48.私と俺の覇権争い
押し潰すほど重い魔力は、息苦しさを伴った。確かに、生まれたばかりの頃に似ている。世界中が自分に牙を剥いていると勘違いし、誰彼構わず攻撃した。あの頃の世界は、もっと荒削りだった気がする。
「似ていますね」
ぽつりと呟いた私は、どくんと鼓動が跳ねるのを感じた。体の中で、何かが動いている? 勝手に溢れようとする力を抑え込み、吐き気に口元を手で覆った。ダメだ、このままでは……。
ルシファー様に離れるよう伝えて、いや、私が離れる方が早いか? 転移しようとした私の腕を、ルシファー様が掴んだ。いつになく真剣な顔だ。整った顔が恐ろしく感じる。一歩、後ろへ下がった。
「アスタロト……お前、それは誰だ?」
私の目を覗きながら、確かめるように告げられた。まるで、もう一人いるかのように。
どくん……再び鼓動が跳ねる。痛い、苦しい、渇く。我慢しなくては! なぜ? どうして我慢する必要がある。目の前に美味そうな餌がいるのに……。違う、この人は餌ではない。だが、美味しそうだろ?
考えが目まぐるしく移り変わる。頭の中にいるもう一人が、本能に従えと唆す。必死で抵抗する私は、拳を強く握った。爪が刺さって血が流れても、冷静さは戻ってこない。蔓を切った剣を突き立て、ルシファー様の血を啜ったら……どれだけ甘いか。
ごくりと喉が鳴った。いけない、危険だ。警鐘を鳴らす私は、必死だった。誰かに乗っ取られる!
「にげ、ろ」
私の手が届く距離から、攻撃の範囲から出てくれ。そうしないと……「俺」があんたを食っちまう。そんな美味そうな匂いをさせて。そうじゃない、こんのは私ではない!
どく、どくん、激痛を伴う脈動が、少しずつ速くなる。もうダメだ。ルシファー様なら負けないだろう。私を、俺を、殺してくれるはず。がくりと膝をついて、滲む視界で願いを伝える。
「……しょうがない、これもオレの役目だ。かかってこい、きちっと叩きのめしてやる」
反論したいセリフがあったが、意識が何かに塗り替えられる。白い紙にインクを溢したように、染み込んだ誰かが私を変えた。
「俺の邪魔をする気なら、片付けるまでのこと」
するりと口をついた言葉も、攻撃する姿勢を取る体も、すべて私の一部だ。なのに、意識だけが俺に切り替わった。ルシファー様を主君として認めず、魔王の存在すら否定する誰か。
俺も私の一部なのか。
「やれると思う辺り、「俺」とやらは傲慢だな」
にやりと笑う純白の青年は、出会ったばかりの彼を思い出せる。幼い姿で、誰より大人びた口調で強さを示した。ベールもベルゼビュートも、私も。誰も敵わない。純白の魔王として、強さを示した。
ルシファー様の手に剣が現れる。収納から取り出した剣は細く、切るより突くことに特化していた。柄に飾り彫刻が施された剣に、見覚えがある。あれは……。
私の意識が曖昧になる。このまま吸収されて消えるのか? 許さない。ルシファー様に楯突く俺も、簡単に体を奪われた私も! どちらも等しく腹が立った。
「アスタロト、おーい! 起きろ! 早くしないと右手も落とすぞ」
物騒な声と同時に、左手の痛みを感知する。常時結界を通過された? 痛みに意識を集中するほどに、私が戻った。治癒に向かう魔力を堰き止め、少しずつ体を取り戻す。指先から、一つずつ。支配を切り離して、痛みとリンクさせた。消えない、痛い……俺から体の支配を奪う。
視力を奪えば、赤く右腕を濡らした主人の姿が映る。ぞくりとした。頬に飛んだのは、返り血か? ならば、あれは私の一部だ。認識と視界が繋がり、喉を鳴らした。
ああ、やはり魔王はあなただけだ。それ以外は、私も俺も認めない。私の中に巣食う俺が、ゆっくりと小さくなった。




