第50話 政元は、妄想に耽るも冷や水を浴びせられる
永禄5年(1562年)7月上旬 尾張国清洲 浅井政元
(明日、寧々殿が訪ねて来るって……どういうことだろう?)
清洲城から退出する際に彼女から告げられた言葉を思い出しながら、この宿所に帰って夕餉を食べた後もこうして、何度も何度もその理由を俺は探している。
「もしかして、寧々殿は……勇敢に戦った俺に惚れたから、抱いてくれとか?まさかなぁ……」
「……それは天地がひっくり返ってもあり得ないかと。気持ち悪いので若、そろそろ鏡でご自身の顔を見て、正気に戻って頂けませんか?」
「ひ、樋口!?お、お、おまえ……いつからそこに!?」
「おや、宿に戻ってからずっと御前に侍っておりますが?」
夕餉も目の前で共にしたというのに、もしかして、自分の世界に入り込み過ぎて、そんなことも気づかなかったのかと、呆れるように樋口に言われて、俺は赤面した。穴があったら入りたいほど恥ずかしく思って。
「それで、どうされたのですか?お城を出る際、寧々殿に何やら言われていたようですが……」
「その……実はな、寧々殿が俺に話があるから、明日ここに来るそうだ」
「寧々殿が?」
「だから、まだ求婚していないけど、もしかしたら、寧々殿の方からそのまま一気に……という展開もあり得るのではないかと思ってな。何しろ、俺は寧々殿との約束通り、菜々殿を救い出したわけだし……」
それゆえに、無事に帰ってきた俺を見て、惚れてしまったということもあり得るんじゃないかと樋口に言うが……なぜか、憐れむ視線を向けられてしまった。
「樋口?」
「若……嘘はいけませぬな。菜々殿を救い出したのは、慶次郎殿でしょう?」
「そ、それは、人によってはそういう見方もあるかもしれぬが……寧々殿は違うのではないか?大体、それならば、なぜ寧々殿は話がしたいと訪ねてくるのだ?」
「御腹立ちが収まらないからに決まっているでしょう。若が色々とチクったせいで、慶次郎殿だけでなくお市様にも叱られたではありませんか。だから、その屈辱を晴らしに、八つ当たりに来られる……まあ、そういうことかと」
そうでなければ、すでにお市様から謝罪を頂いている以上、寧々殿がこちらに来られる理由はないと言われて、俺は青ざめた。
「申し上げます。お城より、お使いの方が来られてこれを……」
そして、そんなときだった。寺の小僧がそう言って、何やら密書らしきものを樋口に差し出してきたのは。加えて言うならば、目を通している樋口の顔色が悪くなっているようにも感じた。
「どうした?何かあったのか?」
「若……明日、寧々殿が来られるとき、手作りの饅頭を持参するそうです……」
「手作りの饅頭を?それは、楽しみだな」
それゆえに、先程までの仮定話は杞憂だったのだなとホッと胸をなでおろした。……が、樋口は何故か、その饅頭を決して口にしないようにと、続けて言った。
「なぜだ?折角のお心づくしではないか。食べない理由など……」
「若……慶次郎殿からのこの手紙では、その饅頭を食べたネズミが口から泡を吹いて絶命していたそうです。お命を保たれるために、どうかその場で食べるようなことはなさいませぬようにと……」
「つまり、毒が入っているというのか!?なぜだ……俺が一体何をしたというのだ!」
「だから、チクったことを余程根に持っておられるということなのでしょう……」
一先ずその場で受取り、あとで食べますと返せば、波風は立たないだろうということで、樋口は話をまとめるが、そこまで嫌われてしまったと知った俺の気持ちは、一気にどん底まで落ち込んだ。ならば、いっそのこと、その饅頭を喰ろうてやろうかと自棄になるほどに。




