第56話 寧々さん、わずかな希望を砕かれてヤケになる
永禄5年(1562年)7月中旬 尾張国清洲城 寧々
「……慶次郎。少し人払いをしてもらえるかしら?」
「寧々様?どうかなされ……」
「いいから!お願い……少しだけでいいから、一人にさせて……」
柴田様のお屋敷からお城に戻ったわたしは、理不尽に慶次郎にそう言って、部屋に一人籠った。頭にあるのは、菜々さんが藤吉郎殿の子を身籠ったという事実だ。
「あははは……何を期待していたのよ、わたしは……」
独りになって、自然に言葉が漏れた。菜々さんの懐妊は、『もしかしたら、前世で子ができなかったのは、藤吉郎殿に原因があったのではないか』という、わたしの心の奥底にあったわずかな希望を……木っ端みじんに完全に打ち砕いたのだ。
つまり、これでわたしは、やはり子が産めない女であることが確定したわけだ。わかっていたこととはいえ、自然と涙が頬を伝っていた。
「……寧々殿?どうかなされたのですか?」
しかし、そんな最中に部屋の外から、間が悪いことにわたしを気遣う声が聞こえた。わたしは、それを慶次郎だと思い、「慶次郎!人払いを命じたはずよ!」と言い放つが……
「慶次郎殿ではありません。玄蕃頭にございます」
……と、そのような返事があって、わたしは慌てて涙をぬぐい、板戸を開けて彼を出迎えることにする。もちろん、心配させるわけにはいかないので、いつもと変わりない姿を取り繕って。
「玄蕃頭様?どうかなされたのですか。本日のお約束はなかったかと……」
「いや……実は、宿所で休んでいたのですが、どうしても寧々殿とお話したいなと思いまして……」
「まあ……」
その屈託のない笑顔に魅せられて、わたしは喉元まで出ていた「具合が少々悪いので、今日の所はお帰り頂けませんか?」という言葉をつい引っ込めてしまい、「それならば、どうぞ中へ」と真逆の言葉を言ってしまう。
(どうして?)
そんな疑問が頭の中を何往復も駆け巡るが、嬉しそうに部屋に入り、世間話や北近江の話をしてくれる玄蕃頭様を見ていると、いつまで経っても「帰って頂戴」とは言えなかった。いや……むしろ、このままずっと一緒にいたくもなる。
ただ……その想いが強くなればなるほど、同時に申し訳なさもこみ上げてくる。何しろ、わたしはこんな素敵な人の子供を産んであげられないのだ。だから……
「ね、寧々殿……?な、なにを……?」
せめて、この体を自由にしてもらうべく、わたしは帯を解いて裸になると、そのまま勢いに任せて玄蕃頭様を押し倒した。そして、これから気持ちよくなってもらうために、驚きのあまり無抵抗で固まっている彼の着物も脱がしていく。
「ごめんなさい……こんなにわたしのことを好いて頂いているというのに、子供を産んであげられなくて……」
「いや、それはいいのですが……子を作らないというのなら、こういうことはしてはいけないのでは……?」
そう……普通の女であれば、このまま勢いに任せて睦み合えば、子供ができるかもしれない。だが、それは『普通』であればだ。わたしには当てはまらない。
「いいのよ。どうせ……何をしても、子供なんてできないんだから……」
それゆえに、もうヤケクソだったかもしれない。わたしはそのまま玄蕃頭様と、こうして初めて体を重ねた。どうやら、彼は経験がなかったようで、前世の藤吉郎殿よりはわたしを気持ちよくしてくれなかったが、もうそんなことはどうでもよかった。
「ああ!もう、玄蕃頭様、好きよ!愛しているわ!!」
「俺もです!寧々殿!!」
……こうして、この日わたしと玄蕃頭様は日が暮れるまで、大きな声で何度も何度も愛を確かめ合った。あとで、二つ離れた部屋で待機していた慶次郎から「人払いしておいて正解でしたな……」と呆れられて、赤面する羽目になるとは露とも思わずに。




