未来よりも早い
物々しい騒がしさに、リナフィアは目を覚ました。いったい何なのかとベッドから身を起こしたとき、ミレーネが夜着姿で部屋に飛び込んできた。
「妃殿下、お逃げください!」
その一言でリナフィアは全てを察した。
(予定よりも一日早いじゃない……っ!)
しかし、今はそんなことで驚いている暇はない。
屋敷の外から聞こえる男達の声と、剣が交わる耳障りな音。誰かが「敵襲!」と叫んでいた。リナフィアはベッドから抜け出すと、そのまま飛ぶように部屋を飛び出した。
「あ! 妃殿下、ダメです! 妃殿下!」
背中にミレーネの叫び声が聞こえるが、リナフィアは脇目も振らず夫人の部屋へと急いだ。ベルハイク伯爵夫人はこのノーディレイ側からの敵襲で、重傷を負うことになっている。
そして、そのまま帰らぬ人となる。
「二度はごめんよ」
目の前の角を曲がれば、すぐに夫人の部屋だった。しかし、リナフィアは角を曲がった直後、足を止めた。廊下の一角で、メイドや侍女がしゃがみ込んで声を荒げているではないか。
「奥様! 気を確かにお持ちください! 今、医者を呼びに行って……っ大丈夫ですから!」
彼女達の向こう側で誰かが横たわっていた。チラと見えた床に広がる金髪。それは夫人と同じ髪色。
「夫人!」
リナフィアは慌ててその人だかりへと走った。
もしかして手遅れかもと思ったが、運はリナフィアに味方したようだ。
まだ夫人には微かだが息があった。息があれば救うことができる。良かったと思ったのも束の間、リナフィアは、夫人を取り囲む女達の中にマリアがいることに気付いた。
「何を……しているの……マリア様……?」
青い顔したマリアがビクッと肩を揺らした。
「まさか……この状態の夫人を目の前にして、ただ眺めていただけ……では、ありませんよね」
マリアは口をはくはくさせ、小刻みに首を横に振る。
リナフィアの額に青筋が走った。
思わず、リナフィアが「マリア様!」怒声を上げそうになったとき、同じ言葉が別の者から先に上がる。
「マリア様! お願いします、奥様を助けてください! ベルハイク領を守るために祈りを捧げると、昼間は仰っていただいたではありませんか!」
夫人の侍女がマリアに縋りついた。しかし、マリアは依然として同じように首を横にふるばかり。
「奥様はベルハイク領に絶対に必要なお方なのです! お願いします、どうか……っ!」
「そ、それは、祝福のために祈ると言っただけで――きゃあ!」
気がついたら、リナフィアの手はマリアを突き飛ばしていた。
尻餅をついたマリアが、先ほどまで自分が居た場所に代わるようにして座るリナフィアを睨み付ける。
「ひどいです、リナフィア様! 何もこんなに乱暴しなくたって!」
しかしリナフィアは無視して、夫人の傷口をありったけの布で押さえている侍女に指示を出す。
「直接傷口に触れたほうが治りが早いんです。ですから、私が合図したら傷口を押さえている手を離してください」
「か、かしこまりました、妃殿下」
大量の布を真っ赤に染めるだけの出血。やはりこれが致命傷だ。
「無視なんてひどいじゃないですか! 医者が来るって言ってんだから任せれば――」
「お黙りなさい」
「――っ!」
静かな声音とは相反するすさまじい怒気を感じ取って、マリアは口をつぐんだ。
リナフィアは深呼吸で心を落ち着け、体内に感じる神力を結んだ両手に集中させる。彼女の手を淡い光が包み始める。
幻想的な光景を、侍女達が驚きの目で静かに見守っていた。
リナフィアが目で合図を送れば、傷口を押さえていた布が外され、交代するようにリナフィアの輝く手が傷口を押さえる。
(お願い、助かって!)
願いながら、手への意識をより集中させる。吸われるように、掌からどんどんと神力が流れ出ていく。しかしまだ傷口は塞がらない。夫人の命がいかにギリギリだったか分かる。
「お願い……っ生きて」
今度は。
もう、あのような思いはしたくない。伯爵のあのような顔は二度と見たくないのだ。
リナイフィアの手から漏れ出た光は一際強く輝くと、夫人の全身を白く包み、ふっ、と淡雪のように散って消滅した。
夫人の瞼がピクと小さく動き、ゆっくりと開けられる。
「――っ奥様!」
「……? ヴィ、オ……ラ……?」
目を覚ましたばかりで状況が飲み込めていない夫人に、ヴィオラと呼ばれた侍女がひしっと抱きついた。その光景を、リナフィアは安堵の笑みでもって眺める。
「良かったです! 妃殿下が、神力で奥様の命を救ってくださったんですよ。本当、ご無事で良かった……っ」
(ええ、本当に良かった)
「感謝申し上げます、妃殿――!?」
振り返り、リナフィアに目を向けた侍女は、思わず驚きに声を失う。ぐらり、とリナフィアの身体が傾いていた。




