10.愚かな期待と誘惑
ルシファー様の姿は見当たりませんね。噴煙が邪魔で視界が遮られるため、大きめの結界を張った。結界に何か触れれば気づくので、探索用にさらに広げる。
水竜はいない上、ルシファー様の気配もない。これはすでに外へ出た後の可能性も……。
「おお! アスタロト、早かったな」
結界に触れた途端、中に飛び込んでくる。魔力で相殺しながら力業で私の結界を捻じ曲げた魔王は、純白の髪をさらりと揺らした。
「水竜は見つけましたか」
「いや? 誰か行方不明なのか」
この人は何をしに噴煙に飛び込んだのやら。事情を確認すると、転移した私の方が到着が早かったらしい。魔力で飛んだルシファー様は、噴煙に飛び込む私の姿を見て追いかけただけ。民の話はまだ聞いていないようだ。
「若い雌の水竜が見当たらず、避難に失敗した可能性があるそうです」
「でも、この辺りにドラゴンの気配はないぞ」
私ですら感じ取れない魔力を探りながら、ルシファー様はけろりと言い切った。間違っているとは思わない。それだけの実力差があるのは承知していた。
「では脱出しますか」
「まあ待て。また卵を発見してしまって、ほら」
どうだ! お手柄だろう。誇る主君は、長い黒衣の間から卵を見せる。どうやって隠していたのやら、衣が膨らんでいなかったのに。まさか、生きた卵を収納に? 死んでしまったと思い確認すれば、背中の翼の間に隠し持っていたようだ。
「この場所が一番安定するんだよ」
空を飛ぶ際に翼を広げることの多いルシファー様は、抱き抱えた卵を撫でた。大きなクリーム色の卵は、少年の手に余る。落とすと危険なので預かると申し出たら、失礼な心配をされた。
「食べたりしないだろうな」
「生き血が啜れない卵に興味はありません」
食べないと答えず、にやりと牙を見せて威嚇する。あなたの血なら美味しいでしょうね、と行動で告げた。
「そっか、じゃあ預ける」
まったく気にした様子がない。こういうところ、なんともやりづらい。
つい数百年前にも激突し、命を奪おうとした男に信頼を示した。卵を受け渡し、身軽になったルシファー様は火口の方へ目を凝らす。私が裏切り、後ろから襲うと考えないのか。卵を落として殺す心配がないとでも?
吸血種は魔族の中でも特殊だ。基本的に強者に従うが、いつでも裏切った。王の座を狙う部下は過去に何人も現れ、一族の王である私が撃退している。力を示し続けないと、いつ寝首を掻かれるか。そんな種族の王相手に、無防備な背を向けるルシファー様に溜め息を吐いた。
器が違い過ぎる。勝てないでしょうね。そう思うから卵が落ちないよう結界で包んだ。
「あ、水竜ってあの子かも」
そう言って噴煙を指差されても、私の魔力感知は働かない。ただの灰色の壁状態だった。
「いますか?」
「連れてくるから、先に避難してくれ」
ああ、その台詞は……また騒動を引き起こす前兆だ。ルシファー様はいつも「オレがやるから」と言いながら、騒動を起こす。後始末ばかり上手になった私は、先を読んで苦笑いした。
「一緒に行動しましょう」
何か言いたげに振り返るが、私の笑みを見て言葉を引っ込めた。引き攣った顔で「そ、そうだな」と同意する。そんなに怖い顔をしていましたかね? やや脅しが入っていても、笑顔のつもりなのですが……。
「オレの結界の内側にいてくれ」
簡単そうに私を結界の中に招き入れた。今なら、魔王といえど無防備だ。首を切ってしまおうか、あの生き血を啜ったら魔力が増えるのでは? 期待と誘惑で喉が渇く。一度だけ味わったあの甘い血を、再び……ごくりと喉を鳴らした私の目が赤く輝いた。