56.失われた命の重さを知る
「陛下、こちらもお願いします」
「置いといてくれ」
珍しくやる気が出たようで、ルシファー様は真面目に仕事に取り組んでいた。人族もつい先日騒動を起こしたばかりなので、来年までは動かないだろう。年に一度で済むなら、管理もさほど手間でもないか。のんびりした感想を抱いた私を殴るように、魔狼による伝令が飛び込んだ。
中継した魔犬族の若者が、敬礼して淡々と事実を突きつける。
「人族による、灰色魔狼の子の殺害が発覚しました。合わせて、角を折られたユニコーンが発見され……」
「っ! なんだと!?」
机を叩いて立ち上がったのはルシファー様だ。魔族は子供が少ない。まず生まれる個体が少なく、また育つ間に失われる命もあった。そのため、魔族には共通認識がある。どれだけ敵対して憎む種族の子であっても、大人になるまで手出しはしない。
明文化されていないルールだが、破る魔族はいなかった。報告途中でも声を荒らげるほど、感情を露わにする。珍しい姿に、己の怒りも忘れて目を見開いた。
「犯人が人族なのは間違いないか?」
「はい。複数の目撃証言と、ユニコーン自身の証言があります」
角を折られたユニコーンを放置すれば、やがて衰弱死する。魔力制御に角を利用するため、そこから魔力が抜け出てしまうのだ。
「応急処置はベルゼビュートに任せる! ベールは他の被害がないか調査しろ。アスタロト、オレと一緒に来い」
「「承知いたしました」」
ベールと声が重なる。コボルトの若者は、すぐさま伝令に走った。魔狼がまだ待っているのだろう。魔王が動くと知らせるため、彼は再び大地を蹴って走るのだ。
「何があったの? え……ユニコーン!? すぐに行くわ、場所を教えて」
名前を呼んだ際に魔力を込めたため召喚されたベルゼビュートは、地図を掴む。伝令に来た魔狼が知っていると聞き、窓から飛び出した。ふわりと柔らかそうな羽が広がり、彼女は滑空するように魔犬族に追いつく。その先で待っていた黒い魔狼に話しかけ、一緒に転移で消えた。
貴族の管理を行うベールに魔王軍の全権を預ける。数百年前に作られたばかりの魔王軍だが、普段は森の管理を行っていた。様々な種族の生息地や環境、ここ最近の事件の情報を持つ組織だ。
「ルシファー様、いつでも」
「飛ぶぞ」
袖ではなく指を掴んだルシファー様の魔力に包まれた。瞬きの間に人族との境界線へ転移する。ばさっと翼を広げ、ルシファー様は眉根を寄せた。遠吠えが響き、そこを目印に降り立つ。空中へ置き去りにされ、肩を竦めて後に続いた。
「フェンリルの子が殺されたと聞いた。……すまない」
フェンリルの長である一際大きな狼に、ルシファー様は頭を下げる。魔王としての権威云々の言葉は喉の奥に消えた。これは王としてのケジメなのだ。
「この子です……」
長が横にずれると、後ろに隠されていた傷だらけの子狼が現れた。息絶えた我が子を、舐めて清める母狼の姿は心に刺さる。無言で近づいたルシファー様は、母狼の首筋に顔を埋めた。
「すまん、オレの責任だ」
事故に遭うのは仕方ない。病なら運が悪かった。だが……他種族に殺された状況は、それで収まらない。政を担う魔王の失態だと口にした。母狼はゆっくり首を横に振り、我が子を鼻先で押しやる。最期に抱き締めてやってくれと願った。
傷だらけの体は、血に塗れて灰色の毛が赤く染まっていた。発見されたのが遅かったようで、硬直して血も固まっている。くんと鼻を動かし、亡くなった時間を推定した。血の固まり具合と匂いから判断して、半日ほど前でしょうか。
ルシファー様は硬くなった子狼を抱きしめた。蹲って顔を埋め、生前の柔らかさを探すように撫でる。黒い毛皮の魔狼より一回り小さい灰色の子は、目を見開いていた。
その目にも血がこびりついている。硬くなった瞼を何度も撫で、目を閉じさせた。ルシファー様はその後、膝に子狼の頭を乗せて座り込む。
「状況を、教えてくれ」
語られたのは、複数の証言を継ぎ合わせた話。想像や決めつけを排除した、事実のみだった。




