった。落下する自分の足元に緑の幾何学模様の光が浮かび上がる。そしてそれはまるで雲のようにクルセイドを包み込み、ゆっくりと地へ降ろす。


その間に見たのは右手をクルセイドに向かって突き出し、少し荒い息をしているソフィアの姿。それは急激な魔術の起動による副作用であることは明らかだった。


(ああ、だから大丈夫だって思ったんだよ)


クルセイドは無謀に飛びだしたわけではない。ソフィアが、絶対にその技―…ソフィア自信が部屋から抜け出した技を使ってくれると確信していたからだ。無謀なことをしたとしても見殺しにされるとは思っていない。ただし驚きで術が発動しない可能性を見過ごしていたのは大きな誤算であったが。


悠々と逃げるつもりだっただろうソフィアはクルセイドが無事地上に降り立った後も根が生えたかの如く動かなかった。息を荒くしているのは恐らく驚きと、焦り。予想外の展開に対するものだとクルセイドは推測した。魔術が使えないのであまり理解できないが、ひょっとすると何らかの準備を必要とする技だった可能性もあり、それを無理やりショートカットで発動したという可能性もある。


申し訳ない事をした、と思いつつも、この好機をクルセイドは逃さない。この時こそと一気に距離を詰めようとした。だが、次の瞬間にはクルセイドもまた地に縫い付けられたかのように動けなくなった。それは決して魔法ではない。


「な…何をなさってるのですか!!」


そのソフィアの言葉遣いに、だ。


「え…?」

「貴方、自分が魔術師じゃないことは解っているでしょう?!死ぬおつもりなのですか?!」

「ちょ、待て、おま」

「待ちません、こちらが驚いて死ぬところでしたよ!?」


 ふるふると震え、そして顔を真っ赤にしているソフィアは相当怒っている。それはクルセイドにも解る。

 だが、だ。


「いや、マジで待って。何、お前、その言葉」


 その言葉遣いは一体何なのか。

 まるで貴族の女性のような…いや、ソフィアは紛うことない貴族の女性なのだが、普段の彼女らしくない言葉使いのソフィアにクルセイドは何とか単語をつなぎ合わせ、疑問を伝えようとした。それは拙い言葉であったが、なんとか上手く伝わったようで…ソフィアは先程よりも更に顔を真っ赤にしていた。


「な…何がその言葉よ!?せっかく助けたのに頭ぶつけたの?!馬鹿じゃないの?!」

「や…あの、その…ひょっとして、お前、さっきのが素なのか?」


 わざわざ言い直しているソフィアの言葉に、彼女が怒っていることなど最早頭の回らないクルセイドは重ねて尋ねた。ぷるぷると震えるソフィアにはいつもの堂々とした姿は無く、まるで小動物のようである。


 何とも珍しいことだ…クルセイドは両目を瞬かせながら、随分久しぶりに見る彼女の強がる様子に見入ってしまった。この表情を前に見たのは、もう記憶の奥底近い頃…騎士団を目指す前の話だ。しかしおぼろげな記憶は、思い出したその瞬間に今見える景色と重なった。


 『今もあんまり変わらないでしょ』


 ジークの言っていた言葉が頭に響いた。…確かに、彼女は確かにあまり変わってはいなかった。

 クルセイドは多少面白くないと思いつつも、笑ってしまった。

 ひょっとすると今もカエルが怖かったりするのだろうか、なんて事を思い浮かべながら。


「…話が無いなら私は急ぎますから、」

「あほか」

「なっ」


 クルセイドが少しばかり別のことを考えれば、ソフィアは瞬時に逃げようとしたらしい。

 しかし此処で逃げられればクルセイドは何のために来たのか分からなくなる。そう思ったクルセイドはソフィアの腕を引き寄せた。くいっと引っ張っただけで彼女はよろめき、クルセイドの胸に収まった。


「つかまえた」

「ちょ…近い近い近い…離れ…なさい…よ!!あらぬ誤解を招くことは…じゃなくて、招きかねないから!」


 酷く焦った様子の彼女は完全にパニックを起こしているようだった。

 その様子を何故か「面白い」と感じたクルセイドはもう少しこの様子を観察したいという、まるで悪戯小僧のような思考が脳裏をかすめてしまう。いじめるつもりはないが、いつもの意趣返しだと思えば簡単に止められる気もしなかった。


「離れたかったら腕切り落とすなり顔焼くとかできんだろ」

「そんな物騒な事しないと離さない気なの?!」

「そのつもりだ」


 そんなことは出来ないだろう。クルセイドはそう踏んでソフィアに言った。今の調子だからという訳ではない。爆発に巻き込まれた事は数知れず、しかし数刻前彼女が言った通り、いつも無傷で命に関わるような攻撃を彼女はしたことがないのだから。だがそのクルセイドの言葉に、彼女は沈黙で答えた後、小さな反撃を生み出した。


「、っ?!」


 ばちっとクルセイドの腕や指に痛みが走り、一瞬力が緩んでしまった。それが静電気だと気付くまでに時間はあまりかからなかった。


「…おい、地味に嫌がらせだな」

「…早く離してよ。女の方が醜聞のダメージ大きいのは解ってるでしょう」

「嫌だ。こんなので離せるとか思ってないよな?」


 どうやら傷つけない範囲での逃走方法を考える程には、ソフィアも落ち着いてきているらしい。だが普段のソフィアの様子からすればとても冷静であるとはまだ言えない状況だった。珍しく未だ声を荒げている。


「だから、なんなのよ!」

「………」

「ちょっと…聞いてるの?」


 聞いていることは聞いているが、抱え込んだソフィアが思ったよりも小柄である事に少し驚いていた。態度が大きいからというわけでもない…こともないが、彼女はもっとたくましいかと思っていた。夜会で踊ったことはある。その時彼女の手をとったこともある。踊るのだから…ある程度距離を縮めて、近いところに立った事はある。…しかし、それはあくまで「ダンスだから」というだけだ。このように何もない所で引き寄せた事がなければ、抱きすくめるなんて事もしたことは無かった。

すっぽりと収まってしまう程に小さかった事に初めて気づいて、それが少し嬉しかった。普段は猛威を振るう大魔女も、実は駆けだし騎士一人もふりほどけないお嬢様であったことが、嬉しかった。


「お前、態度の割に結構ちっさいんだ…ごフッ」

「あ?どこの事いってんのよ、胸小さいとか喧嘩売ってるわけ?」

「誰が胸のサイズ測るんだよ?!一言も言ってねぇだろ!」


完全優位に立ったと思っていたクルセイドはまさかの攻撃に思わず顎を抑えた。まさか頭突きが出てくるとは想定していなかった。静電気攻撃より余程痛い。舌をかまなくて本当に良かったと思う。そしてどすの利いた声は淑女とは程遠い。だが、それでもまだ今のクルセイドには、この会話を余裕が有った。人間ふっきれることが大事なのだと、思わず感じてしまった。


「ねぇ…ホント何の用?私、部屋早く戻って書類仕上げないと寝れないんだけど」

「……その部屋から逃げたのはどこのどいつだ」


 先程攻撃を食らったソフィアの頭に痛む顎をのせつつ、クルセイドはゆっくりと息を吸い込んだ。

 そして決意を固めた。


「俺、家継がない事にする」

「え?」


 なにをいっているの?

 その声が聞こえてきそうな程、ソフィアの声は戸惑っていた。クルセイドは続けた。


「お前が侯爵の嫁になれないって言うなら、俺が侯爵にならなけりゃ良いって事だろうが」

「なんでそうなるのよ…!わかってるの?!あなた嫡男として育ってきて、義務を何も感じてないの?!」

「ちょっと黙れや。解ったうえで言ってんだよ、こっちだってな。…そもそもお前も勝手に決めて事後報告で俺が納得するって思ってる訳?」



 クルセイドからはソフィアの顔が見えないので彼女がどんな顔をしているのかは分からないが、恐らく起こっているというよりは戸惑っているというほうが正解なのだろう。


「そ、そもそも、別にクルセイドに婚約の話はどうでもいいことでしょう。親の決めた婚姻に従う必要ないわ」

「あのな、どうでも良いもののために廃嫡願い出るほど俺の気が狂ってるとお前は言いたいんだな?」

「だってそもそも貴方は別に私のこと好きではないでしょう。だから深窓の令嬢を娶って幸せになりなさいよ。そんな頭の悪い答えに貴方のお父様…そうね、お母様もお赦しにならないでしょ」


 徐々に早まるソフィアの言葉はクルセイドの中でも予想できたものだった。


「別に家は弟が継げばいい、まだ幼いが優秀だ。……そもそも相続放棄よりお前と婚約破棄の方が殺されるわ」

「あー、はいはい、義務ってやつなら気にしないで。私の方から言いだしたんだから、うまく収めるわよ」


 クルセイドの後半の言葉にソフィアが突っかかったことにクルセイドは内心舌打ちをした。思わず言ってしまった本当の事であるが、マイナスに取られる要素をふんだんに含んでいるのはクルセイドにも解る。おそらくソフィアは自身が普通の貴族の女性なら結婚していてもおかしくない年齢だということにいまさら婚約破棄かとクルセイドが責められる事を指したのだと。余計なことを言うのではなかったと後悔しながら、クルセイドは抱き寄せる腕に力を込めた。


「あー、もう、違うっての!俺、お前に嫉妬してたんだよ。無茶苦茶で訳が解らないことをするのに、気持ち悪いくらいすげぇ勢いで昇進するし。実際凄い力持ってて大魔女なんて呼ばれてさ」

「え?うん?……まぁ、私凄いからね」


 突然変ったクルセイドの調子に、ソフィアは目を丸くしていた。しかしきっちりと自分が強いということには肯定する。本来ならクルセイドもそれに突っ込みをいれるのだが、そこまでの余裕は今の彼には失われていた。クルセイドはソフィアの言葉など聞こえなかったかのように話を続けた。


「元々、騎士目指したのは誘拐されたのがきっかけだ。助けられた時、この人たちみたいになったらお前守れるかもってあの時思った。けど…お前が魔術師の才能と俺の剣じゃ実力の差は歴然だ。守るなんて到底及ばないのは解ってるし、そもそもそんなこと忘れる位にお前の力が苛立たしかった」

「……え、ごめんなさい、何の話でしょうか?」

「頼む、今は黙って聞いてくれ。頼むから、すぐ終わるから。ごちゃごちゃ言っても通じないと思うから…あーもう。あのな、俺が婚約に乗り気じゃないっていつ言った?!」

「え、何?!逆切れ?!」


ついに声を荒げたクルセイドにソフィアも理不尽だと言わんばかりの声色で応戦した。彼女にしてみれば本当に意味が解らないのだ。


「そもそもいつも面倒くさそうな顔してるじゃん!!」

「お前が爆発とか暴風とかに巻き込むからだろ!!」

「べ、別に普段一緒に居る事もないし!!」

「お前が城から出ねぇからだろ、思い出してみろ、お前と会う場合、事故に巻き込まれていないときはどういう時だ?!」


 双方怒号のような声になり、それは全く夜の城に似合わないものである。だが二人を止める者などこの場に誰もいない。だから遠慮する必要も、周囲に気を使うことも全く必要ではなかった。だからこそ、今全てを伝える事ができる。そう踏んだクルセイドは今このままこの勢いを借りると心に決めた。


「……俺も、気付いてから1刻も経ってないことだけど」


 前置きとなる言葉を落ち着いた調子に慣らせるかのようにクルセイドは呟いた。


「今のままじゃお前を守るくらいの力なんてない。けど、強くなるから。絶対。だから、ずっとそばに居てほしい」


 最良とはいわないまでも、クルセイドにとっては最大級の告白だ。


「え?」


 そう戸惑うソフィアの心がクルセイドにも解らない訳ではない。ずっとそのような様子は見せていなかったのだ。逆に彼女が戸惑っていなければクルセイドが戸惑ったことだろう。


「ね、ねえ」

「…ンだよ」


 若干声が震えるソフィアの声にクルセイドは不機嫌な返事を返した。彼女が驚くのも無理はないと解っているし、彼女から言葉が出てくるとすればそれは否定の言葉だろうと言うことは想像できる。待つから、考えてくれとでも言えばいいのか。しかし待てば変わるほど彼女の決意は柔なものじゃない。そうクルセイドは一人色々と考えを巡らせた。

 ソフィアは「ねえ」の後をなかなか続けない。この沈黙は辛い。そう思ったクルセイドが無意識に腕に力を入れると、「もっかい」と、小さな声がソフィアから発せられた。……もっかい?疑問に思ったクルセイドの顎を再びソフィアの頭がヒットした。


「つっ、なに、」

「もっかい、リピート!お願い。一字一句違えず、感情こめて!今度は茶々入れないから!」

「……は?」


 何故彼女は顔を赤くしているのだろう?一瞬、ほんの少しだけクルセイドはそう考えてしまった。だが彼女の言葉を脳内で再生し、それでも気づけないほど彼は鈍くはなかった。……ソフィアはクルセイドの言葉を聞き、理解し、喜んでいる。これだけでクルセイドには十分伝わることだった。だからクルセイドは真っ赤になって叫んだ。


「おま、それ、録音する気だろ!!誰がするかボケ!!」

「するに決まってるじゃん、何このレアな場面!!!」


先程までの様子はどこに行った!少し時は戻してくれ!!

 そんな思いがクルセイドに湧き上がる。けれど顔を反らしたいと思う反面、赤い顔を隠すことなく見せるソフィアを、その顔を見ていたいと思う矛盾に頭を悩ませる。


「あー……もう、だからお前やだ」

「嫌いなの?」

「……嫌いじゃねーよ」


 今までそんなそぶりお前全く見せなかっただろ、そう言いたい。言いたいけれど……クルセイドもまた、いままでそんなそぶりを見せたことが無かったのだ。それだけに責められない。責めれば全て自分に跳ね返ってくるということは解っているからだ。

 だが、自分だけが掌で転がされているようなこの状況も快いものではない。ただ、思った以上にこの状況に安心している自分も確かにいるのだ。


「…ところで、戻るけど…お前、丁寧な言葉の方が地なのか?」

「………」


 割と唐突にも感じられる話題転換をクルセイドが図ったのは、これ以上同じことを考えていれば自分の顔まで赤くなるという自覚が有ったからだ。少し話がそれればそれでいい。そう思っての言葉だったが、思いのほかソフィアには効果が有ったらしく、彼女は急に固まった。


「地っていうか、家ではずっとそうだし……慣れてはいるよ」

「何で城だとそんなに違うんだ」


 すこしばつの悪そうな顔をするのは、本来の言葉以外を使うのが不本意だからか、はたまた普段は使っていないその通常の言葉を見られるのが恥ずかしいのか。クルセイドには判断できなかったが、ソフィアは普段より少し幼い態度で、少し口を尖らせながらもその理由をぼそぼそと呟いた。


「……なめられるのよ、お嬢様言葉じゃ。特に小さい頃は…自分で言うのもなんだけど、年齢に不似合いな強さだったから、私」


 まぁ、今も人外の強さだけどね、と、ソフィアは小さく笑った。そんなソフィアにクルセイドは固まった。

 ソフィアにはソフィアなりのコンプレックスがある。当たり前のことだが、ソフィアの言葉はルセイドには衝撃的だったのだ。


「なぁ、何でお前魔術師になったんだ」

「クルセイドが騎士になるって言ったからよ。貴方が騎士を目指したのは誘拐事件がきっかけでしょ」

「……そうだけど」


 ソフィアの言葉にクルセイドは少し戸惑いながらも、彼女の言葉に耳を傾ける。


「小さい私なりに心配して、一緒に戦えたらって思ったのよ。貴方だけ危ない目に会わせたくない、ってね。結果的にちょっと天職過ぎたけどね。こんなに踏みこむなんて自分でも思ってなかったもの」


 いつの間にか少し緩んでいたらしいクルセイドの腕から離れながら、ソフィアはその眉を下げた。


「強くなって、この力がかえって貴方の傍に居ることを難しくするなんて、あの時は考えもしなかった。…だけど、貴方の傍にいて、貴方を守れるなら、それもいいかなって思うようになったの。だから、攻撃してるのは本当は不本意よ?」

「……攻撃の件はともかく別に俺は舐めたりしない。だから普通に話しやすい言葉で話してくれて良い」

「あら、駄目よ。城なんてどこで誰が見てるか解らないんだから」


 それは今まで散々好き放題に騒いだ人間、自分とソフィアが言うべき台詞ではないとクルセイドは思った。これだけ此処で言いあってもこの場に誰も訪れない現状の方が奇跡に近いのだ。いや、もしかすると見られているかもしれない。ただソフィアとクルセイドの二人を見て被害を受けた区が無いために速攻で回れ右をしているだけという可能性もある。

 いくら今は時間があるとはいえ、夜勤の真っただ中。褒められた現状でないことは理解している。だが、周りが介入しているならば……いや、見られていてもこの際困らない。


「誰が見ていても構わない。俺は、今からソフィアに正式に求婚する」


 クルセイドはまっすぐソフィアの瞳を見つめた。


この国の求婚は心臓を捧げるという意味で、利き手を心臓の位置に当てながら告白するという形式がある。

もちろん全ての人がこの形式に則って求婚している訳ではないが、少なくとも形式を重んじる騎士であれば必ず行う。そしてこの動作を見ればどんなに鈍感な人間であっても求婚に気づくことが出来る…つまり、知らないと言えなくなる程のものなのだ。

しかし例え形式が決まっていても告げる文句は決まっていない。

その言葉を考え、口にしようとしたクルセイドは、心なしかソフィアが身を固くしたように見えた。クルセイドはそんなことを感じながら小さく息を吸い、ゆっくりと口を開いた。


「命を懸けて貴女をお守りしたい。ですから人生をあなたに…」

「…却下」

「はぁ?!」


わざわざ宣言をしてから始めたプロポーズの最中に発せられる突然の中断命令。これに異論を述べない者などいないだろう。だがクルセイドに立ち上がることを促し、その後上目使いでク睨むソフィアは茶々を入れるという雰囲気でもなく、真剣だ。


「やり直し」


そう、真剣にやり直しを求めている。


「お前なぁ…」


 芝居に出てくるような可愛い「もう一回行ってください」というリクエストではない。却下。やり直し。

 まさかプロポーズの最中に駄目だしを食らう等考える男がいるだろうか?少なくともクルセイドとしては歳以後間で言わせてくれという思いがある。振られる振られないはさておき、全て言い切ってからならまだしも、途中で言葉を止められるというのは想定外だ。


 しかしソフィアは恨みがましく見下ろすクルセイドの顔にも一切の動揺を見せない。そして彼が抗議するよりも先に口を開いた。


「先代の大魔女をかばった騎士が死んだ話は知っているかしら?」

「知らないけど、それは今関係ないだろ」


 この空気が解らない訳でもないだろうソフィアがわざわざ話の調子を折る意味が分からず、不満げにクルセイドは言い返す。けれど、彼女の次の言葉にクルセイドも流石に固まった。


「大魔女は自らの命を以って騎士を生き返らせたそうよ」


 だから、命なんて掛けたら私が生き返らせるから。

 クルセイドにはそう言外に含まれている気がした。


「…脅しかよ」

「さぁ。試してみる?」

「しねぇよ」


 そもそも危機迫る状況は今はないだろ。クルセイドはソフィアを睨みながら言い切った。

 いくら命を掛けてといっても、命を無駄にしてというつもりなど更々ない。ましてや、彼女を危険にさらすつもりもないのだから。

 関入れず答えたクルセイドにソフィアは不敵に微笑んだ。そして、右の掌を上に、クルセイドに差し出した。


「泥臭く私と共に生きる覚悟はお有りかしら?」

「此処まで来て『無い』なんて言う訳ないだろ」


 差し出された手をそのままにしておく訳にはいかない。クルセイドはその小さな手をとり、満足そうにしたソフィアを強く引き寄せた。ここまで近くに居るのであれば、主導権はクルセイドにもやってくる。この間合いは、決して大魔女が得意とする間合いではないのだから。引き寄せられるとは思っていなかっただろう。驚いたように肩を震わせたが、決してクルセイドは離してやることはしなかった。むしろ閉じ込めるように腕をその背に回した。

 その後も多少は抵抗されたが、静電気等のささやかな抵抗もないままに彼女は大人しくなった。胸に顔を埋められる形で表情を窺うことは出来ないが、クルセイドにはソフィアの耳が真っ赤になっているのがはっきり見えた。だが彼女がどこまでも大人しくなるかと言えば、そうではなく。


「それじゃあ、まずはプロポーズやり直しね」

「…やっぱりそう来るのか」


やり直しを命じられ、そのまま流れを持って行かれたままである。このまま終わる訳が無いと覚悟をしていたわけではあるが、可能であればそれは自ら切り出したかった所である。


「お前なぁ…」

「だってこのままだと私がプロポーズしたみたいだし。それともクルセイドは女性にプロポーズされる方がお好みで?」


自分のペースに戻ってきたと思っているのだろう、ソフィアはうずめていた顔を上げた。多少嬉しそうに見えるのは間違いではないのだろうか。

だが、間違いではなくても喜ぶのであれば、まぁ、いいかと思ってしまった。

少々恥ずかしさはあるものの、クルセイドとて騎士の端くれ。心にきめた人が喜ぶのであれば、それで良い。それから自分からプロポーズするという記憶を上書きたいためにも、その提案に素直に応じることにした。


「共に歩む権利をお赦し頂けませんか、我が姫君」

「姫君ではなく、私は魔女ですけどね?」

「…あのな」


 心からの言葉にも話を折るソフィアにクルセイドは溜め息をつきかけたが、ふと気付いた。

 彼女の口調が、いつもと違っていることに。


 思いがけなかった彼女の素直な言葉にクルセイドは目を丸くした。


「勿論でございます、旦那様」


 頬を緩め、目じりを下げ、けれどはっきりと言ったソフィアは、魔女様の顔ではなくなっていた。


 ああ、そうだ。

大魔女であるかもしれないが、魔女である彼女のこの笑顔が、ずっと続くように。そう願っているのだとクルセイドは改めて思い知らされた。


 せめて飾らないで住む場所を作ってあげたい。

そして誰も知らない彼女の本心を見続けて行きたい。


 だが、まずは彼女と一緒に過ごす生活が欲しい。



 そう思ったクルセイドだが、この後結婚式直前に大魔王が復活したり、その討伐をソフィアと共に命じられ旅に出ることになったりで結婚までの道のりがまだまだ厳しい事は、この時まだ知る由もなかった。


そして三年後、英雄と大魔女として国中から祝福を受け婚儀を挙げる等、まだ知る由もなかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ