北部の王が選んだ者
「――っ妃殿下!」
リナフィアは、その場で気を失ってしまった。
◆
敵襲があった日の翌夜。
ベルハイク伯爵と夫人は、王都の方角を見つめていた。
昨夜は、視察のために付いてきていた近衛師団がいたことで、大きな損害を出さずに、何とか侵入者達を追い返すことができた。ただ、タイミングが悪かった。国王が来ている時に、屋敷の敷地にまで敵の侵入を許してしまったことで、伯爵は国王の怒りを買ってしまったのだ。
『伯爵へは軍備のために特別金が支給されているが、こうしてごろつき程度を易々とうちに入れてしまう無能なら、金の無駄だな! はたして金は何に使われているのやら』と、まるで横領しているかのようにまで言われてしまった。
「陛下のお怒りはごもっともだが……屋敷内への侵入を許さないよう、皆戦っていたというのに、その時彼は何をしていたのか。ここ辺境領とはそのような場所と理解されていないのか……」
むしろ、日々そのような危険と隣り合わせで暮らしている、民や妻などの非戦闘員のことを慮ってほしいものだ。特別金の使途より先に。
被害を免れた部屋で、伯爵は妻のユビナを、存在を確かめるかのように抱き締めた。
大きな損害は出なかったというのは結果である。実際は、伯爵の妻であるユビナは死にかけたのだから。いや、彼女がいなければユビナは死んでいただろう。
「ユビナ、妃殿下は?」
「昨夜からずっと眠られたままです。侍女の方が言うには、神力を使うと反動があるようで、しばらく身体を休める必要があるのだとか」
「では、君の代わりに死ぬなんてことは……」
「大丈夫だと聞いてます」
伯爵は「よかった」と長い息を吐いた。
「君が死ぬのは当然受け入れられないが、妃殿下を失うわけにもいかない」
「ヴィオラに聞けば、妃殿下はわたくしを救うのに、一瞬のためらいも見せなかったとか」
伯爵は強く頷いた。
「正聖女様も神力が使えるという話だが……使えても使わなければ、豚に真珠だな」
わざとらしい伯爵の溜息には、苛立たしさが混じっていた。
「ユビナ、私は分かってしまったんだ。この国を本当に支えている方が誰なのか……」
「ええ、わたくしもです」
顔を見合わせ頷いた二人の脳裏には、同じ人物が描かれている。
「視察前まではわたくし、妃殿下はきっと何もおできにならない方だと思っておりました。そういう噂ばかりでしたし、何よりあの方は滅多に人前にお出になりませんでしたから……しかし、今となっては噂などに惑わされていた自分を恥ずかしく思います」
北部の王とまで呼ばれる夫を持つユビナの元には、様々な思惑を持った人間がやって来ることが多かった。しかしそのおかげで、人を見る目は肥えたと言っていい。相手がどのような思惑を持っているのか分かってしまう。
たとえばマリアだが、彼女は人懐こく、相手に対し警戒心をさほど抱かせない。国王達が視察に行き屋敷が暇になった時など、雛のようにずっとついて回っていた。
恐らく、王妃側の者と接点を持たせないようにしていたのだろう。実に彼女は分かりやすい。
しかしそれに対して、王妃はつかみ所がなかった。
晩餐での会話にも入らず静かに食事する姿に、噂通りの人なのかもしれないと思った。しかし突然話しかけてきて、料理を褒めてくれたりもした。その時は驚きで気付かなかったが、食事を口に入れた瞬間、彼女は自分の食事ができていなかったのを気遣ってくれたのだと理解した。
そして、何より襲撃のあった夜のこと。
「ユビナだけじゃないよ。私も恥ずかしながら、なぜ晩餐の席で国境地帯についての意見を述べられなかったか、後で気付いたよ。陛下を立てるためだってね。それに彼女が出した案にも度肝を抜かれた」
「妃殿下は、きっと今までもわたくし達が気付かなかっただけで、様々なところで救ってくださっていたんでしょうね」
あまり王妃宮から出てこない王妃。
彼女が何をしているか知らない貴族の方が多い。
「今なら分かりますわ。妃殿下は、わたくしたちサウザード王国民のため、日夜王妃宮で政務に取り組まれているからこそ、滅多に出てこられないのだと。そして、それを当然と思ってくださっているからこそ、ご自身の功績をひけらかすようなことはされないのだと」
「ああ、きっと各地の陳情書一枚一枚に目を通しているんだろうさ。でなければ、あれほどの案は出ない。陛下の案も分かるが、妃殿下は、間違いなく私達と同じ視点に立っていた」
ユビナは片口を上げ、クスッと歪に笑った。
「王妃派と正聖女派……ですって」
妻の言わんとしていることを、伯爵はすぐに察する。
「ああ。我がベルハイク家もそうだが、これまで軍閥貴族は、政治とはあえて関わらないようにしてきたのだが……」
伯爵もユビナと同じように片口だけをつり上げたのだが、彼の目は北の地にふさわしく、凍てつくほどに寒々しい。
「彼女がいなければ、この国はすぐに潰れるだろうさ。だから、陛下も早く目を覚ましてほしいものだな」
それから一時間後、リナフィアが目を覚ましたと聞き、二人は夜着のままでリナフィアの元へと駆けつけた。




