66.勝者に都合のいい歴史
「勇者であるそなたに敬意を表し、望みを一つ叶えよう」
「我らが住む……土地を……豊かな……」
殺す気はなかったのに、力尽きて刺さるなんて運の悪い。いや、ある意味これこそが望みだったのかもしれない。命を投げ出し、嘆願のための譲歩を引き出した。魔王ルシファーの思惑と重なり、今の事態になったのだろう。少し考えて、手早くメモを取った。
事実を記し、その下に英雄譚を。人族の勇者がそれなりに戦い、故に領地を与えられるまでの物語だ。本当の記憶は、別に記して残せばいい。まあ、腹いせに多少「カッコ悪く」書いてやるとしましょうか。
「アスタロト……豊かな土地ってどこか余ってるか?」
「ありますが……魔の森の中では暮らせないでしょう」
やれやれと首を横に振り、事実を突きつける。厳しいようだが、我々が人族を受け入れないのではない。魔の森で暮らすだけの能力や魔力が、人族に足りていないだけの話だった。今回の勇者程度の力があれば、森の中でも暮らせるだろう。
大半の人族は魔力もほぼ感じられず、剣術などの技術も身に付けていない。魔の森に入れば、すぐに魔獣や森の餌になるだけだった。森の外には豊かな実りを期待できない。貧しさを生み出すループに、ルシファー様は思わぬ案を出した。
「なあ、魔の森の外に魔力のない森を作ったらどうだ? そこなら木を伐り倒しても、森の動物を狩っても、我ら魔族には関係ないだろ」
「……そこまでしてやる義理はないでしょう」
隣のベールも渋い表情だ。ベルゼビュートは、集まった魔獣達と何やら話し合っている。
「義理ならできたぞ」
先ほどの女勇者との約束だろう。魔王へ願い出た彼女は、すでに息絶えた。故に、他の望みに切り替えることもできない。まさか、あの女勇者がそこまで狙って? いえ、多分違いますね。買い被り過ぎるのは危険です。
「森はオレが作るから、緩衝地帯にもなるし……いいだろ?」
笑顔で結果を突きつける。断らないと確信して、己の我が儘を押し付ける主君に、先に折れたのはベールだった。もちろん条件付きだ。
「人族が勝手に魔の森に入らないこと。それが最低条件です。守れるなら、緩衝地帯の森の使用を許します」
「やった! じゃあ、森はオレが作るから……あとは頼んだ!」
「はい?」
いま、何と? 頼んだとはどういう意味ですか。問う響きを聞かなかったことにして、ルシファー様は転移で消えた。残されたのは見物人の魔族と、生きる権利を得た人族……そして死体となった女勇者だけ。
その後の事後処理は、ベールと手分けして迅速に進めた。いつまでも人族に関わりたくない。くびり殺したくなりますからね。都の権力者は逃げたようなので、新しい代表者を選んだ。
ひとまず、女勇者の夫と姉がいる。この二人に、今回の出来事を伝え、決められた掟を守るよう伝えた。数十年で世代交代する忙しない種族なので、忘れないよう石板に刻んで残す。
緩衝地帯の森を越えて侵略した場合、人族を滅ぼす――この部分は繰り返し、何度も彼らに教えた。ここまですれば、次に人族がやらかしたときは、容赦なく叩き潰せる。守らせる目的ではなく、説明したと言い訳するための説明だった。
「森を生やしたぞ」
まるで終わるのを見ていたように、タイミングよく現れたルシファー様は、まだ赤く汚れた服のままだ。浄化は使えないので、別の魔法で汚れを落とした。
「お、悪い。助かる」
そう思うなら自分でやりなさい。口に出かけた言葉を呑み込んだ。人族や他の魔族の前では控えなければ、魔王の権威が失墜します。
羽を広げて空に舞えば、魔の森よりやや低い林が見えた。密集せず疎な木々は、下まで日差しを落とす。小さな植物や動物が、居心地よく過ごせる環境を意識したらしい。その気遣いを、我々に向けてほしいですね。
ぼやいた私に、ベールが「まったくです」と同意した。




