58.言葉を使う獣ですか
追いついた時、ルシファー様は人族と対峙していた。戦う気はないのだろう。剣も手にしていない。圧倒的な魔力を纏い、人族が集まる広場で声を張り上げた。複数の言語で同じ言葉を伝える。
「誰か、オレと話のできる奴はいないか」
ざわざわと話す獣の群れから、一匹が前に出る。剣を持つ体の大きなオスだった。彼はルシファー様に叫ぶ。そのことに私は驚く。人族はいつ、言葉を使う獣になったのか。
「バケモノどもめ!」
身長ほどもある大きな剣を振りかぶり、ルシファー様に叩きつける。が、常時展開の結界に弾かれた。想定内だが、気分は良くない。
常識や礼儀を獣に問う気はないが、言葉が通じるなら最低限の躾はするべきか。斜め後ろに控えるのをやめて、ルシファー様の前に出る。
「アスタロト?」
「露払いは私の役目ですよ。奪わないでくださいね」
笑顔で釘を刺し、懲りずに剣を振るう男を跳ね飛ばした。少し先で血を吐いているが、知ったことではない。最強の魔王に挑戦したいなら、少なくとも側近である我々を倒すくらいの強者だ。魔族ならすべての挑戦を受けるルシファー様だが、この獣はまだ魔族ですらない。
「……派手にやるなよ?」
「おや、無理を仰いますね」
続いて飛んできた矢を跳ね返し、本人に返す。魔法らしき小さな炎が飛んでくるも、私にとっては蝋燭の火より軽かった。ひらりと手を振って消し去る。攻撃が通じないと判断するや、大半が逃げ出した。
「さて、この際ですから駆除しますか?」
「……言葉が通じるようになったなら、魔族じゃないか?」
「その認定には賛同しかねます」
反対するとは言わない。だが賛同はしない。ルシファー様はうーんと唸って、首を傾げた。
「確かに弱すぎて戦う気にはなれないが、殲滅するのも違うと思うぞ」
私は「駆除」とは言いましたが「殲滅」までは口にしませんよ。駆除は打ち漏らしもあるでしょう。殲滅は確実に消滅を意味しますね。
「殲滅で構わないのでは? あの子狼の苦しみを思えば、この一角は灰にされても当然です」
「……この一角だけだぞ」
この点はルシファー様も反論しなかった。いや、反論などできない。被害が出ている以上、最低限のケジメは必要だった。ルシファー様が魔王で、統治者であるなら人族に代償を払わせるのが筋だ。
「ええ、一角だけですね」
にやりと笑って空中に舞う。コウモリの羽を広げ、魔力を練り上げた。あの人は一撃なら許すが、次の攻撃は邪魔される。ならば、一撃でこの集落の大半を焼き尽くせばいい。
一角と曖昧な言い方を選んだご自分を反省なさるべきですよ、ルシファー様。
「滅べ」
魔力をそのまま叩きつける。火でも水でもなく、黒い闇が切り裂く形で集落を襲った。数にして数千はいるだろうか。その上に公平に降り注ぎ、建物を切り裂き、中にいる獣を狩り出した。
どろりと闇が絡みつく集落の八割近くを呑み込み、じわじわと侵食する。生き残れた者が生涯終わらぬ悪夢に怯えるよう、夜の闇に恐怖して眠れぬよう。精神も壊すのだ。
「すこぉし、やり過ぎだと思うぞ」
ルシファー様の結界が、生き残った区画を包む。舌打ちして顔を歪めた。一瞬で消滅させても良かったが、人族と名付けた獣に恐怖を植え付けたい。その思いで時間をかけたのが、仇となったか。
「人族にも子供がいるんだ」
「すぐに湧いて出ます。増える害虫の卵を見逃せば、また増殖しますよ」
繁殖ではない。あくまでも増殖だった。勝手に増えて魔の森を荒らすだろう。それもわずか数十年の間に、だ。
「報復なら、これで十分なはずだ」
ここが潮時でしょう。ルシファー様に言わず、偶然のふりをして吹き飛ばしてしまおうか。そんな考えも過るが、私は一度素直に引いた。ベール達と相談して、害虫駆除の手配をしましょう。これ以上やれば、本当に怒らせそうです。




