第4話 実技訓練と魔導回路
アカデミーでの生活が始まって一ヶ月が過ぎた。アミティの日々は、授業と、そして何よりも地道な自主訓練に費やされていた。ミランディア教官から渡された古びた手引書は、すでに彼女の手垢で少し黒ずんでいる。昼間の授業で打ちのめされ、落ち込んでも、アミティは夜になると、一人、寮の裏手にある小さな空き地や、消灯後の談話室の隅で、魔力制御の基礎訓練を繰り返した。
手引書に書かれている内容は、魔力の感知、体内での循環、そして安定した体外放出。どれも、他の生徒が当たり前のようにこなしていることばかりだ。しかしアミティにとっては、一つ一つが巨大な壁だった。魔力を感じようと集中すれば、すぐに意識が散漫になる。体内で循環させようとすれば、あらぬ方向に流れがそれてしまう。そして放出を試みれば、案の定、バチッという静電気のような音と共に、小さな火花が散るか、あるいは全く何も起こらないかのどちらかだった。
「うーん、なんでうまく循環しないんだろう…」
ある晩、寮の裏手の空き地で腕を組んで唸っていると、後ろから声がかかった。
「アミティ? またこんなところで練習してるの?」
同室のリリアだった。彼女は訓練の飲み込みが早く、実技でも常に上位の成績を収めている。
「あ、リリア…。うん、ちょっとね。全然うまくならなくて」
リリアは人差し指を顎にあて、「ふむ」と考えるような仕草を見せた。騎士爵家令嬢のリリアは、その身分の高さを鼻にかけるような振る舞いをすることは決してないが、こういう細かい所作にはいつも品の良さが滲み出る。
「アミティってさ、魔導具のことには詳しいんでしょ?だったら、自分の体の中の魔力の流れも、そういう回路みたいに考えてみたら? どこで流れが滞ってるか、どこで魔力が漏れてショートしてるか、みたいな」
リリアは軽い口調で言ったが、その言葉はアミティにとって目から鱗だった。
(魔力の流れを、回路として考える…?)
それだ! アミティは膝を打った。自分は手先こそ不器用だが、魔導具の設計理論は頭に入っている。魔力が結晶から供給され、回路を通り、意図した効果を発揮する。その流れを制御するのが、魔導具師の腕の見せ所だ。自分の体も、一種の「魔導具」だと考えてみてはどうだろうか?
アミティは早速、手引書の基礎理論と、自分が知っている魔導具の知識を結びつけ始めた。体内の魔力の源(魔力器官)を「魔導結晶」、魔力が通る経路を「魔導回路」、そして手足などの放出部位を「出力ポート」と見立てる。そして、自分の問題は、この回路のどこかに「設計ミス」があるか、あるいは「絶縁不良」があるのではないかと考えた。ビッグピヨを止めた時の、あの即席「魔力放流トラップ」のイメージも役立った。あれは、過剰な魔力を強制的に「アース」する回路だった。
「もしかして、私の魔力って、普通の人より流れやすすぎる…? だから、ちょっとした意識の乱れでショートしたり、意図しないところに漏れ出したりするんじゃ…?」
まるで暴走しかけた魔導具を調整するように、アミティは自分の体内の魔力の流れを、より慎重に、より繊細にコントロールしようと試みた。回路図を描くように、意識の中で魔力の経路を定め、余計な場所に流れないように「絶縁」をイメージする。
すると、変化が起きた。完全ではないが、以前よりずっと安定して、手のひらに魔力を集めることができるようになったのだ。まだ形は歪で、大きさも小さいが、あの忌々しい「バチッ!」という暴発は明らかに減った。
「…できた! ちょっとだけだけど、できた!」
「できたじゃん、アミティ!」
小さな成功に、アミティとリリアは思わず声を上げた。夜空の下、空き地でただの小さな魔法球に歓声を上げる二人の姿は少し奇妙だったかもしれないが、その小さな光は、アミティにとって、その行く先の暗闇を照らすための大きな一歩だった。
その小さな変化は、日中の授業にもわずかながら影響を与え始めた。魔導理論の授業では、持ち前の知識と独自の視点から、時折ミランディア教官も感心するような鋭い質問をすることがあった。周囲の生徒たちも、「あいつ、座学はできるんだな」と少し見直すような雰囲気が生まれる。
実技訓練では、相変わらず他の生徒に大きく遅れをとっていたが、ガルドリック教官は、アミティの魔力の暴発が減り、以前よりずっと真剣に、そして冷静に訓練に取り組む姿を認めないわけにはいかなかった。
「…ほう、少しはマシになったか。だが、まだヒヨコレベルだ! 油断するな!」
相変わらず口調は厳しいが、その声には以前のようなあからさまな失望の色は薄れていた。
そんなある日の実技訓練。課題は、基本的な防御魔術である「魔力障壁」の生成だった。指定された量の魔力を練り上げ、自分の前方に安定した半透明の壁を作り出す。
多くの生徒が、大きさや強度に差はあれど、どうにか障壁を形作る中、アミティは苦戦していた。回路のイメージで魔力を練り上げるが、安定させるのが難しい。壁がすぐに歪んだり、消えかかったりしてしまう。
(ダメだ、魔力を出すことはできるようになってきたけど、空間に留めるのがやっぱり難しい…もっと安定させないと…! 流量制御…、出力を一定に保つ回路は…)
アミティは必死に、魔導具の安定化回路の原理を応用しようとした。
その時、訓練用の魔力弾が、別の生徒が魔力障壁で弾いたことによりコントロールを失い、アミティめがけて飛んできた。
「危ない!」リリアが叫ぶ。
アミティは咄嗟に反応することができなかった。しかし、集中は途切れていなかった。頭の中で描かれつつあった安定化回路に意識を集中させ、魔力の流量と出力の制御に全神経を注ぐ。彼女は、魔力を「流す」のではなく、特定のポイントで「堰き止めて溜める」ような、貯水タンクのような回路をイメージした。
パァン!
鈍い音と共に、飛んできた魔力弾が、アミティの目の前で弾けた。彼女が作り出したのは、他の生徒たちのものよりずっと小さく、頼りない見た目の障壁だったが、それは確かに具現化し、魔力弾の威力を受け止め、霧散させたのだ。
「…防いだ?」
アミティ自身が一番驚いていた。周囲の生徒たちも、一瞬、何が起こったのか分からないという顔でアミティを見ていた。
「よし、今のは悪くなかったぞ、ペブルズ!」
ガルドリック教官の、予想外に大きな声が響いた。
「障壁のサイズ、安定性ともにまだまだだ。だが、咄嗟の状況でも魔力発動を継続させた集中力は評価できる。基礎を怠るなよ!」
初めて、実技訓練で褒められた。ほんの少し、形になっただけなのに。アミティの胸に、じわりと熱いものが込み上げてくる。隣にいたリリアが、アミティの肩をポンと叩いた。
「やったじゃん、アミティ! 見た? 今の、ちゃんと防いでたよ!」
「う、うん…!」
アミティは、頬が緩むのを感じながら、力強く頷いた。
この小さな成功は、アミティにとって大きな自信となった。不器用でも、周りに遅れていても、努力すれば少しずつ前に進めるのだと実感できた。
***
しかし、安堵したのも束の間であった。アミティの行く先にはすでに、その命運を大きく左右する新たな試練が口を開けて待ち構えていたのだ。
アカデミーの、最初の中間評価である。