64.勇者の始まり
「魔族は、弱い者いじめをする者の集まりか?」
この煽りを放置できる人ならよかった。だがルシファー様は応じてしまう。
「よかろうよ、ならばオレが相手をする」
止める間もなく、ひらりと舞い降りた。混乱して逃げ回る人族の中に、平然と翼を広げて立つ。立派だと誇るより、額を押さえて呻いた。ベールに叱られるのは、私ですよ?
「わかりました、魔王陛下。では……人族の勇者を一人、代表として差し出してください。戦いは公平に行われます」
介入して間に立つ。コウモリの羽を使い、威嚇しながら人族を遠ざけた。先ほどの女性は驚いた顔をしたが、戦いは一対一であると告げれば頷く。突然襲いかかるばかりの人族の中で、彼女は稀有な存在だろう。
翌朝の立会いを確認し、一度引いた。戻ってその話をした途端、ルシファー様ではなく私が怒られる。理不尽だと思うが、ベールの気持ちも理解できた。私が彼の立場なら、やはり同じように怒っただろう。
「明日は私も同席します」
「あら、あたくしも行くわ」
大公が揃うと聞き、ルシファー様は眉根を寄せた。ここまで顔が整っていると、その程度の顰め面は美しい範疇に入る。
「明日は威厳を湛えて、人族と相対していただきます。言葉遣いも直しましょうか」
ベールの厳しい追求とダメ出しに、ルシファー様の眉間の皺が深くなる。だが助ける気にもなれず、放置した。ベルゼビュートは最初から、ベールに対して及び腰だ。何度も説教されるうちに、苦手意識が生まれたのだろう。
何にしろ、明日……人族消滅の日になればいいが。あの様子では無理だろう。できるだけ人族の被害を拡大させて、こちらに手出しできないよう持っていくのが限界か。あれこれ考えながら、ベルゼビュートを手招きした。
「な、なによ」
「人族を減らしたくありませんか?」
「減らしたい!」
即答で頷く彼女に、ヒソヒソと相談を持ちかけた。ルシファー様が戦う間、裏側から人族を狩る手筈を整える。難色を示すかと思ったが、ベルゼビュートは乗ってきた。
「あたくしが動くのは、ルシファー様のためよ。あんたのためじゃないんだからね」
「ええ、もちろんです」
何かあったら、取り成すくらいはしますよ。
「我ら魔族に楯突く愚か者らよ。我と戦う勇者は決まったか?」
予定通りの時間に、ルシファー様は堂々と宣言した。もし誰も名乗り出なければ、人族の都を滅ぼすことが叶う。私やベールはそちらを希望するが……残念なことに、人族は代表を選んでいた。
「ええ、私が戦うわ。最強の戦士ローゼリッタよ」
くすんでいるが、明るい髪色をしている。魔力量は人族の中では格段に多かった。それでも魔法を操る様子はない。剣を携えて前に立った。
まだ若い女性だ。魔族では、女性は強さの象徴でもあった。子を産み育てる生命力の強さは、そのまま彼女らへの尊敬となる。戦いにおいても、男性が女性を守るのは種族の繁栄を意味した。
男達は盾となり血を流すもの、その考えが浸透する魔族において、代表者が女性なのは驚きと不満を生む。ベルゼビュートのように強い、戦う女性も存在した。それでも……真っ先に名乗り出たのが、ローゼリッタと名乗る若い女である事実は、私の常識から外れている。
「魔王ルシファーだ。先に攻撃するがいい。先手は譲ってやる」
ベールに叩き込まれた言葉で応じるルシファー様は、ゆったりと前に出た。結界を張る私の後ろで、ベールは静かに腕を組んだ。ベルゼビュートはやや浮いた状態で空中に腰掛けている。
「参る!」
ローゼリッタは剣を抜き、宣言してからルシファー様に襲いかかった。剣を持つ右手をだらりと下げた魔王の間合いへ、躊躇なく踏み込む。その蛮勇は大したものです。どうせ特権階級は逃げ出したのでしょうし、残された民は逃げ場がない。
背水の陣で剣を振りかぶったローゼリッタは、両手で剣を軽々と扱った。




