夫が馬鹿すぎ……
突然執務室にやってきたルーベントの開口一番を聞いて、リナフィアはうっかりペンを落としそうになった。
すんでのところで握りなおし、紙にインクが飛び散るのは防ぐ。紙一枚インク一滴だとて、国民の税で賄われているのだから、無駄にはできない。
「答えろ! 君はわざわざマリアを呼びつけて、自分の衣装を自慢したそうじゃないか! なんでそんな事が出来るんだ!?」
「……はい?」
「挙げ句には、遠慮するマリアに、自分は新しいドレスを誂えるからと、着古しを押し付けたそうだな」
頭が痛い。
確かに衣装部屋には来てもらったが、決して呼びつけてはいないし、押し付けてもいない。何なら彼女は、一番宝石がついている煌びやかなものを真っ先に選んで、持って帰ったというのに。
「しかもこの前は、君を訪ねたマリアを何時間も控えの間に待たせ、放置していたそうじゃないか!」
こめかみの痙攣が止まらない。
「陛下、随分と誤った情報をお耳にされたご様子。失礼ですが、どちらでそのようなお話を?」
「この期に及んでまだ白を切るか! マリアが泣きながら訴えてきたぞ! ……っ可哀想に、よほど我慢していたのだろう」
(ああ、なるほど。そういう事ね)
どうりで前回も身に覚えのないいじめがでっち上げられていたわけだ。どうりでどれだけ優しく接しようと、そつなく対応しようと、マリアがルーベントに嘘を吹き込んでいれば意味がないはずだ。
リナフィアは視線をルーベントから外すと、自嘲に口を歪めた。
(あの女ったら、最初っから性格が腐ってたのね。それに……)
「何がおかしい! 君は王妃以前に、人として最低のことをやっているんだぞ!? 分かっているのか!」
(そりゃ笑いたくもなるわ。夫がまさかここまでの無能だと知ったら)
第三者の証言があるわけでもなし、片方の言葉だけを鵜呑みにして自分の妻を責め立てる夫。前回の自分はどうかしていたのだろう。こんな男を最後まで信じていたのだから。
「おいっ、聞いているのか!?」
「失礼、陛下。私はマリア様を一切蔑ろになどしておりませんし、それは周囲の者達に聞いていただければすぐに分かりますわ」
「マリアが俺に嘘をついているとでも言うのか? そうやって皆に愛されるあの子を害しようと、周囲にも嘘を吹き込んでいるのは君だろう! 俺は騙されないぞ!」
(あ、これは駄目ね。完全に頭にお花畑ができちゃってるわ)
リナフィアには、ルーベントの背後にデカデカとした『馬鹿』という文字が見えた。きっとそんな字を背負った彼に何を言っても無駄だ。
「陛下、ご用件は以上でしょうか? でしたら陛下もご公務にお戻りください。近頃、私の方へ流れてくる書類が多いようですが?」
カッとルーベントは顔を赤くして、眉を逆立てた。
どうやら嫌味はきちんと伝わったらしい。
国王の代理権限を持つ王妃には、国王の公務の肩代わりが許されている。元々リナフィアが持っていた王妃業務の他に、近頃ではルーベントが決済すべき書類が未決裁のまま流れてくるのだ。おかげで、リナフィアの机には国民からの陳情や新たな施策についての分厚い書類が、どっさりと積まれている。
「~~っいいか、覚えておくんだな! マリアをこれ以上いじめるのなら君の今後についても考えるからな!」
威嚇するような大声をリナフィアにぶつけ、ルーベントは足音うるさく部屋を出て行った。
「まったく……騒々しい男ね」
恋は盲目って本当ね、などと呆れた溜息を吐きながら、リナフィアは机に突っ伏した。どっと疲れた気がする。
すると、ルーベントと入れ違いでミレーネが駆け込んできた。
「大丈夫ですか、妃殿下!」
机に伏せったリナフィアを見て、ミレーネの顔色が変わる。
「妃殿下!? 一体何を言われたのです!?」
悲鳴に近い声でリナフィア心配を叫ぶミレーネであったが、リナフィアは顔を上げずにただ「大丈夫」と言うばかり。しかし、その声は震えておりミレーネの悲憤は収まらず、ルーベントが出て行った扉を睨み付けて歯がみしていた。
憤ってくれているところも非常に申し訳ないのだが、リナフィアの心は本当に大丈夫であった。伏せた顔の下で、リナフィアはミレーネの予想とは違う反応をみせていたのだから。
(さっさと帰ってくれて良かったわ。笑いを堪えるのも大変なんだもの)
『今度後について』というのは、つまり離婚を仄めかしているのだろう。こちらがそれを楽しみにしているとは知らず。
(本当、盲目だこと)
『それは前回の私もか』リナフィアは瞼を静かに閉じた。
◆
「妃殿下、気分転換でもしましょう!」とのミレーネの気遣いの言葉で、今リナフィアとミレーネは王宮内を目的地も定めず歩いていた。
するとどこからか、金属が擦れるような甲高い音が聞こえてくる。
「この音、何かしら?」
「ああ、きっと近衛兵が訓練でもしているのでしょう。よくありますよ」
「へえ、近衛兵の訓練ね……」
興味をそそられ音がする方へと向かえば、ちょうど王宮の一角を曲がった先で四人の近衛兵が剣を交わしているのが見えた。
男達はリナフィアに気付くと剣をしまい、統率のとれた動きで右手を胸に置き、頭を下げた。




