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八十八年目の星結び  作者: 星 羽芽


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30/51

30 一堂に会する



 神獣様が映し出していた光景が消えてから、それほど時間は経たなかった。

 やがて結界の水晶が静かに揺らぐ。波紋が広がるように結晶の表面へ光が走り、その向こうから二つの人影が現れる。


「依玖!」


 真っ先に飛び込んできたのは汐凪だった。

 こちらの姿を認めた瞬間、その表情に浮かんだのは明らかな安堵だったが、それと同時に、今までどれほど気を張っていたのかと思うほどの焦燥も滲んでいた。

 そのまま一直線に駆け寄ってくる。止める暇もなかった。何か言うより先に身体が引き寄せられ、次の瞬間には強い力で抱き締められる。


「ちょ、」


 その勢いに一歩よろけそうになりながらも、私は思わず目を瞬いた。静止の言葉を口にしかけるものの、言葉が続かない。

 背中へ回された腕には、普段の汐凪からは想像しにくいほどの力が込められていた。けれど乱暴というわけではなく、まるで本当にここにいるのか確かめるような、手の中へ留めておきたいような抱き方だった。


「良かった……」


 ぽつりと零れた声は小さい。

 だが耳元で聞こえたその一言に、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。


 とはいえ周囲の視線が痛い。

 珠輝は微笑ましそうに見ているし、晶佳は何とも言い難い複雑そうな表情を浮かべており、それぞれの反応が余計に気恥ずかしさを募らせた。

 そして最も隠す気がないのが煉弥で、腕を組んだまま露骨に眉を寄せ、その不機嫌さを周囲へ隠そうともせずにこちらを見据えている。


「生存確認終わったか?」

「終わってない」

「終われ」


 汐凪はなお名残を惜しむような気配を滲ませながらも、さすがにこの場は退くべきと判断したのだろう。不承不承といった様子を隠しもせず私から身体を離して、じとりと不機嫌そうな視線を煉弥へ向けた。

 対する煉弥も一歩たりとも引く気はないらしく、鋭い眼差しで睨み返したものの、それ以上は言わずに視線を神獣様へ向ける。

 流石に相手が相手だ。二人ともすぐに表情を改めた。

 まず汐凪が姿勢を正し、胸元へ手を当てながら頭を下げる。


「瑞潮国斎祀、水筑汐凪です。神域への立ち入りをお許しくださり感謝いたします」


 続いて煉弥も一歩前へ出た。先ほどまでの粗野な態度が嘘のように礼儀正しい。


「灯賀の斎祀、火能煉弥と申します。お目にかかれて光栄です」

『うむうむ。お主らが先ほど暴れておった水と火か。元気でよろしい』


 神獣様は満足そうに頷きながらそう評したものの、その内容はどこか近所の子供たちを眺める長老のようで、ありがたい言葉なのか苦言なのか判断に困る。

 実際、汐凪も煉弥も一瞬だけ反応に詰まったような顔をしており、神獣から見れば斎祀も元気よく駆け回る若者程度の認識なのかもしれないと思うと、少しだけ可笑しかった。


 全員の無事を確かめ合い、神獣を前にした緊張も幾分和らいだことで、その場の空気にはようやく余裕らしいものが戻り始めていた。

 けれど、そうなるとかえって気になることがある。


「どうしてここに……」

「千金楽から襲撃の連絡を受けて。依玖の安否が確認されていなくて心配だったから」


 確かに護家の一画が襲撃を受ければ、他の護家へ連絡が行くのは当然だろう。神域に関わる事件であれば、各国へ警戒を促す必要もある。

 だが、斎祀が自らここへ来る必要があったのだろうか。むしろ逆ではないのか。

 斎祀は、それぞれの国にとって神獣との契約を支える中心人物だ。襲撃が起きているのであればむしろ自国の防衛を優先し、自身の安全を確保するべき立場ではないのか。

 まして私の無事を確認するためだけに、危険の中へ飛び込んでくるなんて。……まぁ先ほどの迎撃戦闘を思い返せば、彼らほどの術師ならば自身の身の安全はどこにいても変わらないかもしれないが。

 だからといって、無茶をしていい理由にはならない。


「……でも、危ないですよね」

「依玖がいるなら、行かないほうが嫌だった」

「ぐぬ……」


 そんなことを、そんな顔で、そんなに迷いなく言わないでほしい。

 私は何か言い返そうと口を開きかけたものの、結局それ以上の言葉が出てこず、視線だけを逸らした。


 しかし、水筑家にいたはずの彼らがここまでくるには相当な距離がある。報せを受けて駆けつけたにしても、説明のつかない速さだった。

 その点を聞いてみると汐凪は何を今さらという顔をしながら、実に当然のことのような口調で答える。


「うちのヘリで」

「ヘリで」


 水筑家、そんなのあったんだ……。

 いや、瑞潮を代表する名家であり、国内外を飛び回ることも多い立場だ。考えてみればあってもおかしくはないのかもしれない。

 それでも日常的に接している相手が自家用ヘリを保有している事実は妙に現実感がなく、価値観の差を突きつけられたような気分になる。


 さらにその横から煉弥が何でもないことのように会話へ加わり、追撃をかけてきた。


「うちは飛行機(プライベートジェット)ならあるぞ。ヘリはどうだったか」

「千金楽家はヘリコプターだけですね。飛行機は滑走路が要りますから」

『便利な世になったものじゃのう』


 しかしまぁ、そんな呑気な話をしていられるようになったこと自体が、先ほどの騒動が一段落した証ではある。

 珠輝が汐凪と煉弥へ視線を向け、そのまま本題へ戻した。


「それで、襲撃の方は……」

「あぁ、既に鎮圧は済みました」


 汐凪の返答は簡潔だったが、その落ち着いた口調からは状況が完全に制圧下に置かれていることが伝わってくる。おそらく現在は残党の捜索や負傷者への対応、証拠の確保といった事後処理の段階に移っているのだろう。

 その言葉に私と珠輝は肩の力を抜いたが、晶佳だけはなお険しい表情を崩さず、考え込むように眉根を寄せる。


「やはり反神獣団体ですか?」

「あぁ、詳しい聴取はこの後改めて行うことになるが、連中もそれらしいことは言っていたよ」


 汐凪はそこで言葉を切り、具体的にどのような言葉を吐いたのか、どれほど過激な思想を口にしたのかまでは語らなかった。

 おそらく襲撃者たちは神獣や護家に対する敵意を隠そうともせずにいたのだろうが、わざわざ今この場でそれを聞かせないのは配慮なのだと分かる。


 後始末や今後の対応について一通り話がまとまったところで、私は先ほどから気になっていた結界の異変と補修について、汐凪と煉弥に説明した。

 結界そのものが崩壊へ向かっているような兆候はないものの、本来なら起こるはずのない不自然な乱れが発生し、原因も特定できていないという話になると、周囲の表情にも自然と考え込むような色が浮かぶ。


「今はどうですか?」


 私がそう尋ねると、神獣様は僅かに顎を上げ、離れた場所へ意識を伸ばすように目を細めた。

 その様子を見守る私たちも、自然と息を潜める。

 しばらくして神獣様は小さく首を傾げ、どうにも腑に落ちないといった表情のまま唸り声を漏らした。


『あれから悪化もしとらんな。ほんと何なんじゃろなぁ』


 その言葉には差し迫った危険を警戒する緊張感よりも、理解できない現象へ向ける純粋な困惑の方が色濃く滲んでいる。

 長い年月を生きてきた存在ですら首を傾げる事態であることが、かえって不気味さを際立たせる。


「ふむ……」


 汐凪も腕を組んだまま短く考え込み、それ以上の推測は口にしなかった。


 結界の異変も襲撃も気掛かりではあるが、少なくとも今すぐ何かが起きる気配はなく、周囲の安全も既に確保されている。

 拘束された襲撃犯たちは既に専門の部隊へ引き渡されていると聞かされると、このまま神域に留まり続ける理由も薄くなり、私たちは千金楽家へ戻ることになった。

 もちろん完全に危険が消えたとは言い切れないが、仮に逃走した残党が周囲に潜んでいたとしても、この場に集まっている顔触れを考えれば脅威になるとは思えない。


 そうして帰還の準備が進む中、珠輝がふと思い出したように通信環境について確認すると、煉弥からすぐに返答が返ってきた。


「回復したそうだ。通信網は正常に戻っている」

「そうですか」


 珠輝は安堵したように微笑むと、すぐに携帯端末を取り出して補佐へ発信を行う。

 襲撃以降、特に珠輝との連絡を断たれた彼女の補佐や護衛たちは生きた心地がしなかっただろう。

 呼び出し音が数回鳴ったかと思えば、ほとんど間を置かずに通信が繋がり、受話口の向こうからは悲鳴にも近い勢いの声が飛び出した。


『珠輝様! ご無事ですか!?』


 その切羽詰まった声には心配と焦燥が滲んでおり、通信障害が発生してから現在まで、どれほど気を揉んでいたのかが容易に想像できる。

 それでも珠輝は慌てる様子を見せず、いつもと変わらぬ穏やかな声音で相手を安心させるように答えた。


「えぇ、私も神獣様も無事です。大きな怪我もありません」


 落ち着いた返答を聞いたことで向こうも少し冷静さを取り戻したのだろう。続いて聞こえてきた声には先ほどまでの悲壮感が薄れ、職務的な確認を行う余裕が戻っている。


『そうですか、よかった……。今どちらに、どなたかとご一緒なのですか?』

「神域に。火能様と、水筑様と、依玖様と、晶佳様と一緒です」


 その瞬間、端末の向こうで僅かな間が生まれた。

 何か資料でも見返しているのだろうかと思った次の瞬間、受話口から反応が漏れ聞こえてきた。


『え……こわ……何その面子』


 あまりにも率直な感想だった。



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