57.なぜ抱え込むのか
灰色魔狼は、幻獣や神獣に近い。だが、この世界では魔獣に分類されてきた。魔獣達の頂点に立つ、最強種族だ。たとえ子供だろうと、人族に遅れを取るとは思えなかった。
臭い付けによる縄張り主張を行う灰色魔狼族は、領地内であれば子供を自由に行動させる。自立心を高めて狩りの能力を磨くためだ。そのため子供達は広い森を走り回って成長した。
今回、この子狼は領地から出ていない。領地の端ではあるが、許された範囲内だった。
「罠を使われたようです」
長の話に頷き、ルシファー様は左後ろ脚を確認した。千切れそうな程、深い傷が刻まれている。人族は罠を仕掛け、フェンリルを捕まえようとした。食物連鎖があるため、弱者が強者に倒されるのは仕方ない。
その意味では自然淘汰の一環だろう。だが、子供はダメだ。ルシファー様はきゅっと唇を噛んだ。
「この子の声が聞こえなかったのです」
母狼は何かを引きずってきた。それは動物の皮で作られた袋のようだ。私が手を伸ばして受け取り、確認する。かなり大きく、中は血塗れだった。濃厚な血の臭いに眉根を寄せる。
「おそらく……罠にかかったところを袋に入れられたのかと」
生捕りが目的だったのか、それとも殺すために詰めたのか。
「怖かっただろう、すまない」
硬い子狼の体を撫で、ルシファー様は苦しそうに声を絞り出した。皆が口を噤む中、おおよその状況は掴めた。
遊びに出た子狼は、罠を踏んでしまった。仕掛けた人族が忍び寄り、袋を被せて縛る。暴れる子狼を大人しくさせるために……いえ、違いますね。剣を使って皮を切り裂いている。殺す目的で袋の上から叩き、突き刺し、切り付けた。
残忍な行いが瞼の裏に浮かぶようで、ゆっくり首を横に振る。魔の森に住む能力もないくせに、入り込んでは問題を起こす。ついには魔族の子を殺した。もう庇う余地はないはず。
「ルシファー様」
「……わかっている! だが」
求められる決断は、人族の壊滅だ。しかし、まだ迷っている。ルシファー様の優しさが、悪い方向へ働いた。成長していく種族を途中で刈り取ることへの、罪悪感に似た思いは察することができた。ただ、理解はできない。
「放置すれば、二人、三人と犠牲が増えます」
「っ、させない」
もし成獣のフェンリルなら、遠吠えに魔力をのせただろう。エルフを含め、いくつかの種族が気づいて反応したはず。だが未成熟な子供達に、それを望むのは酷だった。ましてや魔獣は魔力を持つが使用できない。
魔法の使えない種族にとって、魔力は体内を巡る血のようなものだ。自由に変化させたり利用したりするのは無理だった。
「彼らの話を……聞いてくる」
「必要だったと言われたら、許すのですか? そもそも意思疎通の方法がないのに? 魔物……いえ、動物相手に何を期待しているのです」
断罪すべきだ。突きつけて答えを待つ。ルシファー様は反論せず、背の翼を広げた。
「埋葬はオレも立ち会う。しばし待て」
母狼に子を返し、立ち上がった。乾いた血は粉のように散り、服にほとんど残らない。ぎゅっと拳を握ったルシファー様は、魔力で空中へ飛んだ。木々の上で転移する。
「なぜ、あんなに抱え込むのでしょうね」
放り出してしまえばいい。見捨てれば楽になれる。あの人もわかっているでしょうに。ぼやいた私に、フェンリルの長が平伏して答えた。
「もどかしい気持ちもありますが、我々はあのお方が魔王だから……従っております。それは貴方様も同じなのではありませんか」
見抜いた発言に、苦笑が漏れた。ふわりと柔らかい首元の毛を撫で、私は子狼に一礼した。戦い抜いたフェンリルの子に敬意を表し、ルシファー様の後を追う。魔の森との境、人族の集落は肥大していた。




