第54話 長政様は、「子を産まぬ」と宣言した義妹に思う
永禄5年(1562年)7月中旬 近江国小谷城 浅井長政
「くくく……あやつめ、やりおったわ!」
堀遠江守から届いた書状を広げて、父上が愉快そうに笑っている。まあ、気持ちはわかる。その書状には、政元が寧々殿を口説き落として、嫁に迎えることになったと記されているからだ。まさに、父上の思惑通りに。
「しかし……正直なところを申して、某は無理だと思っておりましたが……」
「それは、儂も同じじゃ。あやつは、そなたと違ってあまり顔立ちはよくないし、女の経験もないからな。口説き落として来いとは命じたものの……ちょっと無理かなって、九割九分九厘はあきらめていたところだ。だが……」
書状には、政元の誠意が寧々殿の気持ちを動かしたのだろうと書かれていた。それもあってか、息子を褒められた父上は大変上機嫌だ。
だが、一方で当主である俺としては、もろ手を挙げて喜ぶという心境には至っていない。婚姻の条件として上げられている「子を求めない」という文言がどうしても気になるのだ。跡取りを望めない結婚に何の意味があるのかと。
「まあ……二人ともまだ若いからのう。そのあたりは、いずれ気も変わるかもしれぬし……」
「ですが、父上。婚姻の条件に上げるということは、寧々殿には余程の決意があるものかと。しかも、側室も妾も認めないとなれば、政元の家は……」
「その場合は、そなたの子を養子に送ればよいだろう。それともなんだ?もしかして、自信がないのか?」
何だったら、秘蔵の精力剤を分けてやるぞという父上に、俺は「要らぬわ!」と返したが、そんな父上は笑いながらも、「欲張らずに、一先ずこれで良しとせよ」と言った。
「そもそもの話。なぜ、寧々殿を政元の嫁に迎えようとしたのか。それは、寧々殿を我が浅井家に完全に取り込むことであろう?ならば、子ができなかったとしても、我らの目的は果たせるのだ。何も問題はあるまい?」
「それは……そうですが」
「それに、当の政元がそれでよいというのであれば、それでよいのではないか?だからのう、長政。もし、子ができたら、儲けものくらいに思っておこうぞ」
「よいな」と念を押されるように言われて、俺は何も言い返すことなく頭を下げた。すると、父上は話題を変えるように、今度は俺の婚儀の話をし始めた。
「書状には、市姫とそなたの婚儀を前倒しして、10月にも執り行いとあるが、身辺整理は間に合うのであろうな?」
「はい、その辺りはご心配なく。相応な手切れ金を握らせて、親元に返す算段はすでに付けております」
「そうか。まあ、あれも器量の悪い女ではないからな。いずれは良き縁にも恵まれるだろう。それゆえに……」
父上は、念を押すように俺に言った。「くれぐれも、仏心を出して、隠れて会おうとするなよ」と。
「わ、わかっております。どうか、某をお信じくださいませ」
「……ならばよいが」
そして、話はそれでおしまいということで、俺は父上の前から下がり、そのまま退出した。だが、自分の部屋に戻ると、そこには遠藤喜右衛門が渋い顔をして待ち構えていた。
「どうした、喜右衛門?」
「実は……」
どうやら、あまり大きな声では言えない話の様で、喜右衛門はサッと立ち上がり、俺の耳元で何が起こったのかを囁いた。それは……関係を持った侍女の一人が孕んだという話だった。
「念のため、奈津殿の家族には、お相手は玄蕃頭様であると伝えておりますので、あとは玄蕃頭様にさえご承知いただければ、何も心配はありませんが……」
ただ、無事に産まれたら、その子は俺にとって初めての子である。それゆえに、喜右衛門は「どうなさりますか?」と訊ねてくる。つまり、俺の子と認知するか、それともこのまま政元の子ということにするのか、決めて欲しいということなのだろう。さて、どうしたものか……。
(だが、政元は寧々殿との間に子は望めぬし、これは渡りに船ではないか?)
大事な婚姻同盟の締結前に、跡取りになりかねない男児がいるならば、織田家との友好に水を差しかねない。そのため俺は、先程の父上との会話を思い出して、喜右衛門に「政元の子とするように」と命じたのだった。




