第61話 近衛様は、尾張で接待を受ける
永禄5年(1562年)9月中旬 尾張国清洲城 近衛前久
……越後も田舎であったが、この尾張も負けず劣らず田舎だと思った。
「関白殿下には、ご機嫌麗しゅう。織田上総介信長にございます」
そして、目の前の男の口上を聞いて、思わず吹き出しそうになった。確か、数年前は京で「上総守」と名乗っていなかったかと。要は、親王任国である上総国には、国守を置かぬという慣わしすら知らなかった田舎者という印象しか、この男にはなかったのだ。
「面を上げられよ、上総介殿。こうしてお目にかかれて、麿も嬉しく思いますぞ」
「ははー!ありがたき幸せに存じ奉ります!!」
だが、そんな田舎者も今回は役に立ってくれたから、このように心にもない言葉を吐きだすくらいは造作もないことであった。
何しろ、この男が上杉に金をふんだんに送って「どうしてもお招きしたい」と説得してくれたからこそ、麿はあの雪深き田舎から釈放されて、この温かい田舎に脱出することができたのだ。その点は、心の底から感謝していたのだ。
それゆえに、多少の願いなら聞いてやろうと、此度麿をここに招いた理由を訊ねる。すると、信長は言う。妹の花嫁行列に同行してもらいたいと。思わず、それくらいのことかとため息が出そうになった。「上洛の旗頭にしたい」というのかと期待していたのに……つまらぬなと。
「それくらいのことなら、構わぬぞ。いずれにしても、この後京に戻るつもりだったからな」
「ありがとうございます」
目的地の北近江小谷城までは、尾張から北伊勢に入り、八風街道を通って南近江の六角領を経由してそのまま北上する道筋を通るらしいが、麿が同行するのは六角家がこの婚姻同盟に反対していることから、どうやらその弾除けということのようだ。
正直言って、「われ、関白を舐めとんのか!」と言いたくもなるが、「お礼」として目の前に積まれた山吹色の山を見れば、今日の所は見逃しても良いという気持ちになる。あとは、このまま接待してくれるということなので、お言葉に甘えることにする。
「ほう……茶の湯ですか」
越後にいたときは酒ばかりで、そのような風流のある催しとは疎遠になっていたこともあり、麿はそれだけでも素直に嬉しくなった。そして、中に入ると……京でも通じるほどの「わび」「さび」の佇まいがそこにはあった。
「織田殿……これは、見事なものですな……」
「お褒めに預かり、光栄に存じます」
ただ……問題がないわけではない。何しろ、茶を立てる亭主が女なのだ。京ではあまりそういうことはないから、麿は面食らってしまう。だが……
(見事だ……文句をつけるどころか、こちらから教えを請いたくなる位だ……)
その女の所作は、洗練されていてかつ雅さもあった。さらに、その容姿も美しいとなれば、こちらが作法を忘れて、つい見入ってしまう。
「殿下?」
「ああ、これは失礼いたしました。いただきまする」
そう言って、麿は茶に口をつけるが……ここでも、気が動転していたのか過ちを犯してしまう。茶が絶妙においしかったこともあるが、信長に回さずに麿が全部飲んでしまったのだ。
「あ……これは、申し訳ありませぬ」
だから、失態に気づいた麿は赤面して、亭主である女と信長に謝った。だが、二人はこちらの非礼を責めたりせず、女は「もう一杯いかがです?」と微笑み、もう一度茶を立ててくれた。
「あの……織田殿。この娘御は、もしかして貴殿の奥方で?」
「残念ながら違いまする。この者……寧々は、先々代の尾張守護、斯波義敦公のご息女で……某が一時的に預かっているに過ぎませぬ」
そして、この寧々殿は、今度北近江の浅井に輿入れする市姫の筆頭侍女として、同行すると信長は言った。それはつまり、旅の間はこの茶を味わえるということだ。
そのため、麿の気持ちは楽しみの色に塗り替えられたのだった。




