第7話:初めてのリンク
“感応”という言葉には、触れただけでは分からない深さがある。
たとえ誰かの記憶を直接知らなくても、
その場に残された余韻や感情が、
静かに心を揺らすことがある。
この回で描かれるのは、「癒す力」が
制度の枠を越えて動き始める瞬間。
名もなき記録資料との偶発的な接触──
けれど、それがユウにとっての最初の“共鳴”だった。
目に見えない痛みが、
確かにそこにあるのだと、彼は知り始める。
ネモリア中央棟、記録観測室。
ユウは、“初期感応テスト”と呼ばれる適性検査を受けるため、
記録接続装置の前に立っていた。
装置の中心にある制御椅子が、彼を静かに待っている。
「リフレイン・アーク起動確認、記録データを読み込みます」
リアナの声が、通信越しに静かに届いた。
彼女は記録管制官として、モニター越しにユウを見守っている。
その声には、どこか優しさと緊張が混ざっていた。
「今回はね、訓練用の記録データよ。
過去の映像資料にリンクするだけ。誰かの記憶じゃないから、安心して」
ユウはうなずくが、その胸の奥には小さな波が立っていた。
“ただの資料”と聞いても、なぜだろう。
この先に、自分が見たくない何かが待っている気がしてならない。
リアナはゆっくりと操作台の前に座り、通信を通じて彼に声を送る。
「ユウ。異常があったら、すぐに知らせて。
あなたの感応力は、まだ計測もされていない“未知”なのだから」
その言葉に、彼は少しだけ目を閉じ、深く息を吐いた。
そして、静かに椅子へ身を預ける。
淡い光が視界を包む。
ユウの意識は、記録の奥へと沈んでいった。
⸻
リンク先の記録空間が、ゆっくりと視界に広がっていく。
灰色に沈んだ部屋。
家具は散乱し、書類が床に散らばり、窓は外の光を遮断していた。
ここは「感情干渉テスト用資料 No.047」──
過去に記録された“記憶に似た情景”のアーカイブデータ。
本来、何も起こるはずのない空間。
ただ映像のように眺めて、反応を分析するための場所。
だがユウは、その空間に足を踏み入れた瞬間、息を呑んだ。
「……なにかが……いる……?」
見えない何かの気配が、確かにその部屋に“残っていた”。
室温は存在しないはずなのに、冷気が首筋を撫でるように漂ってくる。
(これは記録映像……のはずなのに……)
彼の中で何かが反応した。
胸の奥で淡い光のような感覚が脈動する。
そのとき、部屋の隅にある壊れた棚の下に、白い“何か”が見えた。
──花。一輪の、白く細い花が、ひっそりと咲いていた。
資料映像の中に、そんなものは本来存在しない。
どこかの誰かの“感情”が、そこに滲んでいる。
「ユウ、感応値が上昇してる……!何が見えてるの?」
リアナの声が通信越しに響いたが、ユウにはもう聞こえていなかった。
彼は、花に引き寄せられるように近づいていく。
そして、そっとその花に触れた。
その瞬間──
空間全体にひび割れのようなノイズが走り、室内の灰色が一転、光に染まった。
機械越しに観測していたリアナは、データ波形が急激に安定するのを見て、思わず立ち上がった。
「……波形安定!? これ……癒し反応……?」
だがそれは、制度上“誰にも行えるはずのない処置”だった。
記録映像は、ただの資料。
けれど、その奥に潜んでいた“誰かの未処理感情”が、ユウに反応した。
⸻
足を進めるたびに、記録の空間に違和感が積もっていった。
最初はただの記録だと思っていた。過去の出来事が無機質に流れるだけの、映像に近い世界。
だが今、ユウの目に映る部屋は──まるで、誰かが“今”もそこにいるような気配を持っていた。
壁に描かれた落書き、椅子の背もたれに掛けられたコート、床に転がったままのオルゴール。
記録の説明書きには、そんなものは記載されていなかった。
これは演出じゃない。これは……
“記録そのものが、誰かを待っている”。
そのときだった。オルゴールが、カタリ……と、ゆっくり開いた。
音は鳴らなかった。だが、誰かの声が──小さく、震えるように響いた。
『……たすけて』
幻聴かもしれない。けれど、確かに聞こえた。
ユウの中で、何かがはじけた。
感情が、記録に共鳴していく。
自分でも抑えられない波が、身体の内側から溢れ出し、その場の空間全体に広がっていく。
「ユウ! リンク値が臨界を超えてる! 無理に続けたら──!」
リアナの声が通信越しに響いた。
でもユウは、その声を背にしながら、ただひとつの場所へ手を伸ばしていた。
棚の奥に咲く、白い花。
手が触れた瞬間、記録の空間が音もなくほどけていく。
まるで長く閉じ込められていた何かが、ようやく光に還るように。
……ありがとう。
今度は、はっきりと、そう聞こえた。
それは記録の中に残された、名もなき感情の声。
記録が終わる直前、ほんの一瞬だけ、花の周囲にいた空間全体が、淡く発光した。
誰にも届かないはずの記録映像に、たしかに“癒し”の波紋が広がっていた。
⸻
リンク解除後、ユウは静かに装置から目を覚ました。
額にはうっすらと汗が滲み、手のひらには、まだ“白い花”の温度が残っている気がした。
癒した、のか?
だがそれが、記録上“存在しない”ということに、彼はまだ気づいていなかった。
⸻
リアナは、ユウの反応を見届けてから急ぎ記録を確認した。
「ユウ……あなた……あれは偶発的な感応じゃない。
データ波形が安定して、記録の“感情層”が反応してる……」
「癒したってこと、なんでしょうか……?」
リアナは黙って頷いた。
「でも……それはありえないことなの。
あの記録は、正式な依頼者じゃない。
ただの“教育用アーカイブ”だったのに……」
ふたりの間に、説明できない沈黙が流れた。
⸻
翌朝。ユウは誰よりも早く目を覚まし、アカデミー内の中庭に出ていた。
朝露に濡れた石畳を歩く音が、妙に静かに響いてくる。
昨夜の“リンク”が、どこか夢だったようにさえ思えた。
僕は、本当に癒したんだろうか。
感応したのは確かだった。
記録空間が反応したのも、波形が安定したのも、リアナが確認してくれた。
でも──“誰も救っていない”という気持ちが胸に残っていた。
そのとき目に入ったのは──中庭の片隅に、咲いていた白い小花。
風に揺れながらも、凛と咲いているその姿に、ユウは思わず立ち止まった。
あの記憶の中にも、あの花があった。偶然だったのか。
それとも──何か、意味があるのか。
そっと手を伸ばしかけ、そして思いとどまる。
「まだ、触れるべきじゃない気がする……」
自分が“癒す”ことを選ぶなら、それは偶然や感応ではなく、意志で選んだものにしたい。
そのとき、自分の力が、誰かのために“証”になると信じられるように。
始業を告げるチャイムが響いた。
ユウは一歩、歩き出す。
たとえ今は“名前のない存在”だったとしても──
彼の中には確かに、灯が灯りはじめていた。
この物語は、誰かの声に耳を澄ますところから始まります。
過去に記録されたもの。
誰にも知られることのなかった痛みや祈り。
それらが「記憶」という形で残っている世界で、
ユウは少しずつ“触れてしまう”ようになります。
それは彼の強さであり、危うさでもあります。
私自身、誰かの言葉や想いにふと心が動くことがあります。
それは、知らないはずの記憶に、どこか懐かしさを感じる瞬間。
きっと、ユウもそんな風に、この世界を歩きはじめたのだと思います。
次回、彼が見つけるのは──
悲しみの中に咲いた、小さな希望の花。
またその記憶のなかで、お会いしましょう。
アカウント:X|@Chikage_Kazu
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