北部の王・ベルハイク伯爵①
国王の護衛は近衛兵の中で持ち回りなのだが、近頃皆が口を揃えて「うんざりする」と言っていた意味が分かった。
レイスが護衛になって数日経つが、ルーベントは執務室にいる時間や、大臣達と言葉を交わす時間よりも、マリアと過ごす時間の方が長い。
執務中ですら、隣に置いて書類決裁をする始末。
結果、急ぎの稟議書などは全て、王妃の元へと流れていっているようだ。
「そりゃ、引きこもってないと仕事が終わらないんだろうさ」
最近では、執務室の前室まできて、中から漏れ聞こえる国王と正聖女との楽しそうな声を聞いて、引き返していく大臣もいる。両手に抱えた書類はそのまま、彼女へと持ち込まれているのだろう。
「……憐れだな」
それほどまでに国王に、民に尽くしているというのに、誰も彼女を省みない。
舞踏会の日、バルコニーで涙していた王妃。
今、彼女は何を思って『王妃』でいるのだろうか。
「――って、俺が気にすることでもないな」
レイスは考えを払うように、激し目に頭を左右に振った。
「ここで思い入れなんか作るなよ。どうせ……この国はなくなるんだから」
独り言は、廊下に落ちる自分の影に全て吸い込まれた。
◆
結局、辺境伯領の視察については、リナフィアが改めてルーベントの執務室を訪ねて、リナフィアとマリアの両方が同行することで話はまとまった。
一行の陣容は、ルーベントとその供回り。リナフィア、マリアとそれぞれの侍女が一人ずつ。そして護衛として、近衛師団第一隊がつくこととなった。
そうして、こうやってはるばるベルハイク伯爵領へと来たのだが……。
「ふふ、噂の正聖女様がこのように愛らしい方だとは、思ってもみませんでした」
「え~そんな愛らしいだなんて、伯爵夫人ったらお上手ですぅ」
伯爵領へ到着したのが夕方だったこともあり、挨拶を済ませるとすぐに晩餐の席となった。
長方形のテーブルの上座にルーベントが座り、テーブルの両側には伯爵と伯爵夫人、向かいにリナフィアとマリアが座っている。
「あたし、夫人のこと大好きになっちゃいましたぁ。どうか、伯爵領の皆様のために祈らせてください」
「まあ、光栄です」
「そんな、あたしは祈ることしかできませんから。ただの正聖女なだけですし」
先ほどからずっとこの調子だ。
まるでリナフィアに口は挟ませないと言わんばかりに、マリアが夫人との会話を独占している。
(本当、よく喋るわね。朝方の鶏よりうるさいわ)
引っ切りになしにマリアに話しかけられ、夫人の食事の手が先ほどから止まっているのに、彼女は気付いていないのか。控えめな大きさ垂れ目が、一層困ったように垂れているというのに。
(ルーベントも公務に連れてくるのなら、外に出して恥ずかしくない程度にしっかりと教育しなさいよ。よくこれで王妃になんて言えたものだわ。恥ずかしい)
本当は、夫人に伝えなければいけないことがあったのだが。
しかし、ここで自分まで口を挟んでは、いよいよ夫人はフォークを置いてしまうだろう。
(まあ、食事の後にきっと談話の時間もあるでしょうし、私はその時でいいわ)
対して、ルーベントは伯爵と話している。
伯爵の話題はやはり、国境に接する領地らしい問題についてだった。
どうやら小競り合い相手は隣国の正規軍ではなく、盗賊や流れ者など民がほとんどだという。相手が仕掛けてくるとはいえ、民間人相手に大きな反撃もできるはずなく、手をこまねいているらしい。
「ならば、国境に城壁を作ってはいかがかな。国境付近に城郭を構えるのも手だと思うが」
「なるほど。ご助言感謝いたします」
「ここ北部は、我が国にとって生命線だ。くれぐれも隣国の侵攻を許してくれるなよ」
伯爵は、「はっ」と武人らしい短くキレのある返事を返して、ルーベントとの会話を一段落させていた。
確か、下調べした情報では、伯爵は四十になるかという年だった。
その割には、がたいの良いルーベントと並んでも見劣りしない体躯。短く刈り上げられた銀の短髪は、頭の形に沿ってなでつけられ、清潔感にあふれている。
見た目からでも充分に『北部の王』と呼ばれる所以が伝わってきた。
リナフィアは、二人の会話を耳に挟みつつ向かいの伯爵を一瞥しただけで、あとは目の前の食事に集中する。
本当は、色々と言いたいことがあるのだが、男の話に女が口を挟むのを嫌がる者もいる。
(前回、ほとんど関わらなかったし、伯爵の性格が分からない内は下手な動きはしないほうが無難だわ)
などと思っていたのだが、突如伯爵の会話の矛先がリナフィアを向いた。
「妃殿下は、どう思われますでしょうか?」
「えっ」
まさか、話を向けられるとは思っていなかった。
「これは突然に申し訳ありません。実は陛下と今――」
「ああ、いえ。お話は伺っておりましたから」
食事に夢中だと思われていたようだ。
リナフィアは一度口を開きかけ、しかし逡巡すると、言いたいこととは別の言葉を口にする。
「私の意見は、明日、領地を見回った後で、ということでよろしいでしょうか」
「それは全く構いませんが……ここでは言うのは憚られるようなことですか?」
リナフィアは、眉根を僅かに寄せ、曖昧に笑った。
(そうね。ここで言えば、夫を馬鹿だと言うのも一緒になってしまうもの)
まだこの身は王妃なのだし、仕方ないが国王は立てなければ。
でないと、王妃としての品性を疑われてしまう。伯爵に悪い印象は与えたくない。
「ははっ! 王妃は軍学など学んではいないからな。伯爵、勘弁してやってくれ。考える時間がほしいのだろう、察してやれ」
疑問に首を傾げた伯爵に、リナフィアではなくルーベントが口を開いた。庇っているように見えて、笑い方といい、ただ馬鹿にしている台詞は実に腹立たしい。
(許されるのなら、今すぐテーブルに頭を押しつけてやりたいわ)
肉汁でぐっちゃぐちゃになればいい。




