表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

第8話:記憶に咲く花

記憶には、かたちがある。

それは言葉かもしれないし、風景かもしれない。

あるいは、誰かのまなざしや、指先の温度。


ユウが初めて“感応”を通して触れたのは、

悲しみの奥にそっと残されていた「優しさ」でした。


過去にリンクするということは、過ちを正すためじゃない。

そこに残った“想い”を見つける旅なのかもしれません。


今回は、“癒す”という行為の原点に、ユウが静かに向き合います。

どうか、あなたの心にも、小さな花が咲きますように。



「接続準備完了。ユウ、深呼吸して。リフレイン・アークを起動するわ」


通信越しに聞こえたリアナの声は、穏やかであたたかかった。


ネモリアの検査室に、微かに機械音が響く。ユウは椅子に身を委ね、ゆっくりと目を閉じた。


今日は“初期適性検査”の二回目。記録映像の中での感応反応を見るためのテスト。

ただの記録。それでも前回、彼はその記録の中に“誰かの声”を感じてしまった。


「今回は、教育用記録No.113。“花畑の情景”という記憶資料。安心してね、穏やかな記録よ」


「はい」


ユウは小さく息を吐いた。そして、再び記憶の波へ沈む。



最初に感じたのは風だった。


優しい風が頬を撫でる。視界がひらけると、そこには一面の花畑が広がっていた。


青空の下、無数の白い花が咲き誇っている。

草原の奥には小さなベンチがあり、その上には花束が一つ、そっと置かれていた。


「……綺麗……」


ユウはゆっくりと歩き出す。花を踏まないように、慎重に。

その足音に、風が応えるように吹き抜けた。


どこまでも優しい景色。

けれど、なぜか胸が締めつけられるような感覚があった。


それは、まるでそこに“誰かの涙”が染み込んでいるようだった。


(この場所……誰かの、さよならの場所だ)


通信越しにリアナの声が届く。


「ユウ、感応値が上昇してるわ。大丈夫?」


「うん……でも、何かが……残ってる。言葉にならない何かが」


ベンチの前で立ち止まると、ひときわ強く風が吹いた。

そして、ユウの視界にふと映る、ひとつのペンダント。


花と同じ白で形どられた、小さな記憶のかけらだった。


触れた瞬間、映像が微かに揺れる。


そして──


『……あなたが、いてくれてよかった』


音にならない声が、心に触れてきた。



それは断片的な記憶だった。

幼い少女が母親と花畑で過ごした日々。

病に伏した母を看取ったあと、一人でこの場所を訪れた少女の記憶。


悲しみと、感謝と、愛しさが交じり合う、ひとつの感情の結晶。


ユウは自然と膝をつき、ペンダントを両手で包んだ。


「……これが、記憶の形……?」


涙が滲む感覚があった。

けれどそれは、悲しい涙ではなかった。


「リアナ……これって……」


「ええ、明らかに“感情層”への共鳴が発生してる。あなたの中の“優しさ”が、記録の奥に届いたのよ」


「誰の声かはわからなかったけど、でも……感謝された気がした」


「それで十分よ、ユウ。それが、あなたの“癒し”の原点かもしれない」



──映像の再現は、さらに深く続いた。


白い花畑の奥にある一本の木。その根元には、かすかに揺れる木製の風鈴が吊るされていた。

それは音を鳴らすことなく、ただ風に合わせて揺れるだけだった。


ユウは足を止め、風鈴を見上げた。


そのとき、ひとつの映像が重なる。

──少女が、風鈴の前でしゃがみ込み、震える声で祈る姿。


『お母さん、ちゃんと、わすれられるかな……?』


祈りとも、独り言ともつかないその声が、時間を越えて記録に焼き付いていた。


ユウの胸に、またひとつ静かな波が生まれる。


忘れようとすること。

忘れてしまうこと。

それでも、残ってしまうこと。


記憶とは、悲しみを削るためにあるのではなく、

“そのまま在ることを許す場所”なのかもしれない。


──彼の中で、何かがふっと解けた。


風鈴が、ほんのわずかに音を鳴らした。

記録の映像であるはずのその世界に、確かな“いま”の感応が起きた瞬間だった。


リアナの声が、緊張を帯びて届く。


「ユウ、今……記録層そのものが応答した。これは……!」


ユウはゆっくりと風鈴に近づき、そして小さく呟いた。


「……忘れなくていいよ。だって、そのままでも……ちゃんと届いてるから」


それは、過去の誰かへの言葉でもあり、自分自身への慰めでもあった。



リンク解除後、リアナはいつになく黙っていた。


データを確認するその手が、少しだけ震えていた。


「前例がないわ……記録資料が、こんな風に“感応変化”を起こすなんて」


「僕のせい、でしょうか」


「違う。あなたの“力”のせいじゃない。“優しさ”のせいよ」


リアナは目を細める。


「癒しとは、技術じゃなくて……

記憶に寄り添うための“在り方”なのかもしれない」


その言葉に、ユウは静かに頷いた。


彼はまだ、記憶を取り戻していない。

自分の過去も、何者かも、曖昧なままだ。


けれど──それでも、誰かの記憶に咲いた花を見つけた今、

彼の中にはたしかに、歩き出す理由があった。


それは、たった一輪の“白い希望”。


どんな過去があろうとも、心に咲いたその花が、これからの道を照らしてくれる気がした。



朝が来た。


ユウは早くに目を覚まし、ひとりで中庭に出ていた。

昨夜見た記憶の中の花畑を、もう一度感じたくなったのだ。


庭の片隅には、咲き始めたばかりの白い小花がひとつ。

名も知らぬそれを、ユウは静かに見つめた。


「癒すって……ほんとうは、誰かを“救う”ことじゃなくて、

誰かがそこにいたことを、ちゃんと見つけてあげること……なのかな」


彼はポケットから小さな紙片を取り出した。

昨日、リアナから手渡された感応結果の簡易レポートだった。


“被記録資料 No.113において、癒しと同等の記録安定を観測”

“記録層における非干渉型感応の発生”

“詳細解析により、共鳴対象不明のまま記録波形変化を確認”


……つまり、それは誰にも説明できない“共鳴”だった。


でもユウにとっては、それで十分だった。


「また、あの記録に戻れるかな……」


ふとそんなことを思ったとき、背後から足音が近づく。


「今日は少し早いのね、ユウ」


振り返れば、リアナが微笑んでいた。手には、いつものハーブティー。


「おはようございます」


「記録、咲いていた?」


ユウは一瞬だけ言葉に詰まったが、ゆっくりと頷く。


「ええ。……ちゃんと、咲いてました」


ふたりは肩を並べて、白い花を見つめた。


その姿は、まるでひとつの記憶が生まれる瞬間のようだった。



悲しみの中に、一輪だけ希望の花が咲いていた。


ユウという存在は、まだ不確かです。

記憶も立場も、未来さえも──何ひとつ約束されてはいません。


それでも彼が歩き始められたのは、

“誰かの記憶に触れたい”という、ただひとつの想いでした。


そしてその想いが、偶然か、必然か──

白い花を咲かせたのです。


癒しとは、大きなことを成すことではなく、

誰かの心に触れ、その存在を「肯定」することなのかもしれません。


この物語を読んでくれたあなたにも、

そっと花が咲いてくれたなら、私はとても嬉しいです。


──千景 和(@Chikage_Kazu)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ