47.隣が勝手に生えた?
「また逃げたのですか」
積まれたままの書類、眉間に皺を寄せたベール、主人のいない執務机……既視感だらけの光景に溜め息を吐く。仕事を真面目にこなせば、半日は自由に過ごせる。それを嫌って逃げ回る主君だが、あれでも最強の魔王だった。誰かと交代はない。
「仕方ありません」
私がある程度片付けて、ルシファー様を探しに行きます。いつものセリフを口に出す直前、ベルゼビュートが飛び込んできた。
「大変よ」
「何度も言いましたが、窓からの出入りは禁止ですよ」
「わかってるわよ、緊急事態だもの」
緊急事態でも廊下に転移して、ノックして入ればいいのでは? そう口に出しかけ、何度も同じ注意した過去が浮かぶ。と同時に「頭いいわね、次からはそうするわ」と言いながら、毎回忘れるのだ。
ベルゼビュートを上から下までじっくりと眺め、特大の溜め息で「この阿呆が」と示す。むっとした顔になるが、ベルゼビュートは用件を優先した。
「隣の大陸が生まれたの」
「……頭は打っていないようですが」
後ろからベルゼビュートの頭部を確認するベール。真っ直ぐに「何を言っているんですか」と貶さなかったが、ベルゼビュートにはどちらでも同じらしい。
「本当なのよ! もう!!」
地団駄踏んで悔しがる。
「ルシファー様も見てたんだから」
「っ、それを早く言いなさい」
詳しく聞くより、ルシファー様を探した方が早い。大陸の端、海との境にいる魔王を目印に転移した。
「これは……」
絶句する。
つい先日まで、北の海の先は何もなかった。遠くまで水が広がり、波が音を立てるだけ。果てが見えない先に興味はなく放置したが、まさかその海に陸が?!
「おう、来たか。すごいよな、この世界はまだ広がってるみたいだ」
にこにこと機嫌のいいルシファー様は、純白の髪を風に靡かせた。結界があるので、潮風の影響は受けない。髪をかきあげる仕草が気になり、手を伸ばして編んだ。三つ編みを作り、毛先を巻いて留める。
「助かった。ところで、海の上って飛べると思うか?」
「飛ばずとも転移したらいいのでは」
「そうするか」
一度背に出した黒い翼を、瞬きの間に消す。ルシファー様は突然現れた大陸に、興味津々だった。危険だから下がれと言えば、なおさら自分が行くと言い出す。そういう人だった。強いからこそ、危険を買って出るのだ。そう言われれば、合理的な考えを否定できなかった。
弱い者を出せば、緊急時に身を守れない。強者は立場があるので、勝手に出歩けない。矛盾する状況で、だったら自分が行く、と突き破る人だった。
「行くなら、私もご一緒します」
「好きにしろ。でも危険だったら見捨てるからな」
憎まれ口を叩くが、いざそうなれば身を挺して助けるだろう。ルシファー様の本質を知るから、軽口に乗った。
「危険なら退却しますので、ご自分の心配をなさった方がいいですよ」
「オレの心配? いらないだろ。それより、向こうの大陸も魔の森かな」
わくわくしている口調から、すぐに動きたいのを我慢していると気づいた。よく勝手に行動しなかったと苦笑いする。
「魔の森であれば、新しい種族が生まれそうですね」
「それは楽しみだ」
ぱちんと指を鳴らし、ルシファー様が消える。その魔力が隣の大陸に現れた。確認して、隣に飛ぶ。一瞬で移動した先、魔力の濃さが重さのようにのし掛かった。
「こりゃすごい……」
絶句するルシファー様の足元に、見慣れぬ植物が生えていた。蔓のようだが、赤い先端がグネグネ動いている。腕のように伸びて、ルシファー様の裾を掴んだ。
「うわっ、びっくりした。こいつ、魔族かな」
座り込んで意思の疎通を図る主君は、わずか数秒で蔦に絡まれ姿が見えなくなった。魔力で剣を作り出し、虹色の刃で切っていく。
「こっちの大陸の方が逞しいな。魔力が重くて……生まれたばかりの頃みたいだ」
笑顔のルシファー様は、切れた蔓を払いながら身を起こした。




