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八十八年目の星結び  作者: 星 羽芽


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24/51

24 間違える



 やがて汐凪が静かに口を開く。

 感情を抑えた、それでいて真剣な声だった。


「このお話は、今までの斎祀には……」


 この裏話を知ったうえで歴代の斎祀たちは祭儀へ臨んでいたのか、それとも私たちみたいに、厳粛な試練だと信じたまま役目を果たしていたのか。

 水虎様は煎餅の欠片を咥えたまま、特に隠す様子もなく答える。


『聞かれたら答えておったよ。ま、祭儀の前から知っとったやつは一人か二人か……。お主にも伝わっとらんということは、聞いたやつらも口を噤んどったんだの』

「でしょうね……」


 汐凪が乾いた笑みを浮かべる。

 その声音には納得と疲労が半分ずつ混じっていて、彼以外の知ってしまった歴代斎祀たちが何を思い、何を抱えながら沈黙を選んだのか、少しだけ想像できてしまう。

 私がその立場だったとしても多分黙る。黙って墓まで持っていく。


 私は湯呑みへ視線を落としたまま、ふと頭に浮かんだことを口にした。


「こんな話、反神獣団体の人が聞いたらどうなっちゃうんでしょうね……」


 その呟きを耳にした水虎様がぱちりと瞬きをする。


『反神獣?』


 どうやら存在自体をご存知なかったらしい。

 私と汐凪は一度目を見合わせ、少し言葉を選びながら説明を始めた。


 神獣信仰への依存を批判し、人の社会は人自身の力で成り立つべきだと主張する集団。

 中には穏健派もいるが、過激な者たちは「神獣による加護そのものが虚構だ」「神獣こそが災禍を齎す魔獣だ」と唱え、加護や護家を権威維持のための欺瞞だと糾弾していること。

 近年は技術の発展もあって、「神獣なしでも人類はやっていける」という思想へ共感する若者も増えていること。


 水虎様はその説明を静かに聞き終えると、なるほどのう、と低く呟いた。

 私は少し躊躇ったあと、恐る恐る続ける。


「ちなみに、一応、不敬を重々承知で聞きますけど、「神獣が災禍を抑えているのは嘘」という主張に心当たりは……」


 本来なら神獣へ向けるには危うすぎる問いだ。

 けれど水虎様は怒る様子もなく、ゆるりと尾を揺らしながら穏やかに答える。


『安心せい。加護はちゃんと働いておるよ』


 その声音は不思議なほど静かだった。

 冗談も茶化しもなく、ただ淡々と事実を述べる響きだったからこそ、逆に重みがある。

 私は無意識に肩から力を抜いていた。

 どれだけ俗っぽい裏話を聞かされても、この存在が国を守る柱であること自体は変わらない。


『しかしそうじゃな……。世が荒れておった時代も、今や昔。人の生は短いからの。当時の様子など、風化しておっても不思議ではない』


 水虎様は窓の外へ目を向けた。窓越しの柔らかな光の向こうでは、穏やかな風が庭木を揺らしている。

 その瞳の奥には、人では到底辿り着けないほど長い時間が静かに沈んでいる。

 私たちにとって歴史書の中でしか知らない大災害も、この方にとっては”昔見た出来事”なのだ。


 汐凪が静かに言葉を継ぐ。


「文献なども残ってはいるのですが……」

『文字だけでは実感は残りにくいからの。飢えも洪水も、大地の裂ける音も、実際に見た者でなければ分からぬ』


 その言葉に、私は小さく息を呑む。

 書物の中で読む災禍は、どこか遠い。数字や記録として理解はできても、足元が割れる感覚や、濁流に街が呑まれる恐怖までは実感できない。

 平和な時代に育った私たちは、「昔は大変だったらしい」と知識として学んではいても、それを本当に理解しているわけではないのだろう。


『昔……8か9代ほど前じゃったか。土の斎祀が祭儀前に地に還ってしまったことがあってな。襲撃などでなくただの事故ではあったが……』


 さらりと語られた内容に、私は思わず背筋を伸ばした。

 斎祀が再誓の儀前に亡くなる。誰もが想像したくない事態だ。


『新しい斎祀もすぐに選定されたが、更新のための"調整"が遅れてしもうた。その時は多少、地が荒れた』


 多少、と水虎様は言った。

 けれど神獣の言う”多少”は、人間の尺度では到底測れないだろう。


『我らが降り立つ前の時代に比べれば極々小規模な災害じゃが……当時の者たちには、充分に恐ろしい体験じゃったろうて』


 しばらくの沈黙の後、水虎様がぽつりと呟いた。


『人とは難しいものじゃな』


 窓の外の庭木が、また風に揺れた。


『災禍が遠のけば、災禍の恐ろしさを知らずに育つ世代が出てくる。平和になれば、平和を維持しておるものを忘れる。じゃが、それもまた自然なことではある』


 責めるでもなく、諦めるでもなく、ただ長い時を生きた存在らしい穏やかな響き。波一つない深い水の底みたいな、静かな声だった。


『反神獣とやらの者たちも、平和な世に生まれたからこそ、そう思えるのかもしれんな。荒れた大地を知らずに育ったということじゃ。良きことよ。我らの加護の成果で、恨めしいとは思わんよ』


 人は平和に慣れる。痛みを忘れる。そして、守られていることすら当たり前になる。

 それは確かに、悪意というより生き物として自然な流れなのかもしれない。


『我らが直接民の前に立てれば話は早いのじゃが、それもなかなか難しくての。神域から出られぬ身では、存在するとわかっておっても遠い話になってしまう』


 水虎様は少し困ったように耳を伏せる。その姿はどこか寂しげですらあった。

 こちらを向いた水虎様の声が、少しだけ柔らかくなった。


『お主らがおるから、我らは民と繋がっておれる。文字でも言葉でも届かぬものが、あの光の柱ひとつで届くことがある。じゃから派手にするのじゃよ』

「……そういうことなら」


 私は少し考えてから言った。


「ちょっと派手な演出も、許します」


 水虎様がくつくつと笑う。尾がゆったりと揺れた。汐凪が小さく息を吐いて、肩の力を抜いたのがわかった。


 窓の外の光は傾いて、庭木の影が長くなっていた。水虎様の分体はその光を透かして、ゆらゆらと輪郭を揺らしている。

 この方はずっと、ここにいたのだ。人の世が変わっても、信じる者が減っても、ただここにいて、大地の下の術式を守り続けていた。

 それを思ったら、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなったけれど、うまく言葉にはできなかったので、黙っておいた。


『で、我の名は?』

「た、たきつかがみがたやしおこもりのかみ!」

「違うね」

「えっ!? うそ!?」



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