第2話:案内人との邂逅
──誰かと出会うことは、
“自分”という存在を映す鏡に触れること。
名前も記憶もなく目覚めた少年が、
最初に出会ったのは、
言葉の奥に静かな温度を宿す女性だった。
彼女は、問いを与えなかった。
代わりに、そっと“場所”を差し出した。
この物語は、そんな“出会い”の一歩目。
喪失から始まった物語に、初めて灯る“誰かの気配”。
“何も知らない”ということが、
こんなにも心細いものだとは思わなかった。
目覚めてから、まだ何時間が経ったのかも分からない。
けれど、身体を包むこの静けさには、どこか冷たさが混じっていた。
真っ白な廊下。
足音が吸い込まれるような静寂。
そして、隣を歩く女性──リアナ。
彼女は名乗りも、立場も明かしてくれたのに、
なぜかその存在には、どこか“謎”があった。
「……ここが、ネモリアの中枢区域。記憶修復士たちの準備棟よ」
リアナは穏やかにそう言って、先を歩く。
その声には、説明というよりも“導く意志”が滲んでいた。
ユウは言葉少なに、ただその後ろをついていく。
通路の先、壁に埋め込まれた光のインターフェースが淡く点滅している。
ふと気づけば、視線を向けられていた。
「怖くない?」と、リアナは小さく笑った。
「……正直、わからない。怖いのか、落ち着かないだけなのか」
「それでも、ちゃんと“今の感覚”を言葉にできる。
……それって、けっこう大事なことよ」
そんなリアナの言葉が、ユウの胸に小さな火を灯した。
忘れたはずの感情が、ふと反応したような気がした。
***
案内されたのは、ガラス張りの小部屋。
白を基調とした空間の中央には、端末が置かれている。
「これは、登録データの照合機。あなたの名前、個人記録、所属歴……
“本来なら”ここにすべて残っているはずなの」
ユウは、手を端末にかざすよう促された。
光が、掌を走る。
──だが、数秒後。
「照合不能」
淡白な音声が、部屋に響いた。
「……もう一度」
今度は慎重に。けれど同じ結果だった。
リアナがそっと端末を閉じる。
「やっぱり……」
その声は、驚いていないようだった。
まるで“想定済み”というように。
「あなたは、どこにも記録されていない。
MNEMORIAのシステム上、存在していないことになってる」
「……俺は、“いなかったこと”になってるってこと?」
「そう。けれど、“いる”わ。私の目の前に、ちゃんといる」
ユウはその瞬間、足元がふわりと揺らいだ気がした。
存在の不確かさ。
名前があっても、それを“照明できる場所”がなければ、
人は簡単に、この世界から消えてしまうんだと、そう思った。
けれど。
リアナは、そんなユウに背を向けず、
ゆっくりとポケットから何かを取り出した。
それは、小さな羽根飾りがついた──古びた鍵だった。
「……これは?」
「“記録されない部屋”の鍵。あなたのために、用意されていたの」
「……誰が?」
「それも、“記録にない”ことになっている。
けれど……私は、あなたの“案内人”に任命された」
ユウは、鍵を受け取る指先に、
何とも言えない感覚を覚えていた。
重くもない。
けれど、その鍵には確かに“存在の証”が込められていた。
「ありがとう」
短く、それだけを口にした。
リアナは、少しだけ驚いたように目を見開いたが、
すぐに、ふっと微笑んだ。
「お礼なんて、まだ早いわ。
これからあなたには、いろんな記憶を歩いてもらう。
他人のも、自分のも──きっと、苦しいこともある」
「……それでも」
ユウは、鍵を胸元にしまいながら呟いた。
「ここにいてもいいって、思えたから。
この人は、僕を……“僕”として扱ってくれた」
その言葉に、リアナは何も返さなかった。
ただ、その背を静かに預けるようにして歩き出した。
その歩幅が、ほんの少しだけユウに近づいていたことに、
彼はまだ気づいていなかった。
──誰かがそっと、居場所をくれることがある。
それは、大きな言葉でも、力強い行動でもない。
静かな視線と、ひとつの鍵。
ただそれだけで、心の奥のなにかが、すこしだけ温かくなる。
ユウにとって、リアナはただの案内人じゃなかった。
彼女は、“記録にいない存在”である彼を、
“ここにいていい”と感じさせてくれた、最初の人だった。
この小さな出会いが、
やがて彼を“記憶の旅人”として歩かせていくことになる。
──はじめまして、**千景 和**です。
“存在”って何だろう?と考える物語を、静かに綴っています。
もしこの話が、あなたの心のどこかに触れたなら、
それはもう、立派な“出会い”だと思っています。
Xでも気軽に話しかけてくださいね。
▶ @Chikage_Kazu