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寄せて返す波と潮風とが、浜辺を洗う。

日差しはまだ強く、夕暮れへと傾き始めた空気を惜しんでいる。


岩場の上で、入江オオトカゲが、ウトウトと日光浴しながらまどろんでいた。



時計の針は惑星時間15時を指したところである。

アゲート研究所の署員にとっては、午後の休憩時間だ。


惑星オセアナの、アゲート島にあるからアゲート研究所。

研究所の名前自体には、何のひねりもない。



アゲート島は、豊かな自然と穏やかな日々の暮らしと、ほんの少しばかりの喧噪以外何もない、平和で平凡な有り触れた辺鄙な島である。


怠惰と惰性と、不満がそれなりにあり、なれ合いと妥協と安寧とが横たわる。何処にもであるようなそこそこ賑わい、寂れた島であった。


アゲート研究所は、その中で唯一異彩を放っている。


その昔、宇宙開拓の大航海時代。星の海を放浪し、疲れ果て、這々の体で漂着した最初の箱船が、たどり着いたのがこの島だと言う。

長きにわたる航海のなか、共に艱難辛苦を乗り越えて、乗組員から絶大な信頼を寄せられた、船長の名を取ってアゲート島。


大抵の植民星系に一つはある、有り触れた、益体もない言い伝えだ。


アゲート島は、惑星オセアナ開拓初期にまで遡る家系の、その本領であった。


多岐にわたる分野に手を伸ばし、成長を遂げてきた事業の関係上、

本社こそ流通に便のいい首都に移したが、今もって、

アゲート島のアゲート研究所は、一族に重きを置かれている。


不在の当主に代わり本領を治めるのは当主次弟。名をユリウス=アゲート。

彼の愛娘の名を、シェルと言う。


そのお父様は、通用口脇に置かれたベンチの上で、庇が作る陰の中。いい感じに魂が抜けていた。


着たきりで皺になった白衣がまた効果的に見える。このまま物陰で倒れてしまったなら、誰も気づかないだろう。

存在感自体が薄い。体力値がかぎりなく0に近い。


優秀なる家政婦、エレクトラ婦人が日々職務に勤しんでくれるおかげで自宅には塵一つ無いが、研究所はもう目も当てられない。


屋内での行き倒れが洒落にならない。倒れたならば、干物になるまで放置されそうだ。

職員の誰も、他人を気遣う余力がない。


惑星オセアナのアゲート研究所の職員達は、今、最大の山場を超えたところであった。


何故と行って、惑星タナトスがもうすぐ冬を迎えるからである。

惑星全体が冷え込む冬期。



プルート星系第七惑星タナトス。



短い夏の白夜と長い冬の惑星は星系の名の由来となった地下の神の名に真相応しく、豊富な地下資源を抱える鉱山惑星だった。



富める惑星タナトス。



精錬工場から突き出るいくつもの煙突は絶え間なく煤煙をはき出し、晴れることのない空を誰が呼んだか死の惑星。


宇宙から見るその星は赤茶けた大地と灰色の雲が目につくだろう。


富める星はあらゆる伝染病と暗雲の蔓延する死者の星だった。


暗く長い冬を前に、タナトスは銀河連邦中からワクチンと治療薬をかき集める。

一見正反対常夏の惑星オセアナもまた、影響をまともに受けていた。


免疫抗体保持種Ⅰ類に分類されるオピュウークスシードラゴンの生息地とあってか、

架け橋よろしく行き来する輸送船団の航跡は、ミルキーウェイならぬ、メディシンウェイ。


最後の積み込み作業の、最終便が、つい先ほど研究所を出たばかりである。



「いやあ、年に一度とはいえ、大仕事でしたね」



げっそりと肩を落として呻いたのは黒髪の助手だった。灰金髪の所長はもはや言葉を発する気力もない。


ため息とも呻きともつかない相槌を漏らして、あてもなく空を見つめたままである。

ペンキの禿げたベンチをすっかり占領して、だらり、と言うよりはぐったりと。


かといって、助手が所長さしおいて余力があるかと言うと、そうではなくて。何か話してないと今にもばったり行きそうなのだ。

無言の博士は体力温存派。


二人そろって今倒れたらそのまま前後不覚になる自信があった。



「何日もお会いしてなくて。お子様達には寂しい思いをさせてしまいましたね」

「ああ、全くだ」



ようやく口を開いた所長の口調は疲労よりも苦いなにかが入り交じっていた。

それが何故かと助手は詮索しない。分かり切っている事柄なので。灰金髪の所長はため息。


何日娘と甥の顔を見てないことか。あの可愛らしい子供達の天使の笑顔。

あの二人が笑えば背景に花が咲く。きらきらと光が反射する。世界中のきれいなもの、柔らかなもの、温かなもの。


それら全てがあの子供達に詰まっていた。


世界の全ての幸福が降り注ぐようにと祈ってやまない愛し子。


あの幼い舌足らず気味の口調で名前を呼ばれたりしたらもう最高だ。今そんなことが会ったら確実にそのまま昇天してしまえる。


それくらい、子供達の笑顔に飢えていた。


日付の感覚がなくなり、気絶するように倒れては同僚達にたたき起こされ、

ゼリー飲料を啜りながら煮詰まった珈琲で胃に流し込み――――――こんな状況が年に二度も三度もあったら溜まった物じゃない。


タナトスとオセアナの一年の長さはそう変わらないのが幸いだ。



海から吹く午後の風が心地よく、屋内の冷房で冷え切った体には、夏の日差しに灼かれた空気が心と体に染み渡る。



「それにしても今回は本当に死線を彷徨った気がいたします。

私の頭脳を以てしても記憶が途切れている気がする当たりがもうぎりぎりと申しましょうか……」



そこはかとなく自画自賛が混じる台詞にも、ユリウスは何も言わなかった。

もしかしたら疲労で気がついてないだけと言う線もあり得るが。



「しかしまた幼稚な嫌がらせを仕掛けてくれたものです」

「全くだ。肝心要のあれがなければ薬は完成しないというのに………」

「他所から在庫を回して貰おうにも、返答は皆同じ。コレは敵対意志有りと見なしてよろしいのではありますまいか」



………ふふふふ、どうしてくれましょうか。


地を這うように低く笑う助手を胡乱な目で見やって、アゲート研究所の若き所長は疲れた肩を落とした。



とりあえずは栄養補給が肝心だろう。身体にも心にも。


新鮮な空気と、タバコの補給は矛盾しているが、上記を同時に満たす、手軽なアイテムである。


タバコがうまいと感じられたなら、体力も戻ったということだ。

酷いときには指から煙草が落ちるくらいに消耗してしまう。


嗜好品のストックには限りがあるのだ。シケモク吸いが特技になるのは、我ながらさびしいものがある。


紫煙と、ため息と、それ以外の何かを腹の底から絞り出すようにして吐き出して、

続く会話はやはり、先ほどまでの仕事の続きと言うのだから、仕事の虫ここに極まれり。



「シードラゴンの乱獲とは穏やかではありません」

「全くだそれが一番の難物で…・・・・」



どんなに疲労していても、やってられるかと叫んでも、結局は関心がそこから離れない。

常に頭のどこかが数式を計算し作業手順を確認し。これはもう立派な仕事中毒だろう。



シードラゴンと通称されるオピュウークシードラゴンから作られる薬は、、アゲート研究所の主力製品である。


地元住民や漁業関係者とも、何度も交渉の卓につき、時に宥めすかし、金と誠意と根回しとをもって理解を得た。


その労力と費やした年月のもとに成り立つ信用と実績を、後からやってきた密猟者にやらずぼったくりで荒らされてはたまらない。



アゲート家の人間であるユリウス所長のみならず、所員一同の憤りは小さくなかった。



一度シードラゴンの詳しい生態と個体数を把握するための、調査に乗り出さなければならない。

そう結論付けて、博士と助手は、この数週間奮闘した兵たちが累々と横たわる所内へと戻っていった。




――――――蛇足であるが、


大きな群れを捕獲するため、あれやこれやと計画を立てていたユリウスは、

帰宅して娘と甥っ子が、がその幼竜を拾っていたことに愕然呆然。




「とりあえず、テーブルからは下ろしなさい」




それ以外に何も言えなかったことも付け加えておこう。






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