第1話:夢の始まり
──はじまりは、白い夢だった。
人は、忘れることで前へ進むことができる。
けれど、忘れてはいけないものまで消えてしまったら……
それは、もう“生きている”とは呼べないのかもしれない。
この物語は、記憶を失った少年が“名前なき心”に触れ、
やがて、自分自身を取り戻していく旅路。
誰かの過去を癒すことで、
自分の未来を選び直していく記憶修復士。
その少年の、最初の一歩は“夢”の中から始まった──
記憶は、心の奥に灯る光だ。
名前。
声。
抱きしめられた感触。
もう会えないはずの、誰かのぬくもり。
目に見えなくても、たしかにそこに在る。
けれどこの世界には、それを失くしてしまう人がいる。
痛みや後悔、悲しみの中で、
記憶はときに、自分すらも見失わせる。
けれど──忘却に沈んだ記憶の底に、
手を伸ばす者たちがいる。
名を、《リンクセラピスト》。
記憶修復士と呼ばれるその者たちは、
人々の“記憶世界”に降り立ち、
失われた心のかけらを救い出す、旅の治療者。
彼らが所属するのは、《MNEMORIA》と呼ばれる特別機関。
忘却に蝕まれた世界に、再生の火をともすために──
彼らは今日も、人の記憶へとリンクしていく。
これは、そんな一人の記憶修復士の、始まりの物語。
そして……まだ名前を持たぬ“記憶の亡霊”が、再び“名”を取り戻すまでの、再生の旅路。
その少年の名は、ユウ。
⸻
白。
どこまでも、果てしなく白かった。
風もない。音もない。
けれど、確かに“何か”が揺れていた。
──それは、記憶。
名前を失い、忘れられてなお残された、誰かの感情の断片。
足元には、光の粒が舞っていた。
指先を差し出すと、そのうちのひとつがふわりと触れ、ぬくもりを伝える。
「……あなたは、誰?」
声がした。
けれどその姿は、どこにもなかった。
それなのに、まるで何度も聞いたことがあるような、懐かしさがあった。
「記憶は、消えても、心は嘘をつかない。」
「忘れてしまっても、残るものがあるの。」
白い野原に立つユウは、自分が何者なのかを知らなかった。
名前も、生まれも、過去の記憶も。
けれど、胸の奥が何かを強く訴えていた。
──何か、大切なものを失くしてしまった、と。
その“喪失感”だけが、確かだった。
そして、その白い世界は、唐突に崩れ始めた。
視界が歪み、音が反響し、
光の粒が風に飛ばされるように弾ける。
ユウは崩れる夢の中で、たしかに聞いた。
誰かが、彼の記憶を──名を──呼んでいた。
***
「……!」
跳ねるように目覚めたユウは、荒い息をつきながら、周囲を見渡した。
無機質な空間。
白い壁。青白く光るモニター。
どこか未来的な医療室のような場所だった。
「目が覚めたのね、ユウ。」
振り返った先にいたのは、一人の女性。
静かで、知的な空気を纏いながらも、どこか優しさのにじむ瞳。
彼女は、リアナと名乗った。
「……ユウ……それが、俺の名前……?」
「ええ。あなたはユウ。
MNEMORIAで保護され、ここにいるの。」
彼女の言葉は穏やかだった。けれど、その意味するものは重い。
「事故によって、あなたの記憶は大部分が失われたの。
けれど詳細は……まるで“記録自体が最初からなかった”かのように、空白だった。」
空白。
それはユウが見た、白野原のようだった。
「……夢の中で、誰かが俺の名前を……」
つぶやいた言葉に、リアナが静かに頷く。
「それは“記憶の残響”。きっと、あなたの心がまだ忘れたくないと叫んでる。
本当のあなたを、呼び続けてるのよ。」
リアナがそっとユウの手を握る。
「信じられなくてもいい。でも……私は、あなたの“これから”を記録する役目なの。
一緒に歩きましょう。あなたの心が選ぶ“記憶”へ。」
ユウは、わからないままに、小さく頷いた。
目覚めた理由も、過去も、すべては不明。
それでもこの世界で“これから”を選ぶなら、
その小さな一歩が、なにかを変える気がした。
***
数日後。
ユウは、一つの光の粒を拾った。
それは、夢の中と同じように、手のひらで脈を打つ。
──夢じゃなかった。
あれは、記憶の中で、誰かが残してくれた“灯”だったのかもしれない。
ぽつりと、言葉が漏れる。
「……記憶が、泣いていた。」
風のない部屋の中で、その声は静かに響いた。
「誰かに……忘れられたくなかったんだ。」
それは、ユウ自身の心かもしれない。
それとも、彼の中で目を覚まそうとしている“記憶”の声かもしれない。
けれどそのひとことが、確かにユウの中で灯火となった。
──その小さな灯は、まだ名もない“記憶修復士”の、始まりの光。
──はじめまして、物語の声を紡ぐ者です。
第1話『夢の始まり』、読んでくださってありがとうございます。
この物語は、失われた記憶と向き合いながら、
“心の奥にある光”を見つけていく物語です。
誰かを癒すことが、自分自身を癒す道になる。
ユウの旅は、そんな小さな光を辿る物語として始まりました。
そして、ここまで読んでくださったあなたと、
どこかでこの世界が繋がったことに、心から感謝しています。
あらためまして──
**物語作家・千景 和**と申します。
心の奥に残るものを、そっと言葉にしていく。
そんな物語たちを、これからも丁寧に紡いでいきたいと思っています。
ご感想などあれば、ぜひX(旧Twitter)でも話しかけてください。
▶ X:@Chikage_Kazu
ではまた、次の記憶でお会いしましょう。
──あなたの記憶に、静かな光が灯りますように。