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第9話:存在しない修復士

名前がない。

記録に残っていない。

制度にも認められていない。


それでも、心が誰かに触れたとき、

“存在の証”は静かに灯るのかもしれません。


ユウが見つけたのは、「記録」ではなく「想い」でした。

それはまだ名前を持たない、小さな灯火。


今回は、“存在の輪郭”を失ったユウが、それでも歩もうとする物語です。




記録室の空気は、どこか重く、静かだった。


ユウは無言のまま机に向かい、目の前に積まれたファイルを一枚ずつ手に取っていた。


「正式な記録にない……それが、今のあなたの“立場”です」


書類越しに向かい合うのは、ネモリアの判定官。

仮面のように表情を変えないその人物が放った言葉は、

ユウの胸の内に冷たい重みを落とした。


自分は癒した。

たしかに、誰かの記録に感応し、共鳴を起こし、安定を導いた。


それなのに──


「正式な修復士ではない者が、記録層に干渉した。

それは重大な規定違反にもなりうる行為です」


リアナの報告によって判明した“癒しの記録”は、ユウにとって誇りだった。

けれど、それは同時に、制度の枠を超えた“危険な力”とも取られかねない。


ユウはゆっくりと立ち上がり、言葉を探すように口を開いた。


「……でも、あの時……僕は、たしかに“誰かの想い”を感じました。

そして、感謝された気がしたんです」


判定官は一度だけ目を伏せ、ため息のように言った。


「……それでも、記録上、あなたは“存在していない”」


その言葉に、記録室の空気がまたひとつ冷たく沈んだ。



ユウはふと、自分の胸元に手を置いた。

鼓動は確かにそこにある。だけど、目の前のこの世界では――それは“存在していない”。


「“記録にない”って、なんなんでしょう」


ユウの言葉に、判定官は動じなかった。


「記録は絶対ではありません。しかし、それを基にして制度は保たれています。

あなたのような“データ外の存在”が増えれば、全体の秩序は崩れます」


「でも……癒したんです。

記録の中に咲いた花は、幻なんかじゃなかった。

あの記憶が安定したのは、僕が触れたからです」


「“あなたが触れた”という証明が、記録にはないのです」


ユウは黙った。言い返せなかった。


リアナが代わりに前へ出た。


「ならば、私が証明します。

癒しとは、制度によって記されるだけのものじゃない。

“誰かが誰かを感じ取った”という事実は、たとえ記録に残らなくても確かにそこにある」


判定官の視線が、ゆっくりとリアナからユウへ移った。


「あなたが本当に必要な存在であると証明したいなら、

記録に頼らず、自分の手でそれを示しなさい。

制度の枠を超えて、なおも人の記憶に光を灯す者として――」


その声は、かすかに揺れていた。まるで、かつて誰かを癒された経験があるかのように。



判定官の許可のもと、リアナは一通の推薦状を提出した。

ユウは特例処置として、正式なIDの発行は保留のまま、補助職の仮承認を得た。


“記録の外側から来た者”。


その肩書きは、他の修復士たちにとって、やがて噂となる。

だが今はまだ、ユウ自身の中にも、整理のつかない思いがあった。


その夜、ユウは医療棟のベッドに横たわりながら、今日の出来事を反芻していた。


“存在しない修復士”――

その言葉には、侮蔑ではなく、ただ「まだ知られていない」という響きがあると感じた。


「もし僕が……誰かの記憶を癒し続けたら。

いつか、“名前のない癒し”も、誰かに届くのかな」


通信越しに、リアナの声が届いた。


「ユウ。今日、よく頑張ったわね。……あなたの在り方、私は信じてる」


それだけの言葉で、眠れない夜にほんの少し、あたたかさが灯った。



翌朝。


ユウは早くに目を覚ました。

外はまだ青く、施設の回廊には誰の足音もなかった。


昨日の記録室。

重く静かな空気。

突きつけられた“存在の不在”。


けれど、それでも彼の中には、確かに“誰かのありがとう”が残っている。


それが、たとえ制度に記されていなかったとしても――

彼にとっては、何より確かな記憶だった。


彼は静かに歩き出した。


白紙の記録台帳のページに、自分の手で灯りをともすために。



昼下がりの資料閲覧室。

ユウは、記録装置を前にして静かに立っていた。


そこには、彼が癒したNo.113の花畑の記録映像が複写保存されていた。


正式には“干渉記録”。

それは教育資料から逸脱した変化として保存され、以後の研究対象として管理されることになる。


ユウはしばらく無言で、映像を眺めた。


──白い花。風。少女の祈り。


誰かが誰かを忘れようとして、

でも忘れきれずに残した、たった一輪の想い。


(あの場所で、確かに僕は“何か”を受け取った)


彼はそっと指先で画面をなぞる。


そこに名はない。記録者欄にも、自分の名前は刻まれない。


けれど、それでも――


「この映像の奥に、確かに僕がいた」


背後から、リアナの声が届いた。


「ネモリアには、昔からそういう人がいたわ。

“記録されない者”。“光を返す者”。“影の治療師”……呼び方は様々だけど、

制度に先立って、人を癒す存在がいつもいたの」


ユウは目を見開いた。


「……僕だけじゃ、ない?」


「ええ。あなたは、“連なり”の中にいる。

名を残さず、けれど誰かの心に花を咲かせていった人たちの――記憶の系譜」


リアナはそっと言葉を繋いだ。


「記録が証明できるのは、ほんの一部。

でも記憶が証明するものは、もっとずっと広くて、やさしいのよ」


ユウは小さく頷き、胸の奥に灯る光を静かに受け止めた。



夕暮れ。


施設の天窓から、金色の光が差し込んでいた。


廊下を歩きながら、ユウはふと立ち止まる。


窓の外に、一羽の鳥が羽ばたいていった。


「……存在しない、なんて思わない」


小さく呟いたその声は、もう“迷い”ではなくなっていた。


癒すということは、記録に名を刻むことじゃない。


誰かの心に触れ、

誰かの痛みの中に、そっと灯りを置いてくること。


“名前のないままでも、確かに誰かを癒せる”。


それが、今の彼の“誇り”だった。



“存在しない修復士”──それが、僕の今の肩書き。

だけど、きっとそれは、名乗るには十分すぎるほど強い“証”なんだ。


この世界では、記録がすべてを決めるのかもしれない。

でも、人の記憶には、“名もなき誰か”を覚えている力がある。


ユウは、正式な修復士ではありません。

けれど確かに、癒しを起こした人です。


その矛盾に揺れながらも、彼は今日、ひとつの答えを見つけました。


“名を持たない癒し”も、

“存在しない者”としての生も、

それは、誰かに灯りを届けることができる。


この物語が、記録には残らないあなたの“優しさ”にも、そっと寄り添えたなら――


──千景 和(@Chikage_Kazu)

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