第77話 政元は、今孔明と妻を挟んで相対す
永禄7年(1564年)7月下旬 近江国小谷 浅井政元
寧々がその名を告げるまでもなく、俺はこの突然現れた男の正体に気づいていた。竹中半兵衛——かつて、俺の首を刎ねようとした男である。
だが、一方でこの男は、莉々の恩人であるとも聞いている。俺の寧々に惚れたなどと、ふざけたことを言っているが……だからといって、すぐに斬り捨てようとは思っていない。……たぶん。
「それで、竹中殿。折角なのでお聞きしたいが、先程寧々が申したこの国の改革案は、貴殿から見て如何ほどの評価か?」
「そうですね、満点と申し上げたいところでありますが……それを成すまでには時間がかかりましょう。それまで朝倉が待ってくれるとは思えませぬな」
そのため、半兵衛は寧々の献策を十の内八分の評価と言った。ならばと、俺は満点の回答を彼に訊ねることにする。『今孔明』の名が虚名でないのであれば、必ず答えてくれるだろうと。すると……
「ご当家が朝倉の脅威を耐えなければならぬ期間は、某の見るところ3年ないし4年といったところでしょう。その頃には、織田殿が美濃を平定なさるでしょうから、あとは盟約さえ維持すれば、安全は保障されます」
「つまり、それまでどう耐え忍ぶかということですか」
「それについては、策があります」
「策?」
「要は……朝倉が南下して来なければよろしいのですよ。ならば……頼りにするのは北、加賀の一向宗……」
半兵衛はそう言って、本願寺を動かして加賀の一揆勢に何かと牽制してもらえば、朝倉はむしろこちらの機嫌を取る方向に舵を切るだろうと言った。挟み撃ちにされるのだけは、嫌だろうからと。
また、その本願寺を動かすために、当主の妻同士が姉妹である武田を動かす方法を提案してきた。織田と武田は最近友好関係を構築しようとしていて、そこを利用すれば、それほど難しい話ではないと言って。
「……見事なものだな」
「恐れ入ります。それで……某の仕官の件、お認め頂けますでしょうか?」
「寧々ではなく、俺に仕えるというのならば認めよう。それで如何か?」
「結構にございます。それと……先程は少々戯言を申しました。また、以前はその御しるしを頂戴しようとしたこと、申し訳ありませんでした」
覚えていたのかと感心していると、それはこの男なりのケジメなのだろう。頭を下げて詫びる半兵衛の姿を見て、俺は水に流すことにして「過去の事は問わぬ」と明言した。寧々も安堵したような表情を浮かべていて、これでよかったのだと理解した。
だが……先程の問答についてだが、俺はひとつ引っ掛かりを覚えていた。
「半兵衛殿。先程、貴殿は織田殿が美濃を平定なされば、我が浅井家の安全は保障されると申されたが……それでは、今度は織田殿に逆らえなくなるだけなのでは?」
それでは、根本的に何も変わらないのではないかと思った。もし、織田殿が我が浅井家に、此度と同じように理不尽な要求を突き付けてきた場合、結局、従わざるを得なくなるのではないかと。だが、半兵衛殿は愚問だと言わんばかりに笑った。
「半兵衛殿?」
「その質問には、『それがどうかされましたか』……とお答えするしかありませぬな」
「どうかって……それでは……」
「玄蕃頭様。某が見るところ、尾張、美濃、それに南近江に伊勢を抑えれば、その国力から考えて、最早、織田殿に勝てる大名など存在しませぬよ。武田も上杉も、あと西国の毛利もいずれ立ち枯れて、余程のことが起きぬ限り、実が熟して木から落ちるように、天下は織田殿に転がり込んできましょう」
「そう……なのですか?」
「ええ、間違いないでしょう。そして、浅井の殿は織田殿の義弟。その天下取りを助けて、大領を得て……寧々殿の改革を行いながら力を蓄えて時勢の変化を待つ。時勢が変わらなくても、かつての佐々木道誉様のように政権の中枢を担うでしょうし、悪い事ではないかと存じますが?」
それゆえに、その先は無理な要求をされないように謀っていくことこそが、家の繁栄のためには必要なことになると半兵衛は言った。もちろん、それは決して間違ってはいないだろうが、猪武者が多いこの家中で、果たしてそれが上手くできるのかは……自信が持てなかった。




