第2話 アカデミーの審判
王城に隣接する、荘厳で威圧的な王立騎士団本部。親父さんの付き添いは許されず、一人で足を踏み入れたアミティは、死刑宣告でも受けるのではないかと本気で怯えていた。近所の悪ガキに「市場を壊した罪で地下牢行きだ」と囃し立てられたせいだ。
石畳の廊下は冷たく、壁には歴代騎士の肖像画や魔物討伐のタペストリーが掲げられ、場違いなアミティを睥睨しているかのようだ。心臓が喉から飛び出しそうになりながら、衛兵に案内された部屋の扉が開かれる。
そこは簡素ながらも品格のある応接室で、中央のテーブルには書類が山積みになっている。そして、テーブルの向こうに座る二人の人物に、アミティは息を呑んだ。
一人は、彫像のように厳つい顔立ちの中年男性。鋭い視線がアミティを射抜き、全身を見透かされているようだ。もう一人は、落ち着いた雰囲気の中年女性。男性よりは柔和な表情だが、その佇まいには有無を言わせぬ威厳があった。
彼らは、王立騎士養成学院、通称「アカデミー」の教官、ガルドリックとミランディア。だがそれを知る由もないアミティには、「処刑執行人」と「その上司」くらいにしか見えなかった。
「アミティ・ペブルズさんですね。どうぞ、楽にしてください。少しお話を伺いたいんです。」
ミランディアの穏やかな声に、少しだけ肩の力が抜ける。事情聴取は、やはりビッグピヨ騒動についてだった。アミティはどもりながら、裏庭での出来事、あの「バチッ」という感覚、巨大化、そして市場での一部始終を正直に話した。昔から魔導具を扱う際に妙な静電気が起きやすかったこと、不器用で失敗ばかりだったことも。
話が進むにつれ、二人の教官の表情が真剣味を帯びていく。
「…つまり、ごく一般的な玩具用魔導結晶に、偶発的とはいえあれほどの魔力を注ぎ込み、励起させ、質量変化まで引き起こした…と。」ガルドリックが唸るように言った。「必要なエネルギーは、通常の魔法現象とは比較にならない。そして、それを即席の装置で収束させた…」
ミランディアが頷く。「ええ。アミティさん、あなたの持つ魔力、あるいは魔力に対する感受性や干渉力は、私たちが知る中でも極めて特殊で、未知のものです。あなた自身が、強力な魔力の『触媒』あるいは『増幅器』のような特性を持つ可能性がある。」
彼女は真っ直ぐにアミティを見据えた。「そこで、私たちからあなたに、一つ提案があります。」
ミランディアは、自分たちが王立騎士養成学院の教官であることを明かし、アミティをアカデミーにスカウトしたい、と告げた。
「アカデミー…!?」
アミティは耳を疑った。王国民なら誰もが知る、未来の騎士を育てる王国の最高学府。才能ある貴族や秀才が集う、自分のような町の孤児には無縁の世界。
「…わ、私が…ですか?」
悪い冗談かと思った。だって私は、失敗ばかりで、親父さんにも呆れられて…。でも、目の前の二人の真剣な眼差しは、冗談を言っているようには見えなかった。私の中に、そんな力が? ビッグピヨを暴走させた、あの忌々しい『何か』が、才能…? 畏れと、ほんのわずかな期待がないまぜになった震えが、アミティの体を走った。
「はい、あなたです」ミランディアの声は穏やかだが、有無を言わせぬ響きがあった。「今回の騒動は、確かにあなたの意志ではなかったでしょう。ですが、結果的にあなたの稀有な潜在能力を示すことになった。そして、それをあなた自身の機転と知識で収束させた。その応用力と、秘められた力に、私たちは注目したのです。」
ミランディアは続けた。「あなたの力は、まだ荒削りで、制御不能です。放置すれば、今後さらに大きな事故を引き起こしかねない。アカデミーは、そうした才能を正しく導き、磨き上げ、王国の力とするための場所です。まずは、入学テストを受けていただき、あなたの資質を正式に測らせてほしい。」
テスト。名門アカデミーの。この威圧的な場所で、自分の価値が試される。
(…逃げちゃダメだ)ビッグピヨを止めた時の覚悟が蘇る。失敗ばかりの自分を変えたい。親父さんや、迷惑をかけた人たちに恩返しがしたい。この、自分でも持て余している『何か』を知り、制御できるようになりたい。
「……わかり、ました。」
絞り出した声は小さかったが、その奥には、確かな意志の火が灯っていた。
***
数日後、アミティはミランディアとガルドリックに伴われ、マルス王立騎士養成学院の試験広場に立っていた。アカデミーの壮麗な校舎に囲まれた広々とした空間には、独特の熱気が渦巻いていた。名門アカデミーへの切符を掴もうとする者たちの期待と不安、そして選民意識のようなものが混じり合った空気。
洗練された仕立ての良い服を着た貴族の子弟たちは、供回りの者を傍らに自信たっぷりに談笑し、地方から来たらしい実力者然とした少年少女は、鋭い目でライバルたちを観察している。その中で、場違いな普段着のアミティは、まるで迷子の雛鳥のように居心地悪く縮こまっていた。
「…あれが市場で鳥を暴走させたっていう…」
「魔導具屋の孤児らしいわよ」
「へぇ、あんな子がなんでこんなところに? 場違いも甚だしいわね」
好奇と侮蔑の混じった囁き声が、容赦なくアミティの耳に突き刺さる。顔がカッと熱くなり、俯いてしまいたい衝動に駆られる。まただ。また、みんなの前で恥をかくのか。逃げ出したい。
(…ううん、逃げない!)ギュッと拳を握りしめる。親父さんや市場の人々の優しさに、いつまでも甘え続けているわけにはいかない。これ以上誰にも迷惑をかけないように、自分の力をしっかりと制御できるようにしたい…!
テスト内容は単純明快。広場中央に鎮座する巨大な金属製ターゲットに向けて、全力の魔力を三度撃ち込む。補助魔導具である杖を使うことも許可されている。ターゲットはその魔力量を数値化して表示する仕組みだ。合格ラインは800〜900、入学者の平均は1,200程度とミランディアは教えてくれた。
渡された杖は、滑らかな木製で先端に水晶が埋め込まれている、いかにも上等そうな品だ。だが、アミティは自分の意志で魔力を制御して放出した経験など皆無である。自分にそんな力が宿っていること自体、信じがたいのだ。
ミランディアに「意識を集中して、体の内側にある力を、杖を通して出すイメージで…」と手ほどきを受けるが、さっぱり感覚が掴めない。
順番が来て、ターゲットの前に立つ。周囲の視線が痛いほどに集中するのが分かる。ごくりと唾を飲み込み、全身に力を込めて念じる。「出ろ…!」
バチッ!
杖の先端から放たれたのは、頼りない小さな光の矢だった。パシュン、という情けない音と共にターゲットに当たり、表示された数値は「460」。
広場の一角から、くつくつと隠す気もない嘲笑が漏れる。
「なんだ、その程度か」
「ビッグピヨの方がまだ威力あったんじゃないの?」
容赦ない野次に顔が燃えるように熱くなり、涙が滲む。ミランディアが困ったような、でも励ますような笑顔で頷く。
「まあ、初めてですから。まだ二回あります。もう少し…お腹の下あたり、丹田に力を込めて、そこから引き出す感じでやってみましょう」
二度目。言われた通り、下腹部に意識を集中する。今度こそ、と気合を入れるが、焦りが空回りするだけだった。
バチチッ!
放たれた魔力は、先程よりもさらに弱々しく、ターゲットが示した数値は「435」。
今度は嘲笑すら起こらない。ただ、しんとした冷ややかな沈黙と、「ああ、やっぱりな」というような失望の視線が突き刺さる。何人かの受験者は、もうアミティに興味を失ったように背を向け、仲間とのお喋りを再開していた。ミランディアの表情から笑顔が消え、困惑の色が浮かんでいるのが分かり、アミティの心は絶望でいっぱいになった。もうダメだ。せっかく掴んだかもしれないチャンスが、指の間から零れ落ちていく…。
(ダメだ、諦めるな…! 焦るな、私…!)必死に自分に言い聞かせる。ミランディアがアミティのそばに寄り、静かに語りかけた。
「アミティさん。落ち着いて。いいですか、この杖も、ただの木の棒ではありません。あなたがいつも裏庭で弄っている魔導具と同じ…魔力を効率よく増幅し、指向性を持たせるための、精密な『回路』なのです。問題は、あなたがその回路を上手く使えていないこと…あるいは、あなたの力が、この杖の回路の『規格』に合っていないのかもしれない…」
回路…杖も、魔導具…規格外…? ミランディアの言葉が、アミティの頭の中で反響する。規格外の力…。あの時、ビッグピヨの暴走を止めた時の感覚が、鮮明に蘇る。オモチャの貧弱な結晶から、過剰な魔力を無理やり引きずり出して地面に流した、あの即席回路!
もし、私の力が本当に規格外なら…? この杖に組み込まれた、上品で繊細な回路を使うんじゃない。そんなもの、私の荒っぽい力じゃ、きっと上手く扱えない。そうじゃなくて、あの時のように、杖そのものを、結晶も、木の部分も、全部まとめて、もっと大きな魔力を流すための、ただの『通り道』、いや『素材』として使ってしまえば…!
「…わかり、ました…!」
まるで暗闇に光が差したように、アミティの目に強い意志の光が宿った。不器用な自分でも、理論を応用して現実を変えられた、あの瞬間の感覚。あれと同じことを、今、ここで!
三度目の挑戦。アミティは杖を構え、ターゲットを真っ直ぐに見据えた。もう周囲の視線は気にならない。失敗したら終わり。でも、ここで逃げたら、私は何も変われない!
目を閉じ、大きく息を吸い込む。親父さんの顔、市場の人々の優しい顔、そしてミランディアとガルドリックの真剣な眼差し。意識を集中する。自分の体の奥底にある、自分でも持て余している熱いエネルギーの塊。それを、掴んで、無理やり引きずり出す。杖の繊細な回路なんて無視だ。杖に込められた力も、杖を形作る素材も、全てを巻き込んで、一つの巨大な奔流として――解き放つ!
「――ッッ!!」
声にならない叫びと共に、アミティの小さな体から凄まじいエネルギーがほとばしった。視界が真っ白に染まり、耳をつんざく轟音と衝撃波が広場全体を薙ぐ。近くにいた数人の受験者が、突然の衝撃に悲鳴を上げて尻餅をつき、アカデミーの荘厳な校舎の窓ガラスがビリビリと小刻みに震えた。
閃光と衝撃が収まった時、広場は水を打ったように静まり返っていた。誰もが唖然として、ターゲットと、その前に立つ小さな少女を交互に見ている。さっきまでアミティを嘲笑していた貴族の子弟たちも、口を開けたまま硬直していた。
ターゲットは、信じられない数値を表示していた。
「2,860」
合格ラインを遥かに、平均点すらも大きく上回る数値。だが、それと引き換えに、アミティの手の中で、試験用に貸与されたばかりの上等な杖は、哀れな姿を晒していた。先端の水晶は粉々に砕け散り、本体は黒く焦げてバキバキに亀裂が入っている。完全に破壊されていた。
ミランディアが駆け寄り、壊れた杖の残骸を拾い上げると、驚きと、わずかな畏怖、そして抑えきれない強い興味が入り混じった複雑な表情で呟いた。
「…やはり、規格外、ね。杖に組み込まれた魔力制御回路ごと、自身の制御不能な力で無理やり引き剥がして、ターゲットに叩き込んだ、というわけ…無茶苦茶だわ」
「いずれにせよ、この数値ならば、合格させぬというわけにはいかんだろうな」ガルドリックが言う。
この数値は、アミティ自身の純粋な基礎魔力を正確に表すものではなかった。杖の機能と素材そのものを破壊的に利用した、ある種の暴走に近い現象の結果だ。公式記録としては扱えないだろう。
しかし、アミティがこの異常な数値を叩き出した事実。そして、自身の許容量を超えるこれほどのエネルギーを(結果的に杖を破壊してでも)瞬間的に引き出し、指向性を持って発現させられる潜在能力。
アカデミーは、後日、その制御不能なポテンシャルを「測定不能」と評価し、異例ながらも、ミランディアとガルドリックの強い推薦を受け、特例としてアミティの入学を認めたのだった。
へなへなと力が抜け、アミティは再び地面に座り込んだ。処刑宣告を覚悟した場所で、まさか自分が、未来の騎士を育てる名門の一員に?
市場での騒動を収めたときとは違う、新たな安堵感。そして、これから始まるであろう未知の世界への、底知れない期待と、それと同じくらいの大きな不安が、ゆっくりと胸の中に広がっていった。