05.魔王襲撃の緊迫感はありませんね
甘やかされた子犬は、すくすくと大きくなった。気が向いた時だけふらりと現れ、肉を食わせて去っていく。ルシファー様の自分勝手さに、子犬は呆れ気味だった。それでも、もらった肉は食べるのですね。
自分の体ほどもある巨大な肉塊に、果敢に挑む子犬は血塗れだ。べったりと赤く汚れても、気にした様子もなかった。こういった汚れを消すには、浄化の魔法が一番ですが……私は使えませんね。
吸血種に浄化は使えず、使われるとダメージを負う。以前、ルシファー様にやられて判明した欠点だった。
「アスタロト大公閣下、魔王陛下はどちらに?」
「あちらですよ」
虹蛇の親子がのんびりと床を這ってくる。見た目は巨大な蛇だが、治癒魔法を得意とする種族だった。私の胴体より太い体をくねらせ、するすると地上を進む。小さな羽が背中に生えているのも特徴で、光で鱗の色が変化することから虹蛇と呼ばれるようになった。
無害で身を守る術もない虹蛇達は、普段、魔王城の庭に住んでいる。といっても、庭とそれ以外の区別がされていない。魔の森自体が庭と呼べる状況だった。各種族がそれぞれに、好ましい環境を選んで暮らし始めている。
いずれ領地を決めて、大公の地位に合わせて爵位も作らなくては。爵位を与えた貴族は、種族の纏め役をさせればいい。吸血種には、複数の層となった階級が存在した。これを参考にすれば、うまく収まるだろう。
あれこれ考えながら歩く私に、ルシファー様が叫んだ。
「危ない! アスタロト、避けろ」
「……何が……っ」
顔を上げた視線の先、巨大な竜が落下してくる。ルシファー様の魔力にかき消され、気づかなかった。溜め息を一つ、右手を軽く前に突き出す。魔力量はこのくらいでしょうか。落ちる竜を傷つけない程度、だが落下による衝撃を消せるぐらい。
以前に使った魔法の網を参考に、竜の巨体を受け止める。
「何をしているんですか、まったく」
「悪い。追いかけっこをしていたら、やり過ぎた」
ぺろっと舌を見せて笑うルシファー様に、反省の色はない。子供の姿なので、なんとも愛嬌のある所作だが……私には通用しません。千歳を超えるくせに、子供のフリで誤魔化そうなどと……。
手招きすると、顔を引き攣らせた。きょろきょろして、逃げ場を探す。
「ルシファー様、私が微笑んでいるうちに……」
「っ、来たぞ」
微笑みが消えたら、後が怖いですよ。すべて告げる前に、経験済みの魔王は目の前に転移した。上目遣いで様子を窺う彼の後ろに、竜が転がる。鱗の一部が割れたり焼け焦げているのは、この人の仕業でしょう。確信を持って尋ねた。
「何をしでかしたのですか」
「オレが悪いみたいに言うな。ただ追われただけだ」
「追われた、だけ?」
「ちょっと、攻撃もされた」
ああ、なるほど。いつもの「魔王に勝てたら、俺が次の魔王だ」と勘違いした輩ですね。そんなルールは存在しませんし、私達が黙って王位を譲ると思っている時点でおかしい。
もしルシファー様が倒されたら、その相手を倒して王になる。私だけでなく、ベールやベルゼビュートも同じなのに。どうして勝負を挑むのか。唇を引き結んだまま、横に引く。笑みを浮かべているのに、ルシファー様が青ざめた。
「いや、遊んでたけど……何も、するなよ?」
「ええ、ご安心ください。ちょっと注意するだけです」
「それなら大丈夫、かな?」
あっさり騙されるところは、まだまだ子供ですね。いえ、この人だからでしょうか。何にしろ、大公を飛び越えて魔王に挑んだ下等生物は、私が処理しましょう。殺したりはしませんよ、そんなに優しくありませんからね。
数日後、魔王陛下に挑んで無様に負けた姿を、民の娯楽として提供した。新しく開発した複製の魔法も、ぐてんと倒れた姿を写し取る魔法も、かなり役立ちます。普及させましょう。