第91話 寧々さん、蜂須賀の残党を匿う(後編)
永禄7年(1564年)11月上旬 近江国小谷城 寧々
お義父様は案の定、莉々を見るなりわたしたちをご自身の隠居所に受け入れてくれた。
「いつまで居ても構わぬからな。何だったら……この際、二世帯同居でも」
膝の上に莉々を抱き、目じりを下げてそうも言ってくれはするが、流石にそれはお断りする。
ご正室の阿古の方様が城下の尼寺に別居されているため、同居しても嫁姑戦争といったことは起こりえないのだが、この先に待ち構える滅亡劇を避けるために暗躍するには動きづらくなるため、いつまでもというわけにはやはり行かなかった。
断った途端に、しょぼんとされたお義父様には申し訳なくは思ったが。
「……それで、この後の事なんだけど」
そして、宛がわれた部屋で身の回りの物を片付けて、改めて半兵衛を呼び出したわたしは、迷いはしたものの懸念を伝えた。それは、藤吉郎殿がなおも蜂須賀家一党を許さず、この近江まで刺客を放ったり、信長様の威を借って引き渡しを求めてこないか、ということだった。
「それは、十分あり得る話かと某も考えます」
「そう……ならば、少なくとも刺客に対抗する手は打っているのよね?」
「もちろんにございます」
半兵衛がいうには、すでにこの城下にそれらしき男が潜入しているそうで、慶次郎に見張らせているということだった。加えて、家老の赤尾殿や雨森殿にも相談して、屋敷の周辺を警護、巡回する兵も出してもらっていると。
「まあ、そういうことなので、すぐに刺客にやられるような事態にはならないでしょうが……」
「残る問題は、もし引き渡しを求められたら、どうするかということよね……」
「まだ国境を接していない今の状況でこちらに圧力を掛けたりはしないでしょうが、どのみちそう遠くないうちに織田の力は大きく増大し、浅井は風下に立たざるをえません。そのとき、この問題が火種になる恐れがありますな……」
そして、そのときは素直に応じて引き渡すか、それとも武門の意地にかけて一戦に及ぶかという選択を迫られることになるだろう。だが、そうなるのはわたしの本意ではない。したがって、そうなるよりも前に、この問題は蒸し返されないように解決しておかないとならないのだ。
「……ねえ、策はあるんでしょ?」
「いいえ。こればかりは、良い策が思い浮かびません」
半兵衛が言うには、国境を接していない今、この件を持ち出すこと自体が好ましくない結果を生みかねないという。織田側が引き渡しを求めれば、浅井家との仲が拗れて盟約が危ういものとなるのと同じく、浅井側も公然と蜂須賀一党の赦免を求めれば、織田側も内政干渉と受取り、同じ結果になると。
「ですので、幕府や朝廷とか寺社に間に入ってもらおうとも考えたのですが……」
「伝手のある幕府は来年無くなるし、朝廷や寺社にお願いできるほどの金がうちにないということよね……」
「ご賢察、痛み入ります……」
「はあ~」っと思わずため息が出てしまうが、とどのつまりはこの浅井家に金がないのが問題なのだ。羽振りのよかった織田家に居た頃をわたしはつい思い出してしまった。何しろ、清洲では当たり前のように身近にあった金平糖は、一粒も我が家にはないのだから。
「寧々!遊びに来たわよ!」
「えっ!お市様?」
だが、そんな悩めるわたしたちの前に、お市様が猿夜叉丸様を連れて現れた。何でも、このお義父様の隠居所にわたしたちが移ると聞いて飛んできたとか。
「なにも、このような夜更けに来なくても……」
「そうは言っても屋根続きで近いんだから、別にいいじゃない」
そして、キチンと長政様の許可は得ていると話すお市様を見て、わたしは閃いた。そうだ。お市様から信長様に御身内としてお手紙を書いてもらえばいいのだと。
「どう思う?半兵衛」
「良き案かと」
「なにかしら?また悪巧みでもしているの?」
えらい言われようであるが、お市様の協力なしでは成し遂げることができないため、わたしはこれまでの事情を説明した。
「つまり、恩知らずのエテ公(藤吉郎)をお兄様が野放しにしていると思うと、恥ずかしさのあまり淡海の海(琵琶湖)に身投げでもしたくなる……とでも書けばいいのかしら?」
「……淡海の海に身投げとは物騒ですが、要はお市様がお怒りになられていること、こちらに逃れられている蜂須賀家の者は、お市様の庇護下にあることを伝えて頂ければ、聡明な上総介様の事。ご理解いただけるのではないかと……」
「わかったわ、寧々。それなら、輿入れの時に持たされたお兄様の絵も同封して送り返すことにするわ」
「その方が怒っているように思えるでしょ」というお市様に、その絵を大切にされていることを知るわたしは、頭が下がる思いでお願いしたのだった。
なお……後日談になるが、その絵は友松尼によって、別の形に変えられてお市様の手元に残っているとは露にも思わなかったが。




