第7話 お市様は、寧々から手ほどきを受ける
永禄4年(1561年)10月中旬 尾張国清洲城 お市
「寧々、わたしのやり方……間違っていない?」
兄の茶室を借りて行われる寧々の茶道指導。どうやったら、あのように洗練された腕前になるのかと思って、何度も教えを乞う日々だが、中々上達はしない。
「大丈夫ですよ。順番は間違っておりませんから、そのまま落ち着いてお続けください」
しかし、寧々はやさしく教えてくれる。他にも華道に歌に琴にと……およそ、女性に必要な教養で身に着けていない技能はないと思われるほど、完璧な女性だ。正直、義姉が手放してくれてよかったと感謝するほどに。
「ねえ、寧々。前から思っていたんだけど……あなた、本当は高貴なお公家様の御落胤なのでは?」
兄からは、家臣の娘だと聞いているが、それだとおかしなことはいっぱいあるのだ。だが、寧々は笑って否定する。「百姓ではないけれど、下級武士の娘ですよ」と。
「でも、それならどうしてこんなに凄いの?」
年齢だってわたしよりも1歳下だ。もし、その歳の女の子なら誰でも当たり前にできることならば、わたしは凹むしかない。すると……
「そうですね。実は、ここだけの話なのですが……」
寧々は言う。母親が守護であった斯波家に昔奉公していて、その時知己を得ていたお公家様に一通り教わったのだと。もちろん、一通りなので、あとは独学で研鑽を積んだと付け足しもしたが。
「そうなのですか。それで……あなたの目から見て、わたしは上達するのでしょうか?」
「それは必ず。お市様は努力家ですからね。これで上達しないはずはありませんよ」
嬉しいことを言ってくれるなとつい、頬が緩んでしまう。侍女にしてひと月あまりだが、わたしは寧々のことが大好きだった。
「申し上げます。お屋形様がお成りです」
「兄上が?」
外から声が聞こえて、一体どうしたのだろうと思っていると、寧々がニヤリと笑った。だから、気づく。これは何か企まれたのだと。
「寧々?」
「さあさあ、お市様。お屋形様を待たせてはなりませぬよ。折角なのですから、茶を振舞っては如何ですか?」
「な……!は、はかりましたね!」
おおよその見当はつく。おそらく、中々自信を持てないわたしを見かねて、兄の評価を得ることで自信をつけさせたいのだろうと。だが、寧々はわかっていない。兄はきっと、どのような結果でもわたしをほめるに違いないのだ。
(それならば……)
「兄上、側に今日も藤吉郎を連れているのでしょう?」
「ああ、そうだ」
「それなら、一緒に連れて来られませ」
「なっ!?」
きっと、思いもかけぬ展開だったのだろう。寧々の顔色が変わった。そして、兄に続いて藤吉郎が入ってきた。
(さあ、どうするのかしら?)
もし、寧々の方に何か事情があり、秘めた恋心を諦めざるを得なかったというのであれば、助け舟を出そうと考えている。しかし、明らかに意識をしている藤吉郎とは違い、寧々は全くと言っていい程いつものままだった。
「どうぞ」
そうしている間に立てた茶を兄に差し出すと、やはり「上手になったな、市」という声が聞こえた。きっと世辞だとは思うが、寧々の思惑通り嬉しくなり、つい頬が緩んでしまった。しかし……
「ブウゥゥゥーーー!!!!」
「藤吉郎!?」
「に、苦ごうございますな、この茶は……」
いやいや、気持ちはわかるけど、いくらなんでも噴き出すことはないでしょうに。しかも、噴き出した茶は、寧々の顔に思いっきりかかっている。これでは、例え百年の恋をしていても、醒めてしまうだろう。
「あ……あのな、寧々。藤吉郎は決して悪気があったわけではなくてだな……」
「わかっておりますよ、お屋形様。ただ……藤吉郎殿には茶の湯は向いておらぬようですから、外で待たせては如何ですか?」
「そ、そうだな……」
そして、やはりというか。怒鳴りはしないが、寧々は怒っている。兄が反論することなく藤吉郎を下がらせたのを見て、それをよく理解した。加えて、脈が全くないことも……。