第80話 藤吉郎は、川並衆との縁が切れたことを知る
永禄7年(1564年)9月上旬 尾張国丹羽郡宮後村 木下藤吉郎
「兄さ……なんか、皆殺気立っとるが、ホンマに大丈夫なんか?」
弟の小一郎が怯えるようにそう言ってきたのも無理はない。墨俣に砦を築くためにこうして川並衆の力を借りようと蜂須賀屋敷に来たところで、儂らは目に怒りを滲ませる兵士たちに槍を向けられているのだ。儂とて平静を装っているが、ションベンがチビリそうである。
そうしていると……小六どんからこの川並衆を引き継いだ弟の又十郎が姿を現した。だから、儂は問い質した。「これは、どういうつもりなのか!」と。
「どういうつもりだ?それはこっちの台詞だ、猿!!」
「さ、猿だと!?」
そういえば、権六殿が後ろ盾になってくれたこともあってか、最近儂のことをそのように呼ぶ者は少なくなったと思いつつも、いきなりそのように言われて、儂はカッとなった。だから、「無礼だぞ!」と言い返した。冗談で言ったのなら、小六どんに免じて今なら許してやるから謝れと付け足して。
しかし、それに対して又十郎は謝罪を口にするどころか、儂を激しく罵倒した。
「よくも、自分で殺しておいて、兄者の名を語るな、猿よ!口先三寸で利用するだけ利用しておいて、葬儀にも顔を出さんかった厚顔無恥の恩知らずのくせに……」
「ま、待て!なるほど、どうやら誤解しておるのだな。葬儀に行けなかったのは、あのときずっと謹慎を命じられていてだな……」
「今更、言い訳など聞きたくもないわ!ああ、耳が穢れる。だから……このまま立ち去れ、猿よ!さすれば、我らも命までは取らぬ!」
そして、又十郎が手を挙げると、周囲を囲んでいた兵たちは帰り道だけを開けてくれた。だが、ここで帰ってしまえば、儂の構想が完全に崩れてしまう。それゆえに、恥も外聞も捨てて、その場で土下座して訴えた。
小六どんの死は、誠に申し訳なかったが、それでもどうか力を貸してほしいと。しかし、その返答は……屋敷の兵から飛んできた多数の矢であった。
「又十郎殿……」
「……頼む、藤吉郎。このまま去れ。さもなくば、もう俺は皆の怒りを抑え込むことはできないのだ……」
そしてそれは、兄・小六の望みではないと、又十郎は儂に言ってきた。それゆえに、これ以上の交渉は無理と判断せざるを得ず、儂と小一郎は開けられた退路を進み、蜂須賀屋敷から去るしかなかった。
「兄さ……」
安全な場所に出て、小一郎が儂を気遣うように言ってくれるが、今はそんな余裕はなかった。考えていた計画では、川並衆の力を借りて、木曽川の上流で砦の建設に使う木材を段取りし、川下の墨俣まで流してそれを組み立てるという作戦であったが、こうなると変更せざるを得ない。
「仕方ない……ここは強硬策を取るしかないか」
しかも、今更反対していた権六殿に縋るわけにもいかないから、儂は小一郎と手分けして津島や熱田で浪人を募ることにした。幸いなことに、資金だけはお屋形様よりたんまりと貰っていて、集めた千人余の給金と砦の資材代を合わせても不足することはなかった。
そして、準備が整った儂らは、濃尾国境まで目立たぬように分散して進み、夜陰に紛れて川を渡れば墨俣という場所に到着した。
「よいか。夜明けまでが勝負だ。まずは全員で資材を川向うまで運び、周囲に馬防柵を立てろ。また、夜が開けたら斎藤の兵が攻めてくるから、半数がこれを防ぎ、半数が砦の完成を急ぎ、3日で砦を完成させろ。よいな!」
「「「「「おう!」」」」」
はっきり言って、無茶な要求ではあるが、成功したら全員召し抱えると言っているので、士気は高い。それゆえに、何とかなると儂は思った。
「そういえば、兄さ。俺、実はこの戦が終わったら結婚することになってな……」
例え、戦を前にそのような不吉なことを申す者がいたとしても……。




