第40話 政元は、敵を知ろうとする
永禄5年(1562年)7月上旬 尾張国清洲 浅井政元
『よいか、政元。婚礼に関する交渉など、どうでもよい。相手の言いなりで構わぬから……そんなことよりも、必ず寧々殿を口説き落としてくるのだぞ。よいな?』
宿所として宛がわれた寺の一室で、父から与えられた密命を反芻して考える。そうは言っても、俺は生まれて此の方、女の子を口説いたことなど一度もないのだ。果たしてどうやったらよいものかわからない。
「いや……それ以前に……」
手鏡を取り出し、そこに写る己の顔を見て今日何度目かのため息を吐く。寧々殿には以前お会いしたが、残念ながらこのタヌキに似た顔は、どう考えてもあんな可愛い女の子に釣り合う仕様にはなっていない。そう……全くもって絶望的だ。
(父上、母上……お恨み申し上げますぞ……)
やはり、兄のようにもう少し美男子に産んでほしかったなと、自己嫌悪を繰り返していると、そんな俺を笑う者が現れた。傅役を務める堀遠江守の家老、樋口三郎兵衛だ。
「若……何やっているんですか?もしかして、鏡にお祈りしたら、ちょっとは美男子になれると思っています?かなり痛いんですけど……」
「……うるさいぞ、樋口。他人事だと思って……」
「まあ、他人事ですからな。……しかし、若、ご安心を!残念会の準備は万端なれば、心置きなくフラれてこられませ!」
「フラれること確定って……おまえ、ちょっと酷くない?」
いつもの調子で、気安くそう言い合っていると、自然と笑いが出て気が楽になる。きっと、樋口は俺の緊張をほぐそうとワザと言ったのだろう。そうだ、そうに違いない。
そして……そのとき、もう一つの足音が近づいてくるのが聞こえた。
「若、只今戻りました」
「遠江守、大儀であった。それで如何だ?寧々殿のこと、何かわかったか?」
明日清洲城に上り、寧々殿と会見に臨むわけだが、彼女のことを何も知らなければ、口説き落とす以前の問題である。そのため、この堀遠江守は自ら町に出て情報収集を買って出てくれたのだが……
「実は、寧々殿のことなのですが……」
「うんうん」
「先々代の尾張守護、斯波義敦公の御落胤だったそうで……」
「え……?」
遠江守の表情から、きっと悪い情報が入ったのだろうと思っていたが、これは想定外の悪い情報だった。何しろ、その斯波氏というのは、足利将軍家の一門で、管領を輩出することができる名門の家で、とてもじゃないが我が浅井家とは比べようがないほど、雲の上の家柄だ。
「これは……より一層届かない高嶺の花になりましたな。若……残念会は、明日お城から戻られたらすぐに始められるように準備をしておきますので、心置きなく……」
「う、うるさい!フラれることが決まったかのように申すな!!」
再びからかう樋口に取りあえずそう返してみたが、正直な気持ち、自分でも勝ち目はないと思っていた。大体、寧々殿の隣には、超絶美男子な慶次郎殿がいるのだ。しかし、そうしていると、遠江守が「話にはまだ続きがあります」と言ってきた。
「続き?」
「実は……城下の方々で話を聞いた際、何度か妙なことがありまして……」
遠江守が言うには、寧々殿を調べているのは俺たちだけではないということだった。しかも、向こうは大人数で動いている節があると。
「それは……俺以外にも寧々殿を慕う方がいるということか……はあ、全くもって勝てる気がしない……」
「若、話はそんな単純ではないかもしれませんぞ?寧々殿が斯波家の姫ということならば、利用しようとする者がいてもおかしくはないかと……」
そして、場合によっては、無理やり攫われるかもしれないと樋口は言った。
「樋口……それは、犬山の織田信清殿のことか?だが、やつにそんな余裕はあるか?」
計画は立ててもおかしくはない。しかし、この清洲に来る前に楽田の合戦跡を拝見したが、打ち捨てられている旗指物の数から多くの犠牲が出ていることが窺い知れた。信清方はそれほど兵力がいるわけではないので、実行は難しいと俺は見ている。すると、樋口は一言「美濃」と言った。
「……斎藤が動いているとおまえは言いたいのか?」
「証拠はありませんが……その可能性は否定できませんよね?」
そう、否定はできなかった。仮に斎藤が斯波の姫である寧々殿を当主龍興の妻に迎えるなどすれば、斯波家再興を旗印として、この尾張に攻め込む大義名分を手にすることができるのだ。そういう陰謀を企まれていてもおかしい話ではない。
「遠江守、樋口を借りるぞ」
「御意のままに」
そして、俺は樋口に命じた。その斎藤の手の者をあぶり出しておけと。もし、寧々殿に危害を加えようとするならば、必ず救い出すために。




