第6話 信長様は、傷心の猿を慰める権六を生暖かく見守る
永禄4年(1561年)8月上旬 尾張国清洲城 織田信長
「お屋形様!」
「……藤吉郎か」
できれば、会いたくなかったのだが、こうして会った以上は逃げるわけにもいかない。先程出た結論を藤吉郎に伝えることにした。
「あ、尼に……?」
「そういうことだ、藤吉郎。おまえがこれ以上求めれば、寧々は本当に尼寺に駆け込むだろう。だから……」
「うっ!うう……」
「な、泣くな!藤吉郎!!女など、他にも星の数ほどおるではないか!」
何だったらと、今宵津島の遊郭に連れて行ってやるぞと言ってみたものの、藤吉郎は泣き止まない。すると、そこに権六が通りかかった。
「お屋形様?猿が何かしたのですかな」
おそらく、失敗を咎めて泣かれたと思ったのだろう。権六は馬鹿にするような笑みを浮かべていた。しかし……
「権六殿~~!」
この際、失恋の悲しみを分かち合うのは誰でもいいのか、藤吉郎は犬猿の仲であるはずの権六に抱き着き大声で泣いた。
「わあ!よせ、鼻水をつけるな!嫁が死んだから、これワシが洗濯せねばならぬのだぞ!」
その言葉に、家老なのだから洗濯女くらい雇えよと言いたくなるが……それは失言になるだろうと思って飲み込む。そうだ。権六も藤吉郎と負けず劣らず、女性の人気がないのだ。
「それで……一体誰に振られたのだ?」
だからなのだろう。権六は、近くの座敷に藤吉郎を連れて行き、話を聞いてやっていた。差し入れに酒を持ってこさせると、二人は次第に意気投合して、互いに女にもてない苦しい胸中を打ち明け合って、涙を流し始めた。
「そうか。それは辛かったな、藤吉郎。さあ、飲め!フラれたときは、一気に飲むのが一番良いのだぞ」
それは、経験からくる言葉なのか。物凄く重みのある言葉だった。だが、藤吉郎は素直に従い、徳利を一気に飲みほした。
「ぶはー!」
「いい飲みっぷりではないか。見直したぞ、藤吉郎!」
そして、権六も負けずに徳利を一気飲みして見せる。すると、今度は藤吉郎がそれを讃えた。「流石は筆頭家老殿!」と囃し立てて。
(いや、権六は家老だが、筆頭ではないだろう?)
そう思わず突っ込みを入れたくなる俺は、下戸なので酒は飲まずに金平糖を食べながらただ眺めているだけだ。そうしていると、騒ぎの声が聞こえたのだろう。妹の市が「なにごとですか」とやってきた。
「実はな……」
そのため、俺は市に事情を説明した。なぜ、このような事になったのかをきっかけとなった寧々のことも含めて。
「へぇ……そんなに、その寧々さんのことが藤吉郎は好きだったのですか。一体、どのような方なのですか?兄上」
「そうだな……」
説明しようかと思ったその時、俺はひらめきを感じた。そうだ。この際、この市の侍女にすればいいのではないかと。
(間違って、手を付けたりすれば、藤吉郎が謀反を起しかねないからな……)
その時なぜか、燃え盛る寺で腹を切る自分の姿が脳裏に浮かんだが、あれほどの美人を側に置いておけば、もし、そういう未来が待つと分かっていても、自制できるのかは自信が持てなかった。
「なあ、市よ。その寧々のことだが……」
目の前で泣いたり笑ったりと忙しい二人を放置して、妹に頼んでみる。寧々を侍女として引き取ってくれないかと。
「引き取るって……」
物じゃないんですからと呆れられるが、粘り強く交渉することに。そして、今なら「金平糖を3粒つけるぞ」というと、「そこまで困っているのなら、仕方ないなぁ」という答えがかえってきた。