夜の訪問者
前回と同じように運べば、その視察で、ベルハイク伯爵夫人は死ぬ運命だった。国境線ではいざこざがまだ続いており、ちょうど運悪く視察の時に、ノーディレイ王国側が攻めてきたのだ。そして混戦になる中、伯爵夫人は割れた窓ガラスの破片が腹部に刺さって亡くなる。
「あの時……私があの場にいれば……っ」
辺境伯領からの早馬が、伯爵夫人が大けがを負ったという報せを、王宮にいたリナフィアの元へと持ってきた。『伯爵夫人は大切な人だ。神力でなんとか回復させてほしい』とのことだった。
すぐにリナフィアはベルハイク伯爵領へと向かった。しかし、いくら馬を乗り継ぎ最速で向かっても、やはり中央から国土の端にある場所までは少なくない時間がかかる。リナフィアが到着したときには、伯爵夫人は息を引き取った後だった。
『聖女としての役目を果たせないとは、なんたる無能だ!』
そう罵ったのは、亡くなった妻の夫ではなく、リナフィアの夫だった。一番早い騎士団の軍馬で、騎士団の者に手綱をとってもらい、慣れない騎馬で一睡もせずに駆けてきた妻に、夫が最初にかけた言葉がそれだった。
『やはり、この国に必要なのはリナフィアではなく、マリアだとよく分かったよ』とまで。
そのマリアは、駆けつけさえしていないというのに。
そこでリナフィアは小さな違和感に気付く。
「ちょっと待って……神力ならマリアも持ってるわよね。だったら、どうしてマリアじゃなく私に報せを寄越したのかしら?」
リナフィアという単語より、マリアと呼ぶことの方が多かったはずだ。
彼が頼るのなら、借りを作ってしまう恐れのある自分よりもマリアだろう。
「もしかして……嵌められた……?」
リナフィアの中で、一つの確信が生まれた。
「そうよ! 私が何かしようってなら、いつもすぐに近寄ってきてたマリアが、あの時は大人しく離宮に引きこもったままだったもの!」
早馬が届けた報せは、リナフィア宛てだけではなかったということか。
ルーベントはきっと、伯爵夫人の容態を見て、間に合わないと察していたのだろう。しかし、何もできないからと手をこまねいていては、伯爵からの心証は悪くなる。
伯爵夫人を助けられなければリナフィアのせい。万が一助けることができても、それはリナフィアを手配したルーベントのおかげ。
「……っはは、私はここまで……っ、ここまで馬鹿にされていたのね」
過去の自分はそこまで考えが及ばなかった。
いや、考えすらなかった。
「馬鹿な私……どんなに頑張ったって……誰も助けてくれなかったじゃない」
だから今回は、利用できるものは全て利用して、自分で自分を救ってやると決めたのだから。
「とりあえず、今回は何がなんでも視察には同行しなきゃ。伯爵夫人の死を阻止することが第一ね」
伯爵は夫人の死は仕方ないことだと言ってリナフィアを責めはしなかったが、だからといって味方になるようなこともなかった。
しかし、今回ははっきりと味方に引き入れなければならない。
「あぁ、ルーベントに伝えに行かなきゃいけないなんて、なんて拷問かしら」
彼の執務室に行かなければならないことを考えると、気が滅入ってくる。きっとマリアもその場にいるだろうし、面倒臭いことこの上ない。
「いっそのこと、伝書鳩で全て済ませられたらいいのに……」
いや、文字でマリアマリアと連呼されても、それはそれで腹が立つ。というより、ルーベントからの手紙を待つなど、そんな恋い焦がれた少女のような真似はしたくない。
自分の無駄な妄想を手で払い、リナフィアはソファから腰を上げた。
「いい加減寝ましょ。夜更かしして風邪でもひいたら堪ったものじゃないわ。寝込んでる時間なんてないんだもの」
不意に『お風邪を召しますよ』という声が耳の奥で蘇った。
「ミレーネ以外で、私を心配してくれる人がいるだなんて」
入り口近くの棚の上。そこにちょこんと置かれた薄水色のハンカチ。
「……私に取り入ろうってつもりかしら」
ふっ、とリナフィアは自分の考えに自嘲した。
「そんなはずないわね。今の私に取り入ったところで、恩恵なんてないんだし。本当にハンカチを返しに来てくれただけね」
しかし、ハンカチを返しに来てくれたはずなのに、新たに別のハンカチを貸すとは面白い者だ。おかげでリナフィアのハンカチはレイスが、レイスのハンカチはリナフィアがというよく分からない状態になってしまった。
「変なの」
自然と漏れ出た笑みに肩を揺らしていると、突如、入り口の扉を叩く硬い音が響いた。
「――っ!!」
リナフィアは、素早く羽織っていたショールを胸の前でたぐり寄せ身構える。
こんな時間に誰だというのか。
入室の可否を口にすることも忘れ、ただただ扉を凝視していれば、扉はリナフィアの許しもなく勝手にギィと開いた。
ただでさえ驚愕すべき状況なのに、リナフィアは現れた者の姿を目にして、さらに驚くこととなった。
「――ッル、ルーベント様!?」
部屋へと入ってきたのは、夫であるルーベントであった。




