第6話:囁く記憶の声
──ときどき、誰のものかもわからない“声”が、心の奥から響いてくることがある。
それは夢かもしれないし、ただの幻聴かもしれない。
けれど、人は無意識の底で、
誰かの記憶と静かに響き合うことがあるのだと思う。
名前も、姿も、何も知らないのに。
それでも、心だけが懐かしがってしまう──
この回は、そんな**“記憶のさざなみ”**が、ユウの中に静かに広がる瞬間。
言葉にならない記憶は、
もしかしたら最も深い場所で、ずっと私たちを呼び続けているのかもしれない。
その声は、はじめ風のようだった。
耳元をかすめては、すぐに消える。
言葉かどうかもわからない。
けれど確かに、“自分を呼んでいた”。
「ユウ? ……大丈夫?」
リアナの声に、ユウははっと顔を上げた。
「ごめん……いま、何かが……」
視線の先には、静かに再生される記憶映像。
過去のリンク記録から抽出された、ある子どもの記憶だった。
薄明かりの部屋。
壁にうつる影絵。
手にした玩具の短剣。
それらはすべて、記録データの中のはずなのに──
ユウはそこに、懐かしさを覚えていた。
***
「反応が強すぎるわね……。いったん停止する?」
リアナが慎重にモニターを操作しながら言った。
「……ううん、大丈夫。
でも、なんだろう……この感じ。
まるで、“思い出そうとする前に、誰かが呼んでくる”みたいな……」
ユウの中で、胸の奥がじんわりと疼いていた。
映像の中の子どもは、何度も影絵を作っていた。
自分の手で、剣の形をつくりながら──
その隣には、声をかけてくれる“誰か”がいた。
だけど、その顔は映っていない。
名前も、性別も、姿もない。
ただ声だけが、優しく響いていた。
「ユウ──そこにいるの?」
その瞬間、映像がざらついた。
現実の光景と、記憶の空間が、
まるで混ざり合いそうになる。
「ユウ!」
リアナがユウの腕を掴んだ。
彼の意識が、データの中に引きずり込まれそうになっていた。
「落ち着いて、まだあなたは“リンク”していない。
これはただの記録映像。深く入っちゃだめ──!」
ユウは、はっと息を呑み、身を引いた。
だが、耳の奥にはまだ──
あの、名も知らぬ声が残っていた。
***
訓練室を出たあと、ユウは壁にもたれ、しばらく目を閉じていた。
「……あれは、なんだったんだろう」
リアナは隣で、少し考え込んでいた。
「“共鳴”かもしれない。
記憶空間と、あなたの中にある記憶が、無意識に響き合ったのよ。
ときどき起こるわ。とくに、“自分の記憶を喪失している者”には」
「……自分の?」
ユウの表情が少し変わる。
「私たちは、記録を基準に生きてる。
でも、記憶ってそれだけじゃない。
“言葉にならない記憶”って、本当は一番深いところにあるの」
リアナが優しく微笑む。
「ユウ、もしかしたら、あなたは……
誰かのことを、ずっと呼び返していたのかもしれない」
ユウは黙っていた。
けれど、胸の奥にあった“名前のない共鳴”は、
たしかにまだ消えずにいた。
まるで、それが──“はじまり”のような気がしていた。
「名も知らぬ誰かの声が、僕を呼んでいた。」
忘れられた過去ではない。
“まだ出会っていない誰か”なのかもしれない。
あるいは、“忘れないために残された声”。
ユウの旅は、静かにその深みへと入りはじめていた。
──記憶には、声だけが残ることがある。
誰だったかは思い出せない。
けれど、その声がどこかで、たしかに自分を呼んでいたことだけは、忘れられない。
ユウにとって、今回の“共鳴”は、まだ確かな記憶ではない。
でもそれは、失われた過去への鍵であり、
まだ出会っていない“誰か”との繋がりかもしれない。
「名も知らぬ誰かの声が、僕を呼んでいた。」
この一言は、
“誰かに忘れられたくなかった記憶”が、
“誰かを忘れたくなかった心”に触れた、ほんの一瞬の灯。
──千景 和です。
名前のない想い、言葉にできない記憶。
そんな“心の奥の景色”を、物語でそっと描いています。
あなたの記憶の中にも、まだ呼びかけを待っている声があるなら──
それはきっと、まだ終わっていない“はじまり”です。
▶ X(旧Twitter):@Chikage_Kazu